第43回
波の谷間に
2025.09.30更新
先日、近所のおうちに米配達をし終わった直後。向かいのバス停に一人、お年寄りがいたので、声を張ってあいさつをした。ちょくちょく見かけるおばあちゃんで、たしか90歳を超えていたはず。前に立ち話したときに、年齢の話題になったのだった。
「こんにちは~」
と声をかけると、ニコーっとこちらを向いて、叫んだ。
「あんたあ! この前はよかったよぉ! 歌!」
といきなり大声、手招きするようなジェスチャー。バスが通る道を挟んでの会話であった。声のボリュームとともにそのメッセージにびっくりした。
このおばあちゃんが伝えてくれたのは、先日の地域の集まり、「敬老会」での感想だった。
今年、僕は地域の自治会役員になったこともあり、その会にスタッフとして参加することになった。9月の「敬老の日」のお昼に、地域のお年寄りたちに集まっていただいて、食事しながら行う懇親会。しかもその合間に余興が入るという。僕にとっては初めての会だ。
そして、ここ周防大島の和佐は作詞家の星野哲郎さんの出身地で、ともすれば演歌の本場なのだった。皆さん次から次へとカラオケで十八番の演歌を歌うそうで、加えてここでは、本物の演歌歌手も歌うような音響・照明機材とオペレート技術を持った方も住んでいる。ついこの前は、紅白歌合戦で毎年のように出演している歌手の三山ひろしさんが取材で訪れたばかりだ。けん玉でもおなじみのあの方。なかなかな地域なのだった。
その敬老会、場合によっては役員もなにか出し物をしないといけないらしい。そのことをわりと直前に聞いた。
「僕はうるさい音楽をやっていましたからね、ほら。もしギターを弾いたらおばあちゃんたちびっくりしちゃいますよ」
「敬老会、歌いたい方もいっぱいいらっしゃるでしょう?」
「僕のギターはね、ほら。やめときましょう」
とことあるごとに、やんわりお断りをしているつもりだった。ところが、
「中村さんにもやっぱり歌ってもらいます」
と数日前に連絡が入った。カラオケか? ギターなのか? なんでも、昔は歌いたい人がいっぱいいたけれど、年々参加の人数が減ってきて今はプログラムの時間が余って可能性があるとか。そんななかで「会を盛り上げてほしい」という。そうこうして、本当にやらなければならなくなってしまった。僕、つらい思いでバンドを辞めた人間なんです・・・。
「中村くんはさ、ロックとかをやっていたわけでしょう。お年寄りにはそれだとちょっとね」
「みんながわかるような歌だといいかもね」
「ボーカルじゃなくてギターだったんでしょ? だったら、歌なしでギターだけでもいいんじゃない?」
といろいろ助言をもらった。この数日間、なにを求められているのかわからなくなり、近所の皆さんにどうしたらいいか聞いてまわったのだった。会場は、ライブハウスではなく新しい公民館。オーディエンスは90歳前後の方たちだ。
そしてあれこれ思案して、一夜漬けに近い形で練習をして当日を迎えた。
***
「それでは、令和7年の敬老会を、執り行います」
開会宣言からさっそくスタート。カラオケのトップバッターは、参加者のなかで最高齢と思しき長老のおじいちゃんだった。補聴器をつけていて、腰をかけられるタイプの手押し車から立ち上がり、マイクを握る。隣にいた方に「おじいちゃん、何歳くらいなんですかね?」と尋ねたら、
「93か4よ」
と答えが返ってきた。げぇっ、そんなに。さっそく演歌のイントロが流れ、第一声。
で、デカい。
その声のボリュームに度肝を抜かれた。90歳を超えて、こんなに声が出るのか。そして意外といっては失礼だけど、リズムもオケにあっていて、手拍子を添えるとさらに安定していく。
子どものころに観ていた「NHKのど自慢」を思い出す。わが家では週に一度、この日曜の昼だけ、父親が袋のみそラーメンを家族にふるまうのが常だった。画面の向こうでは、ご当地の歌のうまい人たちのなかで、生演奏のオケとどんどんズレていく年配の出場者の姿もあった。微笑ましい光景とともに、年を取ればそうなるものだと勝手に思い込んでいた。勘違いしていて、すみませんでした。
そういえば数年前にも、近くのスナックが閉店する日、カウンターに座っていた人がマイクを取った。歌い始めると誰よりもドスの利いた深く大きな声。横にいた人に聞くと「あの人は常連さんで、90歳超えているよ」と教えてくれて、このときにもびっくりしたのだった。恐るべし大先輩たち。
さて、長老が敬老会の1曲目を見事に歌いきると、会場は喝采と拍手で湧いた。すると、その隣の夫婦がごそごそし始めた。スタッフである役員の1人がマイクを持ってかけよると、
「えーっと、ここで飛び入りです!」
と2組目にしてプログラムになかった人の参加が決定。なんと、トップバッターのおじいちゃんの弟が兄に触発されて「歌いたい」となったそうだ。こちらは夫婦でステージへ。さっそくイントロが流れ、Mさん夫婦は歌い始める。するとプロの音響師であるSさんが、
「ありゃ、キーが違うじゃろ」
とミキサー卓の前でつぶやいた。飛び入りだったからなのか、とくに奥さんがキーが合っていない様子だったが、なぜか奥さんの方の声が大きく出ていて、楽しそうに夫婦で歌っている。こちらは80代のデュエットだ。
なんか元気。楽しい。続いて登場はうちの義理の父。こちらは「Uターン移住プラスこの集落によそから婿養子」なこともあり初の敬老会参加。「永遠の80代です!」「私たち夫婦も、Mさん夫婦を見習ってやっていきます!」と調子よくイントロのなかに前説を入れ込んで歌っていく。盛り上がっている。
80、90代のおばあちゃん達グループも、練習をしてきた唱歌をみんなで歌う。歌の花が咲いている。
そうこうしているうちに、それぞれ役員の出番も回ってきて、ついに僕にも声がかかった。結局、僕はギター+歌を歌うことにしたのだった。見よう見まねで演歌の弾き語りをすることに。といっても僕は弾き語りをするタイプではなかったし、ましてや演歌の経験ほとんど0。歌ったことがない。それでも、せっかくだからみんなが知っている曲を歌いたいと思い星野哲郎さんの作品から「兄弟船」を選び、もう一曲もチョイスしてメドレーっぽくしてみた。
そもそも、僕はギタリストとして当時から大変困っていたことがあった。
「お前のギターには『こぶし』がない」
という問題だった。こぶしって、あの演歌の? こぶしってなんだ。ギターにこぶしって、なんだ。その感覚を掴みかけては消えて、疑問を宿したままバンドを抜けて、島に辿りついた。
恥ずかしいけど、ずっとなんとなく「グ―」のことだと思っていた。「こぶし」、五木ひろしさんの歌い方のイメージがあるからか。ところが、これは「小節」(こぶし)なのだと知ったのはごく最近のこと。この地域で演歌に触れ、古典芸能、なかでも語りと節が行き交う浪曲に出会い、お寺の法要で「声明」(しょうみょう)というこちらも節がある経典を唱えるようになったこと、それとも近しい法螺貝のメロディーを意識するようになったたこと。それらから、なにか共通したものが伝わってきていた。
そして、ここにきて演歌を実際に弾きながら歌ってみて、やっと少しだけ「こぶし」に出会えた感じがあった。ものにできるかは別として、演歌の歌と感情はこういう関係になっているのかと。
結局本番では、これまでのどんなステージよりも緊張して、「あ! キー間違えた」と心の中で思いながらも、諸先輩たちが一緒に歌ってくれる様子に心を押されながら、下手でもやり終えた。あらためて、いい歌詞といいメロディーだなあ。終わると、
「それでは、もう一曲中村くんがやっていた音楽を歌ってもらいましょうか! あ、でもうるさいかな?」
と役員の方から勢いがはみ出てきた。あれれ、これはやめといたほうがよいのではと思いつつ、戸惑いながらせっかくだからとワンフレーズだけやってステージを降りた。
冒頭のおばあちゃんのバス停での叫びは、その光景についてだった。わざわざそんなことをいってもらえるなんて、最初躊躇していたけど、やってよかったな。別のタイミングでも、違うおばあちゃん達から同じようにいわれたのだった。ありたがたい。
僕がいたバンドが有名だったかどうかは関係なくて、ここにいた人たちにはそんなことどうでもよかった。年が離れていて来歴もさまざまだけど、通じ合うことができるのを初めて知った。
***
それにしても、鳥羽一郎さんが歌う「兄弟船」は名曲だな。「波の~」と歌えばそのまますぐに次が口をついて出てくる。そして、いかにも船を漕いでいるようなリズム。手漕ぎの風景なのかな。最近、近所のおばあちゃんに「これもういらないから、焚き付けで持って行ってくれ」といわれたのは、でっかいアイスの木のスプーン状の、船の櫓だった。そう遠くない昔まで使っていた様子が想像される。
もしそうだとすると、最近のエンジンの船に乗っている漁師さんのリズムとはどんなものだろう、とあらたな疑問が湧いた。もっと速いテンポでもよさそうだ。
最近の船に乗る人の音楽のノリやいかに・・・と思っていた矢先、たまたま漁師の直売所的な魚屋さんの友人に用事があったので、お店で聞いてみた。
「最近の漁師さんの聴く音楽ってどんな速さ・・・」
と質問しながら一緒に厨房のドアを開けたら、
ドンツクドンツクドンツクドンツクドンツク
と爆音で想像以上の速さの音楽が流れてきた。テクノか。そうか、こんなに速いんだね! というと、
「いやいやこれはたまたまよ、オレこういうの聴いていると作業が捗るから。ただの好みよ。漁師は関係ないよ」
と照れくさそうだった。僕は自分の仮説を裏付けてもらえたみたいでムフフとなった。
そしてこの見立ては、意外にもロックの歴史へと続くのであった。
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