ダンス・イン・ザ・ファーム2

第8回

見通しは風通し

2022.10.05更新

 ヤギのこむぎを散歩に連れていくと全然帰ってくれない季節になった。家の前の道路に大好物のドングリがあちこち落ちているからだ。「ヤギは食べ物に土がつくのを好まない」と言われていたけれど、コンクリートの道に落ちているので食べ放題。「あまり食べ過ぎてはいけない」はずなのに、帰るころにはおなかがパンパンになっている。リードを引っ張ってもこむぎの力は強すぎて。成長したなあ。
 今年のドングリは、この前の台風の時に落ち始めた。そのときはまだ茶色ではなく緑色で、風に煽られて落ちていた。

 少し前の、2022年9月17日。僕は10年続いてきた法要に出仕するため、島の対岸にある平生町の般若寺にいた。「けちがん」、このお祭りの締めくくりとなった日。空は晴れているものの、風が吹き始めていた。

 お寺での法要のあと、山を下り、ケーキを買って島に帰った。翌日が娘の誕生日なのだった。家には幼馴染家族が大阪から来島。
 そのころ台風14号が南の海上から接近中。「大型で猛烈な」勢力だと報道され、注意喚起と警戒の雰囲気が漂いはじめていた。

 その10日あまり前には台風11号が本州の北をかすめて通っていった。これは進路と勢力のわりに風がとても強く、妻は家が壊れるかと思って寝られなかったそうだ。

 今回はそれよりも強い勢力で接近していたことと、島の近隣では多くの人が口にしていた「30年前の台風」という記憶が蘇っていた。平成3年の19号といえば島の多くの人がわかる、1991年の台風がある。当時島は甚大な被害となり、島の特産である「みかん」栽培を多くの人が辞めるきっかけの一つとなったといわれる。
 このときと同じ「島の左側を通る」台風は危ないと、島を知る誰もが口を揃える。

 娘の誕生日の18日。風も強まり、午後には雨が降り始めた。大阪の家族は予定を早めて島を出た。集落の人々は少し前に高台にできた、新しい公民館へと早速避難。皆さんの家は雨戸が閉まっている。わが家はもともと保育園だったので雨戸がない。毎回、捨てずにとっておいた段ボールをつなぎ合わせ、窓に貼って備える。

 台風14号が島に最も近づいたのは翌19日だった。接近している感覚が段ボール越しの外から聴こえてきた。でもよく見ると、段ボールは早々にはがれていて、ただの窓に直接風と雨が打ち付けていた。あらら。
 その時間もそれほど長くは続かず、その日の午後には雨風がだんだんと治まり、外に出ると蝉が鳴き始めた。段ボール雨戸は旧・園庭にぐちゃぐちゃに散らばっていた。海に出向くと、しばらくして虹が出た。近所の方とばったり会って、口々に、

 「拍子抜けするぐらい。これぐらいで済んでよかったね」

 「台風19号みたいなんが来るんじゃないかと思うちょったけど」

 「あがなが来ちょったら、また家が壊れたりなんだりで大変なことになるけえね」

 つかの間の虹のあいだに、人々がまた普段通りに戻り始めていた。

***

 その数日後の23日。今度は台風15号が発生し、東日本に接近。東海地方を通るルートのようだ。この頃はお彼岸だったことと、進路にあたっていなかったために僕は台風にあまり注意を払っていなかった。ところが―――。

 その台風の通過後に、SNSでは「静岡市清水区が被災」「大規模に断水」という投稿がタイムラインに上がり始めた。それに加えて「なぜ報道されないのか」「対応が遅い」ということも書かれており、災害対応の自衛隊もその時点では「出動していない」「派遣の要請がされていない」と憤りの声とともに上がってきていた。

 これらの様子に既視感があった。周防大島での事故と断水の件と似た匂いがする。

 ただ、SNSを見ているだけでは本当のところはわからない。心が煽られて反射的に反応してしまうかも。静岡県のこの地域だけが目立っているだけかも。いろいろ慎重に受け止めることも必要だ。

 たまたま清水にゆかりがある友人がいたので、その話を聞いてみて判断することにした。
 すると、彼の親がまさに当該地域にいて、電話をしたときは手分けして水を運んでいるところだった。近隣地区では、水などの物資は軒並み売り切れている、と。友人の家自体は県内ながらだいぶ離れている場所で、そこでも店によっては売り切れ始めている。

 「もしかしたらこのあたりまで現地の人が買いに来ているかもしれないですね」

 そして、

 「SNSで言われていることは大体あっているんじゃないでしょうか」

 とのことだった。

 この話をしているころ、ジャーナリストの堀潤さん(8bitNews)が現地に入っていることをSNSで知った。

 9月26日(月)に現地入りしてyoutubeで配信、翌朝にYahoo!ニュースにて取材記事を公開。

 「取材してほしい」という声をTwitterやLINEなどで直接拾って、現地に赴く。僕はほぼ同じ流れを2018年の周防大島での件で経験していた。そのときは、音楽家とイベント制作の知人づたいに堀さんに状況が届き、直接やりとりを始めて来島、全国ニュースの配信へ。このプロセスを目の当たりにした。

 でも、なんで僕はよその地域の災害が気になっているのか。
 実はその前日、松山で再会した「ガッツムネマソ」というバンドマンと名物ライブハウス店長の「アニキ」という、ともにあやしい名前でよく知られる彼らと、たまたま愛媛での豪雨災害、――これも同じ2018年だけど――その時の話で持ち切りになったからだ。

 「バンド関係の人の動きは速い」

 当時も印象深く思ったし、「やっぱりな~」とこの日も同じことを思った。彼らは報道に先んじて動き、情報と物資をつないでいた。そしてこの再会の日には、その事象を利用しようとする人の出現、つまり「手柄を私に」みたいな話も聞いて、今は笑い話でもあるけど笑いごとでもない、なんとまあという会話で盛り上がった。

 とにかく、バンド関係の人がいると災害の現地と「焦点が合う」というイメージがあった。そして今回の場所はどうなっているのだろうと気になった。
 これは2011年の東日本大震災のときから顕著になった流れだと感じる。この当時は僕もバンドだけをやっていて、僕がいたグループにまつわるひと騒動があったのでとてもよく覚えている。

 バンド関係の人たちはライブツアーなどで移動慣れしていて、普段から好きでやっている。だから時に赤字になりながらもやってしまう。大事な場面では採算度外視で動けてしまう。 
 ハブになる。日頃から情報発信に慣れていて「収集して出す」という流れが速い。
 また表現が「観られる」営みなので「煽られ」や「デマ」から距離を保つことが要請されている。信用に関わるから。このことから、平時の活動と緊急時は地続きなこともわかる。

 バンド関係全部がそうではないけれど、大事なときにそれが見えてくる。
 逆の例があった。周防大島では、行政が「不正確な情報に煽られ」てしまっていたのだ。これは復旧後の議会でわかったことで、前著に自分で「ずっこけた」と書いていたのを最近思い出した。

 清水区に話を戻すと、ここではプロであるジャーナリストの方が担っていた。

 堀さんによる現地の方のインタビューのうち、以下の言葉にギクッとなってしまった。

 「私たちが一生懸命、自分たちで発信せざるを得ませんでした。本来発信するべき立場の人たちがしっかりと情報を伝えてくれなかったように思います。市長は断水の解消は1週間程度かかると言っていましたが、その間、私たちはどのように暮らしを維持すればよいのか、もっと対策や見通しを説明して欲しいです」

 またか、と思った。
 「自分たちの生活は自分たちで守る」という周防大島での教訓とは別に、「情報を集めて出す」「対策や見通しを伝える」ことのできる立場の人が、それをしないというのはどういうことだろう。そういう疑問がずっと残っている。

 堀さんは、9月27日の「元首相の国葬」の取材を挟んで、翌々日の28日(水)にも現地に入り、29日朝に公開、さらに10月1日(土)に山間部へ入った。この翌2日に公開された現地のインタビューにも、目を奪われた。

 「私と同じように近隣の惨状をツイートされてる方も多くいらっしゃるのに、なかなか目にとめてもらえていないのではないか、と、疎外感を感じ始めていました。生活道路がこんなに崩落して困っている地区もあることを知って欲しい」

 「疎外感」も2018年にまさに同じことを感じていた。このときは多くの方が関心を寄せてくれたことから「『見捨てられていない』という気持ちになって、救われた」と自分は書きつけていた。

 2018年当時の背景には「水道法改正」の国会審議があり、2022年の今回は「国葬」が日程的に重なっていた。報道の有無とその熱量と、これらの背景に因果関係があるかどうか。あるかもしれないし関係ないかもしれない。詮索する気もあまりしない。
 だけど。
 周防大島のラジオディレクターで農家の三浦さんは、当時も今回も「ニュースバリューがあるかないか」という点を指摘していた。
 「周防大島が断水したとき報道されないのは画的につまらないからと言われたことあった。数字にならないから。そういうテレビをみんなが作ってきたんだよ。」
 と最近、Twitterに書いていた。

 見通し。
 今後のことを考えて伝える。「時間」と「過程」についての見解とでもいえるだろうか。

 家にある辞書では、

 見通し
将来や他人の心中などを見抜き察知すること。予測。洞察。 

④ 新しい事態・課題状況に当面したとき、試行錯誤的に解決を見出すのではなく、問題の全体的構造を把握して解決を図ること。(広辞苑)

 とあった。「予測」という側面がある。また、「解決を図る」の意味もあるのか。

 この見通しのなさは、以前からこの連載で触れている「公民館案件」でも同じように起こっていることに、はたと気づいた。こちらは災害とは関係ないのだけど。

 公民館の件―――壊そうとしている建物を「使いたい」「維持管理したい」という僕の最初の決心から、周囲とのすり合わせ、具体的な方法を探り始めて、話し合いのボールは現在建物の持ち主である「自治会」から土地の持ち主である「町」に移っている。
 「もう少し待ってください」といわれ、担当の部署が変わりながら半年以上が経ってしまった。最近では僕よりも地域の人が「どうなっている?」と前のめりで、先日は集落の真ん中でこの立ち話をしていたら新聞記者の方が通りかかって「あれ、どうなりました」と、なんだなんだ? 感が高まっている。この話はどうも、だいたい不意に、道端で進む。

 公民館のことは災害と違って「平時」でのことだけど、平時ですらこうなのだ。今後どうなっていくかの見通しを聞けておらず、議員さんづてに「見通しが知りたい」と聞いてもらったら、昨日、非公式で見解が得られた。こちらから何度も聞かないといけないのか。
 僕も自治会もどういう状況か知る必要があり、時間が経つにつれだんだん板挟み感が増してきた。どぎまぎしているのだ。この間に建物は傷んでいく。

 平時でも緊急時でも、見通しがない。それか、あっても伝えることはない。一体どうして。

 「未来」についてのことなので、「見通し」も「計画」も一見似ている。
 そういえば、行政を始め多くの場面では「計画」が求められる。僕はこれが正直苦手だ。農業を始める際の補助金申請を検討した際にも、事業計画でつまずいた。
 ただ一方で「見通し」を発表することは、僕はうまくできるかどうかは別として苦を感じない。例えば、ライブイベントを企画していて当日に台風が近づいたとしたら、関係者から順に来場者まで、何がどうなってこうなって。一連の見通しを周囲に伝えていくことはすぐ想像できる。

 見通しは意味に「予測」を含んでいるからか。じゃあ計画は・・・。 

計画
 物事を行うに当たって、方法・手順などを考え企てること。また、その企ての内容。もくろみ。はかりごと。企て。プラン。(広辞苑)

 そうか。「企て」「もくろみ」「はかりごと」かあ。意志を感じる。
 そういえば、いつの頃からか「想定外」という言葉がやたらと使われるようになった。これはどういうことなのか。「想定外」と仲がいいのは「見通し」と「計画」と、どっちだ。

 未来を前にしての見通しや計画、そこに「不確実性」という補助線を引いてみたらこんな風に思えてきた。

 「見通し」を考え発表していくことは、もともと「不確実なこと含み」。不測の事態があっても、その都度対応し考え直し、伝える。その背景の理由や意味も、最重要でもきっとない。
 一方の行政などが求める「計画」では、もともと「不確実なことは排除」されているように見える。そして不確実なことに晒されたときに「どうしたのですか?」「どうしてですか?」と問われる。

 生活していると、「計画」は求められるが「見通し」は示されない。しょっちゅうこれが立ちはだかって、つまずいている。そこにあるのは「不確実なことは言えない」という背景だ。でも、本当は―――。

「僕たちはみな、いつ、何が起こるかわからない世界を生きている」(森田真生)

 これだ、と思った。
 『偶然の散歩』と題されたエッセイ集の中(「誰にもわからない未来へ」)のひとこと。とてもシンプルだけど、そもそもそうなんだ。だから生きることがおもしろい、と感じられる。これが心から納得されていたら。

 「想定外」という用語乱れ打ちは、これが納得されていないことの裏返しにも思えてきた。「企て」「もくろみ」「はかりごと」と仲がいいと考えると、悪意すら感じる。他方、不確実性をもともと含んだ「見通し」からは「想定外」という言葉はそうそう出てこれないのでは。

 生きる喜びが目の前にあることに気づく。苦しさ、しんどさからの解放。そういうことが、この納得から生まれてくるように思う。

 その森田さんに最近教えてもらった本で、あっ! と思うことにぶち当たった。

 天気まかせ、気分しだい、家や仕事の都合、相手の好き嫌いなどというような生活の仕方や態度が堂々と学校の中に入り込めるということと、「学級」がないということは密接に関連しあっている。
 すなわち昔の学校は場当たり主義であるために、「学級」を明確にして、担任と習う生徒と教育内容、そして時間と場所を、あらかじめ明確に決めておく必要などなかったのである。逆に「学級」を持つ学校とは、教えることにかかわるさまざまなことが事前に計画された世界であることを物語っている。『〈学級〉の歴史学 -自明視された空間を疑う-』(柳 治男)

 僕たちが当たり前のようなつもりで入学し卒業していく近代の学校と、その特徴である「学級」。この原型は十九世紀初頭に生まれたという。そして、のちに「学級」に発展するもととなったシステムを普及させるための、ある書物が出版された。そこでは昔の学校(伝統的学校 / オールドシステム)の欠点について「学習が偶発性にゆだねられ」「計画性を欠き」「ロスの多い不安定な」ものだと書かれている、という。

 僕はこの指摘を読んで、
 「これって長所じゃん」
 と思ってしまった。もちろん僕には、今の教育があった上で、反転して気づけたということも言えるけれど。

 最初の方でバンド関係の人と災害のことを書いたけど、バンドに関わることなんて、「偶発性にゆだねられ」「計画性を欠き」、社会的には「ロス」と思われているフシがある。新型コロナ対策の裏側でずっと叩かれてきた一つの場所は、音楽ライブやその会場だったことからもわかる。「不要不急」と。

 でも、例えば災害のときに焦点が合うのはこうした営みとそこに関わる人々。別にバンド関係のことだけを言いたいわけではなくて、ただ、身近な経験があったから。他にもいくつもあると思う。

 そして現に「見通しがほしい」という声が被災地から上がっている。

***

 本当は、不確実性を前提とすることは、社会や組織での関係だけではなくて、ひとりの生き方自体にもいえることだと思う。

 文脈は全然違うけど、数日前に島育ちの大学生とおしゃべりしていておおっと思ったことがあった。就職活動についての話。

 「自分がどうなりたいかは人それぞれなのに、同じやり方で面接して同じように対策して同じようにアピールをして、一つの手段でしか仕事に就かないのが・・・私はおもしろくないと思って」

 おもしろいか、おもしろくないか。
 思わず「そうだ!」と叫んで椅子の後ろにひっくり返りそうになった。見習いたい。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

10月23日(日)「偶然と音楽」開催決定!

​2022年10月23日(日)「偶然と音楽」(出演:森田真生・キセル 辻村豪文・中村明珍)、満を持して開催いたします。森田さんのラボ「鹿谷庵」から生配信。オンラインですので全国どこからでもご参加いただけます。奮ってご参加くださいませ!

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