ダンス・イン・ザ・ファーム2

第48回

居場所と心

2026.03.30更新

 季節が変わり、鳥が道路を横切ることが明らかに多くなった。朝、子どもたちを学校へ送る車の、フロントガラス越しに見える光景。

 茶色か灰色が混じったような小鳥の群れ。キミドリ色の小鳥たち数羽は、メジロだろうか。車にぶつかりそうになるので、多分この冬に生まれたばかりの子たちではないかな。この世に生まれ出たばかりで、初めて出会う「車という物体」なのだろう。そういえばイノシシの親子も似たような感じで、こちらが近づくまでしばらく気づかれないことが多い。

 ハトのカップルが驚いて飛び立つ。目を奪われるきれいな色をしたキジのオスが疾走して逃げる。飛ぶのがどうにも苦手そうで、羽ばたくときはいかにも「むむぅ、やむを得ん」という感じの音がしている。

 ガードレールにじっと止まっているトンビは、動いているこちらの運転席と同期するように首をゆっくり回し、目で追ってくる。たまに上空でカラスとケンカしている。

 背中が瑠璃色でお腹がオレンジ色の小鳥はしょっちゅう岸壁に止まっている。近づくといつも逃げて、少しだけ離れた場所に戻ってくる。なんという鳥なんだろう。

 真冬と比べたら、声も大変賑やかだ。ウグイスの声にエコーがかかって山に響き渡り、その手前でも別の鳥がチチチと鳴く。聴いていたら不意に泣きそうになった。

 2026年の冬は少雨だったということで、まとまった雨が降ったあとは鳥も植物も元気そう。新緑が木の枝先から見えてきて、なんともいえない感動を覚えた。靴紐を結ぼうとしゃがんだら、小学生だった頃の匂いがした。土と草の間からあがってくる、なんともいえない空気。空き地で遊んでいた記憶が蘇って、体を通り過ぎる。空き地があったなあ。僕の登下校は徒歩だった。

 今、上の子は高校生で、島外の学校へ通うために家から15分ほどのバス停まで車で送る。下の子は小学生で、10分ほど先の学校まで車で送る。通学については、都会に住む友人たちによく聞かれるのだった。

***

 飛行機に乗り遅れた。親元への帰省を兼ねて、息子と何年かぶりに上京する予定だった。周防大島から最寄りの空港へ向かうと、出発時刻には間に合っていたものの、

「お預けの荷物の締め切りを過ぎてしまっています」

 そのためご予約の便には乗れません、と告げられた。慌てて、

「あ、じゃあ荷物を手で持って入りますので」

と、焦りながらカウンター越しに伝えると、

「すみません、この大きさだと手荷物では持ち込めないんです」

 と丁寧に返された。迂闊。いつもは荷物が小さめなのだけど、今回は息子の分も入った大きめのスーツケースだった。息子が横でとても不安そうな顔をしている。それはそうだ。僕も初めての経験だ。恥ずかしい。

 前日までいろいろな業務が重なったことに加えて、確定申告も終わっていなかった。それで荷物に領収書まで入れていた。なにも東京まで持っていかなくても。

 しかも油断していたのが、空港手前の渋滞だった。朝イチだったし、都市部ではないので混むとは思っていなかった。じつはこの空港は、米軍基地に併設された場所であるため、基地への通勤ラッシュがあったのだ。僕はその通勤ラッシュを知らなかったのだけど、あとで島の友人に聞いたら「朝はそうですよ」と忠告があった。

 この時期に中東で戦争が始まっている。この渋滞と戦争は直接には関わっていないが、複雑な気持ちになった。

 たまたま次の便に乗れることになり、2時間遅れで東京へ。ありがたい。父親たる僕にとっても勉強になったが、息子にとっても今後の経験になっていればいいと願う。恥ずかしながら。

「勉強になったね」

というも、「これだから」とちょっと呆れられた。

 東京に到着。小学4年生なので、以前よりもいろいろなことを言葉で表現してくれるようになった。空港の飛行機の数、空港内を歩く距離の長さからして違う。実際には親子で東京に何回か来ているけれど、なにもかも初めて出会っているような気持ちが伝わってくる。都心部に出る道中、

「あれはタワマン?」

と、それほど高くない雑居ビルを指差していう。

「バスにはいつ乗るん?」

 まだまだ電車を乗り換えるよ。島ではバスが馴染みなのだった。

「まだ歩くん?」

 都会の方が歩くのよ。

「人も車も多いね」

 そうだね。最初に乗った電車でさっそく切符をなくし、今度は気をつけようとお互い反省する。初めからICカードやスマホで改札をすり抜けるよりは、面倒だけど切符から経験した方がいいかなと思っての失敗だった。昔は一つ一つの改札に人が立っていたんだよ。

 空港も駅もお店も、どこも人だらけなので、迷子になったときのことを2人でシミュレーションした。彼は自分で考えて、

「もしはぐれたら、近くの人に『携帯を貸してください』っていって、電話する」

と提案してきた。なんだか島の子っぽい発想だと思った。人に話しかけることを恐れていない。自分が子どもだったころは、知らない大人に話しかけることができなかった。恥ずかしかったというか、怖がっていた。この子は、トイレを一人で探すのにもわからなかったら店員に尋ねて辿り着いていた。

「とりあえず、もし迷子になったら駅員さんに『迷子になりました』っていおうか」

と提案すると、

「わかった。もしそうなったら、帽子を脱いでね。『お父さんの目印は坊主です』っていうから」

と促された。

 昼にお腹がすいて、「なんか食べたい」という。見まわして、まわりが飲食店だらけなことに気づく。ショーウィンドウを見て回り、「カツ丼が食べたい」。東京のあちこちで見るおそば屋さんのスタンドに入り、カツ丼とそばを注文する。

 食べ終わって、「どうだった?」と聞くと、

「んーおいしかったけど、城山食堂の方が好きかな」

 との答え。城山食堂とは、子どもが通う小学校のわりと近くにある島の食堂で、家族でよく食べにいっているのだった。ソウルフードはこうして形成されるのか、と思った。

 「そうか、そうかもね。東京だと味がちょっと違うんだよ。西日本と違って醤油とかの味が濃くなるからね」

と話した。すると、

「このそば屋は、外が都会になっている城山食堂だね」

と返された。その話をしながら、僕はあることを思い出していた。

***

「なんでこんなのがおいしいと思うんだ」

 東京でバンドをやっていたとき、メンバー・スタッフみんなで飲食店に行った際に、なにかのごはんを食べた。それは「うす味」のなにかだったのだけど、僕はそれをおいしいと思い、素直に「おいしい」といった。それがよくなかったようだ。そこにいるチーム全員が山形出身の人で、僕だけが東京出身だった。しかも両親は広島県の出だ。うす味のわが家、それが馴染みの味だった。

「こんな味のしないものをうまいと思うなんて。人としておかしい」

 とまでいわれた。冗談ではなく真面目なトーン。なにもそこまで言わなくても.・・・。いま思えば、ひとつ小さな悲しみが刻まれた瞬間だった。こうしてたびたび思い出してしまうけれど、たぶん言った方は忘れているだろう。それが世の常だ。

 山形で食べた料理はどれもおいしい。と当地へ足を運ぶたびに思っていた。そして、総じて味が濃いことも感じた。今は気候や土地、その他さまざまなことが関係してこの味が形作られているのだろうと想像できる。「馴染みの味が違う」、ただそれだけのことだった。

 ちなみに、「東京出身」と書いたけれど、そのことで芋づる式に出てくる小さな悲しみもあった。

「おまえは埼玉出身だろう」

 職業柄、プロフィールを尋ねられることが多いなかで、あるときからこの質問につまずくようになった。たしかに今、実家があるのは埼玉だ。でも、生まれてから14歳までいたのは東京だ。どっちをいうか迷って、とりあえず総合的に「東京」というようにしていた。ところが、

「東京といいたいだけだろう」

 正直に「埼玉」といえ、という場面があった。東京というイデオロギーに飲まれている中村、といいたかったのかな。一体なにを言えば正解だったんだ。今もこの質問があるたびに、少しだけ時間が休符になってしまう。

 そのほか、結婚、子ども、トーク、演奏、いろいろなワード、会話、エピソードを思い出すたびに心の裂け目から何ともいえない気持ちが湧いてくることがある。そのどれもが些細な、しょうもないことだったのに。

***

 島に帰ってきたら、やっぱり鳥たちの動きと声に心も動く。都会と何が違うのか、高いところで止まれる場所の数や質が違うのかな。島の山々はかつてと比べて荒れているといわれ、宮本常一が残した写真を見ると、今と昔とはずいぶん違うことがわかる。それでも、雑木の影から、竹林の中から声が聞こえてくる。止まり木の数が違う。ときおり巣作りのあとも見る。居場所と、食べ物がたくさんあるのだろう。

 木々の芽がまた生えてきている。山の道を掃除していると、秋に落ちていたどんぐりがたくさん出てくる。人間でも「発芽玄米がうまい」というくらいだから、芽生えそうな種はおいしいのかもしれない。

 暖かさと雨の潤いに呼ばれたのか、虫もだんだん出てきた。ヘビも動き始めた。

 先日、爆弾が船に落とされる映像をみてしまったとき、人の死とそのどうしようもなさ、辛さと同時に、その海の中の生き物はどうなっているんだろうと思った。人も生き物も命あるものには変わりない。

 さっきの僕の悲しみは、それに比べたらちっぽけすぎるほどちっぽけ。なのに、叫び出したくなる時がたくさんある。どうしたらいいのだろう。

 人間関係や人の社会の閉じた状態で、悲しみがループする方向に注力していくよりも、もっと外側にも生き生きと、どろどろとした営みがあることを知れたら。そうして注意を広げて向けていくと、自分の小さな悲しみも、一度溶けて組み替えられて、自分の力になっていくように思う。近頃そう思うようになってきた。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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