ダンス・イン・ザ・ファーム2

第45回

見えないものの流通 後編

2025.12.17更新

「これまで食べたメキシカンフードのなかで一番おいしかった」

 と英語で伝えてくれたのは、隣のそのまた隣の集落から来てくれた方。ハワイから近年周防大島に移住されたご夫婦だった。

「家に帰って、食べたタコスの味を思い出して泣いた」

 とまで。オーバーに伝えてくれているのかもしれないけれど、関わった身としてこんなにうれしいことはなかった。そこから、

「母が来月周防大島に来ます」

 という話が奥さまから届いた。今回の発起人であるシェフはすぐさま、

「もしよかったら、そのときお食事会をしませんか?」

 と応答した。おいしい料理をふるまいたい、と。90歳のお母さまはハワイにおられて、「クム」といわれる伝統のフラの先生なのだった。じつは昨年も来島されていて、そのフラを味わいたいと、周防大島からだけではなく全国からも集まっていた。クムはハワイの言葉で「先生」という意味。先生の名前はクムフラ・パティ・ケアロハラニ・ライト。パティ先生だ。先生たちのなかでもクムフラという称号は、フラの正統的な継承者として認められた方が授かるのだそうだ。

 ちなみにフラダンスとはいわずに「フラ」と呼ぶのが正しいと僕が知ったのも、周防大島に来てから。「フラ」が「ダンス」という意味だから。

「すごいことになった」

 とシェフ。じつは前回から書いてきた「お接待タコス&お惣菜」には、前段があった。シェフがその昨年のフラを観ていたのだった。

***

 旧公民館の存続を期して、僕が建物を取得する少し前。2024年の9月下旬、秋のお彼岸のころ。

「すごいものを観た」

 とシェフに勢いよく話しかけられた。

「おばあちゃんのダンスがすごい」

 ハワイの女性が踊るフラを間近でたまたま観たのだそうで、そのまま鮮度抜群の興奮を伝えてくれたのだ。

「ほんとになにか宿っているみたいだった」

 踊る、ということの奥に、なにかを観たようだった。あれは絶対体験したほうがいいと勧められた。

 それからほどなくして、今度は、

「お餅つきやらない?」

 といい始めた。彼がそのアイデアを思いついたのは、そのフラをみたことがきっかけだと熱く語る。見えないものを感じようとする勢い。なんでオモチがフラに?

 そんな疑問をよそに旧暦の正月にやってみようということで調べてみると、今度の旧正月は〈2025年1月29日〉となっていた。折しも、2025年1月をもって旧公民館の管理者が僕になり、名前を「和佐星舎」と変更。そのため、このお餅つきが和佐星舎の初めての行事になる。

 和佐星舎の外に張り紙をして、「旧正月のお餅つき」を有志で行うことにした。これがここでの最初の行事に。

 準備を短期間で行い当日。外で熱々の湯気とともに杵と臼でついていく。横では丸める大人と子どもの姿。温かい猪汁も作ってふるまった。元祖・お接待だ。

 ここに寄贈いただいたお地蔵さんの仏画を開眼して、本尊としてそばにいてもらったら、「お地蔵さんにお餅を最初に供えにゃあ」と地域の方が手伝ってくれてお供えやお賽銭があがったりした。太鼓も借りて、ドンドコやりながら次々に餅をつく。

 ただただ楽しく、もち米も余っていたのでもう1回転餅をついた。そうしたら、盛り上がりすぎだったのか、電気ケトルが手違いで燃えてしまった。このとき僕たちは「やりすぎ注意」という教訓を得た。

 あとで宮本常一が手がけた郷土史を読んでいたら、昔の戦に由来してこの地域では「正月には餅を食べない」(つまり当時は旧正月)というローカルな風習が記録されていた(参考:「周防大島民俗誌」など)。さらに近所の方に実際のところを質問したら、たしかに食べないおうちがあったけど、旧正月に行うのは大丈夫だろうという解釈になった側面があるそうだ。暦が新暦になって正月の日付が変わったから。

 こうした小さな糸口から、地域の過去とのつながりも再発見されていくのは面白い。

 また、当の場所が7年前の島の「断水」の現場と重なって、結果的に「緊急時の炊き出しの練習になっている」とも感じた。

 そこから半年後、8月にお接待タコス&お惣菜を行い、そのことをきっかけにして1ヶ月後の食事会を開くことに。

***

 当日はパティさん家族三世代に加えて、パティさんをお慕いするフラの方たち、そして全く違う経緯で島に訪れていた神奈川から修学旅行中の5人の高校生、その引率者の中国から移住された奥さんと周防大島の旦那さん、そして僕たちお接待スタッフという、なんだかバラエティ豊かなメンバーとなった。

 1台のワゴン車がつくと、1人の年配の女性が歩いてきて、温かいハグをしてくれた。

「子どもたちがすごいメキシカンフードを食べたっていってた、ありがとう!」

 と英語で伝えてくれた。この方がクムフラ・90歳のパティさん。ほんとはたぶん僕に伝えたいのではなくてシェフに伝えたいのでは。僕とシェフを間違えているかもと思った。そう、僕とシェフは同じような背格好で坊主頭、あちこちで間違われる見た目なのだった。この温かいハグが人違いで終わってしまうのはあまりにもったいないと思い、シェフをあらためて紹介して、対面がかなった。

 パティさんの息子さんは、再び「先月のタコスが本当においしかった」と伝えてくれて、じーんときた。「テキサスを思い出した」という。あれ、ハワイじゃなかったのかな?と思っていると、

「じつはテキサス育ちなんです」

 と教えてくれた。パティさん家族、もともとふるさとはテキサスのエルパソだそうで、のちにハワイに移住したという。テキサスはメキシコに面しているので、メキシカンフードがふるさとの味。それがこのたび「今まで食べたなかで一番おいしかった」となって、お母さんがはるばるやってきてくれたのだった。食の力、おそるべし。

「タコスに紫のタマネギが入っていたよね? あれはメキシカンではなくてたぶんジャパニーズのテイストだと思うんだけど」

 ともいわれた。そう、入っていましたよというと、

「あれがまたおいしかった」

 とも伝えてくれた。そうだったんだ! じつは紫のタマネギ、埼玉にいる僕の母が家の畑で育てて送ってくれたものなの。シェフが取り入れてくれて、タコスに添えられたの。僕の母までリモートで参加していたなんて。

「それから、なんでRell Sunnの絵が飾ってあるの? あれはあなたが描いた?」

 と会場に掛けてある絵についての質問があった。いえいえ、描いたのは僕じゃないんです、ティム・カーといって、僕の本『ダンス・イン・ザ・ファーム」の絵を描いてくれたテキサス在住のパンクバンドの......テキサス!

「僕ではなくて、すごくかっこいい人に頂いたんです」

 叫び出しそうだった。

 この絵はティムが2年前、初めてこの場所にライブしに来てくれた際に、アトリエから持ってきてくれたものだった。影響を受けた大好きなアーティストから「一枚あなたにプレゼントするよ」といわれて飛び上がりそうになりながら、たくさんの絵についての説明を本人から聞いていた。その中の一枚は、僕が知らなかった女性の絵だった。

「これはハワイのRell Sunn。クールなサーファーの絵」

 と教えてくれて、数々のミュージシャンなどの絵のなかからこの絵が気になり、ありがたくいただいた。

「このサーファーはかっこいい人です」

 と、ご飯を食べながらパティ先生の息子さんも教えてくれた。「なんで飾ってあるの?」とびっくりしたという。僕もびっくりだ。ハワイ、テキサス、周防大島。

 タコス会のメインスタッフの1人、坂井遥さんはパティ先生の滞在中の通訳を担当してくれて、ハワイやフラの文化が伝わってくる。

「フラは、ストーリーテリングなんです」

 とパティさん。文字がなかったハワイ文化のなかで、踊りが語りである。そうして物語が伝わっていくのだという。

 食事と歓談を堪能したあと、おもむろにパティ先生が立ち上がり、

「今日はほんとうにありがとう。お礼に、踊ります」

 というや否や、驚くほど自然な流れでフラの踊りに入っていかれた。僕は音楽をするときに「えいやっ」と気合いのような境目が挟まってしまうので、生活と切れ目なくスムーズに入っていく姿に憧れを抱いた。

 パティ先生とお孫さんと2人で踊る。そして愛媛から来られたフラのダンサーの方も一緒に踊る。足腰、手指に至るまで、繊細に語られている。何かが宿っている。シェフがこの踊りでどうしてか「餅つき」を思いついてしまったのも、今ならわかる。何かを届けてもらった感じだ。僕は印を結ぶ系統の仏教を授かっているけれど、手指に宿るものにも、共通する何かがありそうだ。

 さらにパティ先生、傍らにたまたま置いていたウクレレを耳でチューニングし始めて、こちらも語りからスムーズに歌が始まった。ハワイが目の前に浮かんでくるような美しい歌。このウクレレは、大学の卒業旅行で男3人ハワイへ出かけたときに、僕がお土産で買って帰ったもの。当時の僕は歪んだパンクバンドを熱心に演奏していたので、あまり活躍することがなかったウクレレ。25年ほどを経て、現地の伝統の偉大な継承者の方に、魂を入れてもらった。

 大喝采のなかで、食事会が終わった。あとで気づいたのだけど、この時もちょうど9月のお彼岸。一年前のお彼岸のフラが、食事を通して一年後のフラへ。サイクルがぴったりと重なっていた。

「来年も来ますね。地域の方にも来ていただけるような、フラのライブをやりましょう」

 というサプライズの言葉も。なんだかどきどきする。建物も喜んでいるのではないか。

***

 フラ、踊り、お餅つき。お接待、タコス、お惣菜。

 お接待タコス&お惣菜の日が大成功で終わり、スタッフみんなで打ち上げをしていて、次のようなことが語られた。

 タコスの仕込みのなかで、会場すぐ隣の畑に少し大きめの「穴を掘る」ミッションがあった。メキシコに由来する、シェフ肝いりの作業の一つだ。穴堀りを担当したのは、島育ちの若者のTくんとHさん。たまたまその2人が取り掛かれる状況にあった。

 Tくんはその日が暦で「土用」の後半にあたることが気になっていた。彼は大工の息子で、自身も大工仕事ができる。そして、土用の間は土を掘ることを避ける風習があることを彼は知っていた。

「土用か・・・」

 だけど、今回のお接待に必要な作業であることから、TくんはHさんとともに、こうすることにした。土地のみえないものに挨拶を―――。

「明日、楽しい会にしますので。どうか許してください」

 そういって二人で手を合わせた。それから、掘り始めた。

 僕はこの会の準備で、前日まで毎日のようにつまずきがあったので、あるいは何かのきっかけでうまくいかないのでは、と思っていた。だけど当日は想像以上に大成功。その理由には、このふたりのような、ささやかな心が場所に響いていたからに違いないと思った。なかなかできない、こんなこと。こうした一つ一つが積み重なって、やっと願っていた場所が立ち上がる。想像していて、思わず涙がこらえられなくなった。

 そしてこのことが、次のフラへの契機となった。

 パティ先生と踊ってくださった愛媛の方は、あとでもともと編集者だったことがわかる。そして最近、もう1人編集者でフラを踊られている方がおられることもわかった。文字を司る方たちが、非文字文化に触れられているのも興味深くて面白い。どんな感覚か、訊いてみたい。

 70年以上前に地域の人で建てた2階建ての芝居小屋「青年会館」、それが公民館として長く使われた。今もなお、建物のまわりで何かが起こっている。

 この旅路、いったいどこへ続いているのだろう。

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【イベント開催のお知らせ】

2025年12月20日(土)

数学の演奏会 in 周防大島 2025師走

出演:森田真生

会場:周防大島「和佐星舎」

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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