ダンス・イン・ザ・ファーム2

第6回

集落で最高齢の一人と公民館 

2022.08.06更新

 島で暮らし始めたときから、農業や土地についてなどことあるごとに知恵と力を貸してくれてきた、近所の親戚のおっちゃんに久しぶりに会った。もう90を超える高齢で体調も思わしくなく、ほぼ横になっている。でも話を聞かせてもらうだけで楽しい。梅の栽培、梅干しの作り方。シイタケの駒うち、切り干し大根の干し方。草刈機の歯のメンテ。いろいろ教わってきた。

昭和と戦争

 実は船乗りだった、というのをこのたび初めて知った。ずっと、島から本州へ出て会社員として勤め、島に帰ってきてから農家になった人だと僕は思い込んでいた。

 かつてのあるとき、山口のこの島のこの地域から、仕事で大阪の港に船でつけたそうだ。船名の「なんとか丸」の下には、地域名の「和佐」と書いてある。和佐は僕たちが住んでいる地域のことだ。
 そのとき、ある少年が話しかけてきたという。話してみると、こう言ったそうだ。

「和佐って書いてあるから」

 その少年は、和佐出身の子だった。家出していたのだった。おっちゃんは、その船でそのまま連れて帰ったという。

 おっちゃんの奥さんであるおばちゃんは、同い年だが学校は1級下(いち学年下)なのだそう。昭和7年と8年で学校制度が変わったため1級上のおっちゃんは中学へ行かなくてもよく、下のおばちゃんはそこを卒業しないといけなくなった。

「当時はみな貧乏じゃったけえね」

 労働力がほしかったであろう時代なので、学校よりも仕事を優先させられたおっちゃん。当時の中学は今でいう大学卒並みの扱いだったといい、

「たった1年の差でそんなに違うなんてねえ~」

 とみんなで笑った。おばちゃんは同い年なのになんで1級下なのかと聞くと、

「ブラジルから帰ってきたけえね」

 との予想外の返答がきた。おばちゃんはブラジルで生まれ育った移民だったのだ。おばちゃんの先祖というか上の世代が和佐から移民として渡り、そして帰ってきたので留年したということだ。
 そういえば僕はあるとき、サフランの栽培にチャレンジした。カレーやパエリアでよく見る黄色いサフランライスの元になる、きれいな花が咲く球根の植物。そのめしべを収穫したものが販売されている。そのころ、地域で道行く人がこの花を見るたびに、

「なんかね、それは」

 とよく質問してきた。だけどおばちゃんは、

「ああ、サフランかね」

 と驚かない。知ってるの? と聞くと、

「よう聞きおったけえね。ブラジルで」

 おばちゃんの口からポルトガル語と歴史が立ち現われた。

***

 戦前のことなのか戦中のことなのか確かめそびれたけど、ある時期おっちゃんは「松やに」を取って集める仕事をしていたという。それが燃料になり、高く売れたのだそうだ。

「あの当時、親の1カ月の給料が3千円で、子どものわしが倍の6千円稼いで帰ってきたけえ、親がびっくりしおった」

 といっていた。おばちゃんは、

「松の木があちこち斜めに切れてるけえ、こりゃなにかいの、とずっと思いおった」

 おかしな切り口を見るたびに不思議に思っていたそうだ。
 とにかく貧乏だった、と。そしておっちゃんは付け加えて、

「ただ幸いにも、和佐は自殺者も出なかった」

 といった。他の地域ではあったのだそうだ。
 そして話は戦争末期のことに展開した。

「山に入ると、キラキラしたテープがそこら中に落ちていた」

 それは、米軍が基地に帰る際に日本軍のレーダーを妨害するために落としていったものだとおっちゃんは説明してくれた。テレビで見たことしかない、ベトナム戦争のようなイメージが重なってしまう。

「隣の集落では、原爆から1週間たって浜に死体がたくさん流れ着いた」

 和佐があるのは島の南側で四国側だけど、ちょっと移動すれば北側を向いていて広島とつながっている。そこで何が起こったかというと、「死体についている使えそうな服をはいで何かしらに使っていた」のだと。それだけ貧乏だった。
 別の時には、落下傘のパラシュートの部分が流れついてきて、その使えそうなところを取っていく。だけど、落下傘の先には爆弾がついていて、中には不発弾が混じっているため何人かは亡くなったのだそうだ。そういうことは、子どもがやっていたのだとか。おっちゃんが子どもだった頃の、そう遠くない過去の話。

芝居小屋が作られる

 戦後。僕が今住んでいる元・保育園の建物は、その頃戦争の傷病者が入っている療養所だったとか。その場所で宿直の仕事をしながら作詞の勉強をしていたのが、のちに演歌の作詞家となる星野哲郎さんだったそうだ。星野さんも船乗りだったが、結核にかかり療養で帰郷していた。

 そういえば、この家である元・保育園の水の話題にもなって、

「あんたかたんとこは井戸あるんか」

 とおっちゃんに聞かれた。

「一つあるけど、調べてもらったら『飲料不可』って言われたよ」

 と答えた。すると、

「あ~昔は水が澄んでさえいればそれでよかったんよ。なんも気にせんかった。検査がきびしぅなってはあ、『これは飲めん』じゃなんじゃ・・・」

 と、語ってくれた。今では慣れてしまった方言だらけで。

 戦争が終わったのが昭和20年、その数年後の昭和24年。おっちゃん、学校の夏休み。
 その間、隣の隣の集落の山から木を切り出して運ぶ手伝いをさせられていたという。船で運ぶのだ。

「大けな木じゃったよ」(編集部註:方言の音どおりの表記)

 たくさん積んで何往復もしたのだそう。船から木が落ちるから、それを防ぐ仕事をした。そのころ農家育ちの子どもは大工になる人も多く、そういう同世代の大工は早くから島の外に仕事に出てしまっていた。また、逆に下の世代の子は山で遊んでいる。なのでおっちゃんのようなちょうどいい世代の存在が芝居小屋づくりにぴったりで、駆り出されていたということだ。
 集落の人たちが芝居をやりたくて、「作ろう」となった「芝居小屋」。その建材を運んでいたのだ。その建物が今もある。

 完成した木造2階建ての大きな芝居小屋は、のちに公民館として使われることになる。

「落成記念の行事が三日三晩続いての。芝居やら歌やらなんやら。最後にはもう飽いで」

 最後にはもう飽きた、と。それぐらいのパーティーって、どんなだったんだろう。自分たちが芝居したかったわけで、そりゃそうなるわと思った。

「あんたのような人が、3人おったんよ」

 そういうのを企画する人がいた、しかも1人ではなく3人も。にぎやかだし、なんだかそれはそれで調整も大変そうだ。そのうちの一人が星野哲郎さんだったようだ。

 のちの時代には、興行師とのやり合いもあったとか。このことは地域の文書に残されているのでまた今度まとめたい。

 この時代のことをまだ知っている人がいる? と聞いたら、うーんと考えてそこにいた家族みんなで指折り数えた。

「はあ、もうんだ」

 もうみんな亡くなってしまっていた。その体験を知っているのはおっちゃんだけだ。

 何かが脈々と続いている。また話を聞きたい。

***

 という文章を書き終わり、ミシマ社の編集Hさんに送った。
 その30分後。親戚である義理の父から、連絡があった。おっちゃんが亡くなったという知らせだった。あまりのタイミングで驚いてしまい感情が追い付かない。いなくなってしまったことがまだ信じられない。

 以前、畑のなかで、神棚に供えるサカキが2本植えてある場所があると教えてもらった。けれども、こうもいわれた。
「サカキじゃなくてもマキの木を使えばええ」「マキは仏壇でも神棚でもどちらでも使うてええけえね」

 今その場所をみても、話を聞いていなければ絶対どれがどの木だか全然わからない。まわりには草が激しく生い茂り始めている。
 歩くたびに、いろいろを思い出して立ち止まってしまう。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

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書影ブルー背景.jpg

5/31に発刊となった『ちゃぶ台9 特集:書店、再び共有地』に中村明珍さんによるエッセーが「何様ランドーー共有地」が掲載されています! ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。

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