ダンス・イン・ザ・ファーム2

第19回

2023.08.28更新

 育ててみたいから、食べたいから、知りたいから。そういう気持ちがあって、数年前から自分でも米作りをやってみるようになった。
 広島の山間地を車で走りながら、つい目がいってしまう。ほとんど田植えが済んでいる地域のなかにある、まだ耕されていない田んぼ。それを見て「まだ僕も間に合うかな?」とホッとしてしまうのだった。比べて安心しているなんて、情けない。

 まだ耕されていない田に生えている雑草は、どれもそれほど高くはなってなかった。
 ということはつまり、定期的に草を刈ったりして、ある程度は手が入っているところだとわかる。1年とか2年とか数年何もせずに放っておくと、生えていく植物が草から木へどんどん変わっていく。すると草刈りもどんどん大変になってしまう。島に来てから初めて知ったことだ。

 また、米作りを始めてからは「周りの人ともうまくやっていかないといけない」という意外なことも学んだ。米作りは、川や池といった同じ水源から、周囲の人と「水を分け合う」営みでもあるのだ。

 島にとって、水の確保は昔から課題だといわれている。山が低いことや、島の広さ、降水量なども影響しているだろう。周防大島が米から転換して「みかんの島」となった背景の一つには、水が不足しがちな事情があった。

 だから水道を本州から引いてくるという事情が生まれたし、だからこそ、橋に沿って敷設された水道管を、船が壊して断水したという事件が生じたのだった。

 「わたしらはヤギの乳で育ったんよ」

 わが家のヤギ、こむぎを見るたびにそう教えてくれる人がたくさんいる。昔はあちこちで飼っていたそうだ。それと同時に、

 「牛を飼うとる人もおったよ」

 と教えてくれる。「牛乳? それとも肉を食べるんですか?」と聞くと、

 「田んぼを耕してたんよ」

 「さすがに肉は食わなかったなあ」

 とのこと。耕耘機を使用する前の時代、どうも牛よりもヤギの方が多かったようだ。ちょっとびっくり。

 さて、僕は田んぼに水がなくて植えられなかった年もあったし、昨年は無いなりに植えて大失敗した。これは教訓だ。今年はどうなるんだろう。

***

  今年、今までと違う場所で、より家から近い田んぼをお借りして着手した。この地域周辺にはもう田んぼがないので、水が取りやすく、本当にありがたい環境なのだった。

 これまでは、苗の作り方や水の管理の仕方など、まだ田んぼが多く残っている離れた地域の友人に頼っていた。僕はド素人なので、何から始めればいいのか全くわからなかったのだ。田植えの体験チームに入ったり、苗づくりのグループに混ぜてもらったり、その都度友人に教えてもらう。田が失われて久しい僕の近所には、米作りがわかる高齢の先輩たちが、もういないのだ。

 「かつては近所で共同作業でやっていたけど、もはや個人事業の時代になってしまったのかね」

 と、米作りを教えてくれるひとり、島の養鶏家である小林さんがつぶやいていた。

 今年の苗づくりは、自分ひとりでやってみる。僕はそう決意した。
 これまで教わったことプラス、ネットに上がっている記事や動画などを見てやってみることにした。そんなんでいいのかしら?

 田んぼの中は、泥だらけだから歩くのが大変。足が取られる。転びそうになる。僕は耕耘機を使っていて、泥にはまったり、動かなくなってしまうこともしょっちゅうだ。
 機械はエンジンがかからなかったりトラブルがあると、それだけで作業が止まる。機械は尋常じゃない重さで、泥にタイヤと自分の足が取られるたびに、どっと疲れる。乗って運転するタイプのトラクターがうらやましい。まあ、それはそれで、はまったら大変そうだけど。
 クワやスコップなどを使う方が、疲れ方が人間離れはしていなくて、ほどよい疲れに感じられてきた。だけど機械での作業の速さには全く歯が立たない。たった1人の人力の作業を想像するだけで、途方に暮れてしまう。

 田んぼでの作業は、果樹栽培の場合と違って周りに木陰がないので、強い日差しを浴びる。田んぼと果樹、並行して作業しているので違いが面白い。

 自分でやってみて、稲の苗づくりにはたくさんの知見が積み重なっていることに驚いた。例えば、田植えの日から逆算して1日単位で工程がはじき出されていること。種を水に浸して毎日の水温を足して100℃になったときに、発芽の活動が活発になるのだという。発芽が揃うように計算して作業を進めていくので、かなり緻密だ。以前、育てていた苗が枯れてしまった経験があるので緊張感がある。ちょっと気を抜くと、がっかりする結果が待っている。

 限られた水源から得た水を、そんな緻密な工程を経た苗に注ぎ込む。収穫までの道のりは始まったばかりだ。

 農業が忙しいシーズンになると、携わる人たちにはある種のピリピリ感が漂ってくる。その事情が、今ならわかる。

 広島の山間部を走りながら、前回書いた広島でのG7が頭にちらつく。国の政治家や招かれている人たちに、この感覚は伝わるかな。わかろうとする気持ちは、あるのかな。

***

 苗を育てる作業と並行して、草刈り、荒起こし、代掻き、畔塗りなどの作業が続く。土を耕耘して、稲を植えるための人工の湿地――田んぼを作る。水のプールを作るようなイメージ。

 小さな川を堰止めて、乾いた畑に、水を引き込む。するとそこが水田に変わっていく。そのプールの縁が「畔」で、もし畔のどこかに穴があると水が抜けていってしまいプールにはならない。その穴を開けるのは、例えばモグラなどだ。一連の作業の間に穴をつぶしていく。

 さて、水を入れよう。堰の取水口を開いて、水がばあーっと流れ込んでいく。その様子をみながら、

 「僕はミニ洪水を起こしている」

 と思ってしまった。乾いていたはずの場所に生息していた植物、動物、たくさんの生き物たちは僕が誘導した水の中に没してしまう。さっきまでいたバッタやクモやモグラは、そういえばどうなってしまうのだろう。申し訳ない気持ちが湧いてくる。いや、そんなに生き物たちものんびりしていないか。

 水を入れ始めた次の日。水がたまった田にカモが2羽来ているのを見て、今度はうれしくなってしまった。昨日の今日で、そんなにすぐにお気に入りの湿地を発見できるものなんだろうか。何かを食べている。サギも飛んできた。どこからともなくカメも顔を出してきた。今までどこにいたの?

 翌朝にはカモが10羽に増えていた。息子と一緒に数えて、「こんなにいる!」と盛り上がり、カメもまだいることを確認した。自分が田んぼを作ったら、今までいなかった生物が顔を出してくれたことに、なんともいえない喜びの気持ちがこみ上げてくる。

 初めて1人でやってみた苗づくりは、意外とうまくいった。「米はここら辺では珍しいから」と近所の親戚が笑顔で見物に。

 そうして、1年に1度しか稼働しない田植え機の機嫌をうかがいながら、どこからか漏れている田んぼの穴を塞ぎつつ、数日の間で田植えを済ますことができた。

 だが、喜んだのもつかの間。田植えを終わったそばから今年の豪雨がやってきた。近年では7月あたりに必ずといっていいほど発生している。
 昔は水田だったというわが家の床下には、10cm以上の深さの水が溜まった。近所の農道では前回の豪雨で崩れた箇所が再び土砂崩れを起こし、その下流では川に土砂が詰まって、道路に流れ出していた。その行先は、養蜂家の内田健太郎くんの工房と、僕がこれから引き取ろうとしている、旧公民館だった。すると、

 「田んぼの堰を開けといてくれんかの」「それと水中ポンプが流されるぞ」

 と今度は電話が入った。「何かあったら連絡するけえ」と電話番号を交換していた、田んぼ近くのおっちゃんからだった。以前も、堰で土砂が詰まって水が自宅に流れ込んできたのだとか。

 「多すぎても少なすぎてもいけない」という田の水の管理も必要で、上から降ってくる大量の雨を想定して、川からは流れ込まないようにする。普段足りない水をくみ上げている水中ポンプは川の中に入れてある。これも昔、流されたことがあるそうだ。ポンプを止めて川から引き上げる。

 数日の豪雨のあと田んぼを見たときに、がっくりきた。植えたばかりの苗がかなり消えていたのだ。整然と植えたはずなのに、歯抜けみたいになっている。どうしてなんだろう。

 「水没してしまったのか」

 ぱっと見た感じではそう思えた。苗がまだ小さい状況で、水が深くなりすぎた。逆算して考えると、もっと早く田植えを済ませるべきだったのかもしれない。

 「昔、カメがいたら、他のところに連れて行っていましたよ」

 田んぼの貸主の奥さんに、この場所での米作りのアドバイスをいただいた。なんでも、カメは稲に悪さをするのだとか。

 「それと、カモが来ているでしょう? カモも、泳ぐときに足で植えた苗を抜いてしまうみたいなのよ」「だから鳥よけの対策をしていたこともあるんです」

 ええっ! 僕はバカなのか。それらの生き物が「来てくれてうれしい」なんて、すっかりうかれていたけれど、これはまったくの勘違いだった可能性大だ。

 ちょうどそのころ、農家の知人もSNSで「カメが稲を食べている」と投稿していた。ここに来ていたのは、大きなミシシッピアカミミガメ。どうやら本当に食べているらしい。今日もカモがつがいで来ている。どおりで、植えても植えても消えていくわけだ・・・。

***

 豪雨のあと、ちょっと離れた島内の地域にいる、僕の何十倍もの面積を担っている米農家の友人と話した。

 「豪雨の被害はなかった?」

 と聞くと、

 「このあたりはなかったよ。やっぱり田んぼが多いから、急に水が流れていかないようになっているからじゃないかな」

 とのこと。田んぼが治水に大きく関係していることが、彼の目線から伝わってきた。

 この時期、僕は米のことを知りたくて『日本の米』という本を読んでいたのだけど、その中で意外な一言に出会った。

「『自分の水は自分で作る』」(『日本の米 環境と文化はかく作られた』富山和子著)

 米の話を読んでいたら出てきたこの言葉。「水」って、作るものだったのか!
 この一節に書かれていたのは、水がない地域で、いかに水の流れを作ったか。米の生産と物資の輸送、飢饉という江戸時代の事情を背景に培われた「水を作る」という考え方。それは、山への植林から始まるという。

 周防大島での暮らし、みかん栽培、断水の事故、米作り。どれもに通じていく考え方に、僕には思えた。

 ふとこの光景が重い浮かぶ。先日の豪雨の後、土砂崩れで詰まった川のほとりで近所のおじさんから出た、ぼやき。

 「ここにこのパイプがあるけえ詰まるんよ。前にも、いうたんじゃけどのお」

 と怒り半分、あきれ半分。この詰まりのおかげでおじさんの畑が水浸しになったそうだ。しかもこのたびで2回目。

 川に沿って付けられているパイプは、山から引いてきたもので、どなたかの家庭へとつながっている。道路が交差するトンネルの箇所で、その家庭用水のパイプが分岐している。大雨で運ばれた土砂と流木や葉っぱは、トンネルとパイプのごちゃごちゃした分岐に引っかかって絡み合い、完全に塞がって溢れた。

 以前の断水のときに、こうしたパイプを通って家庭に提供される「山の水」が重宝していたのを知っている。だから、この光景をみて切なくなった。水をめぐる島の事情、畑の事情、家庭の事情、それらが絡み合って、川が溢れていた。

 育ててみたいから、食べたいから、知りたいから始めたのに。今、米よりもまず「水」のことを教わっている印象が、一番強い。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

6月刊ちゃぶ台11 特集:自分の中にぼけを持てに中村明珍さんのエッセイ「人生が溶けだす」が収録されています。ぜひご一読くださいませ!

また、2023年9月16日(土)、中村明珍さんの著書『ダンス・イン・ザ・ファーム』の装画を描いてくださったTim Kerr氏のユニットUp Around the Sunのライブが、周防大島で開催決定です!

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