朴先生の日本語レッスン――新しい「普通」をめざして

第34回

五木ひろしから新たな宇宙へ

2026.05.06更新

 私、生まれも育ちも生粋の韓国。三食キムチは当たり前、血中にはニンニク成分が流れていると噂の、正真正銘の韓国人でございます。

 そんな我が国で、私の子供時代、「外国語」という名の神はただ一人しか存在しませんでした。その神の名は、そう、「英語」

 そして、神の言葉を地上に伝える預言者たる学校の先生方は、まるで呪文のように、いや、もはや予言のようにこうおっしゃるのです。 「大学入試の英語点数が、お主の未来を決定づけるのだ!」

 なんと恐ろしい予言でしょう。未来が、たかだかアルファベット26文字の組み合わせに支配されるだなんて。 いたいけな十代の私はその神託を120%信じ込み、聖典『文法問題集』をまるで宝物のように抱きしめ、満員電車で揺られながらブツブツと聖句(=不規則動詞の変化)を暗唱する、敬虔な信徒と化しました。

 しかし、今ならわかります。悟りを開いた今だからこそ、はっきりと言える。 あのとき私が血眼になって学んでいたのは、シェイクスピアやクイーンを生んだ「英語」という文化ではありません。マークシートに「正解」という名の神を降臨させるための、ただの「試験召喚呪文」だったのです!

 そんな、元・試験英語召喚士だった私が、突如として日本語の世界に転生したのは大学でのこと。 そのきっかけは、世界平和への貢献とか、深い自己探求とか、そういう高尚なものでは断じてなく・・・。

 実にお恥ずかしいほど、単純明快で、すべての始まりは、親父が家宝のように大事にしていた、あの黒くてゴツいラジカセでした。ある日、その古代の遺物から、演歌の神・五木ひろし大先生の、魂を震わす「よこはま・たそがれ」が炸裂したのです。

「な、なんだこのメロディは・・・!」

 まるで雷に打たれたかのような衝撃。私の幼心は一瞬にして鷲掴みにされ、「う、歌いてぇ・・・! この哀愁を、この切なさを、俺自身の声で表現してみたい!」と固く誓いました。未来のカラオケスター誕生の瞬間です。

 しかし、ここで重大な問題が発生。大先生が一体全体、何をそんなに悲しげに、そして情熱的に歌い上げているのか、一言も分からない。「これは・・・歌詞という名の暗号を解読せねば、前に進めない!」

 かくして、私の「日本語」という名の、広大すぎるジャングルへの冒険が始まりました。当初の目的は、五木先生の歌の秘密が眠る宝の地図を手に入れること、ただそれだけだったはず。ところが、足を踏み入れたが最後、そこは底なし沼。一つの単語を覚えれば、三つの漢字が襲いかかり、一つの文法をマスターすれば、十の例外が待ち構えている。

 気づけば、私の人生という名のカーナビは高らかに宣言していました。「目的地、大幅に変更! これより、日本語マスターへの茨の道をリルートします!」と。

 たった一曲の演歌を歌いたかっただけなのに。まさか自分の世界地図が、国境も海も越えて、こんなにも複雑怪奇なものに書き換えられるなんて。学びとは、近所のコンビニにアイスを買いに行くつもりが、気づいたら地球の裏側でマグロ漁船に乗っていた、みたいなものなのかもしれません。いやはや、人生とは実に愉快なものですね。

1.デザートは別腹? それとも幻? 「배부르다」vs「お腹いっぱい」事件

 私が日本語学習の道に足を踏み入れ、最初に頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたのが「お腹いっぱい」という言葉でした。

 我が母国、韓国で「배부르다(ペブルダ)」と言えば、それは単なる胃袋の物理的な満腹サインではありません。友人と焼肉を平らげ、サンチュもキムチも冷麺も、なんならテーブルの脚までかじり尽くしたかのような勢いで食べた後に絞り出す「, 배부르다...」。この一言には、「幸福」「満足」「もはや私の人生に一片の悔いなし」といった壮大な叙事詩が凝縮されているのです。母が作った愛のチゲを完食した後の「배부르다」に至っては、もはや母の愛情そのものを消化している気分になります。

 ところが、です。日本で初めて「お腹いっぱいです」と、韓国での情緒をたっぷり込めて言ってみたその瞬間。友人は光の速さで「あ、じゃあデザートはもういいんだね!」とメニューをパタン!

 ・・・え? ちょっと待った。

 違うんです! 私の「배부르다」には、「ただしデザート、お前は別だ」という但し書きが、透明なインクで書いてあるんですよ! 韓国人の胃袋には、メインディッシュ用とは別に「デザート専用胃袋(別腹)」が標準装備されているのです。これは国家機密でも何でもない。しかし、日本の「お腹いっぱい」には、この「別腹」への秘密の抜け道がどうやら封鎖されているらしい。この微妙な感覚の違いに、私は文化という名の、浅いようで、渡るには「別腹」の存在を必死にアピールせねばならない川の存在を初めて知ったのでした。

2.「寒い」の体感温度、マイナス10度とプラス5度の壁

 冬の釜山。外は氷点下10度、顔面に突き刺さる風はもはや凶器。そんな時、私は叫びます。「추워~!(チュウォ~!)」。この言葉には、「体がガクブル」という実況中継だけでなく、「神よ、私に何の恨みが」「このままでは生命維持装置が停止します」という、本能からのSOSが含まれています。

 さて、舞台は変わって日本の冬。気温は確か0度くらいでしたか。私は韓国での習慣に従い、反射的に「寒い!」と全力で叫びました。すると友人、「え、まだそんなに寒くないよ。日本の冬はこれからが本番だよ」と、まるでひよこを見るような優しい目で笑うではありませんか。

 その時、私は悟りました。日本の「寒い」は、生存をかけた悲鳴というより、むしろ季節を味わうための一種のスパイスなのだと。こたつに潜り込み、みかんを剥きながら「いやあ、今日は寒いねえ」と湯気の向こうに語りかける・・・。そこには圧倒的な「余裕」と「風流」が存在するのです。韓国の「추워!」がサバイバルなら、日本の「寒い」はポエムだったのです。

3.翻訳アプリも匙を投げる「정」と「한」というラスボス

 外国語学習の醍醐味は、母国語に存在しない概念、いわば「概念のラスボス」に出会うことです。日本語を学んで改めて気づかされたのは、我が韓国語に潜む、翻訳不可能な「(情、ジョン)」と「(恨、ハン)」という二大巨頭の存在でした。

」。こいつは本当に厄介です。愛情でも友情でもない。隣のアパートのおばあちゃんが「これ、作りすぎちゃったから」とキムチをくれる時、そこに発生する謎の温かいエネルギー、それが「」です。取引でも義務でもない、人間関係における「なんかよくわかんないけど、あったかいやつ」。これを説明しようとすると、大抵「うーん・・・」と全員で腕を組むことになります。

 しかし、このミシマガジンを読んでくださっている日本の読者の皆様には、もっとぴったりの説明方法があります。なぜなら、まさにこのマガジンの編集を担当している京都オフィスのSさんご本人が、先日ここ釜山で、その「정(ジョン)」の強烈な磁場を全身で浴びるという事件に巻き込まれたからです。

 事の発端は、釜山・南浦洞(ナムポドン)にある国際市場でした。韓国プロ野球に並々ならぬ情熱を燃やす東京オフィスのSさんが、「どうしても行きたい」と熱望して訪れた、とある野球ユニフォーム専門店でのことです。

 店の扉を開けた瞬間、私たちは時空が歪むのを感じました。そこは、野球という名の「宗教」の敬虔な信者たちが集う、小さな神殿でした。そして、店の社長こそが、その神殿を守る大司祭だったのです。

 東京のSさんが、おずおずと「ロッテ・ジャイアンツのユニフォームを探しに・・・」と口を開くやいなや、社長の目はカッと見開かれました。「おお、日本の同志よ!」とでも言わんばかりの熱烈な歓迎。社長もまた、骨の髄までロッテ・ジャイアンツに染まった「信者」だったのです。国籍も年齢も違う二人の男が、「ロッテ」という共通の信仰対象の前で、瞬時にして魂の兄弟となりました。

 東京のSさんが、伝説的投手チェ・ドンウォン選手の名前が刻まれたユニフォームを購入し、信仰の証しである「聖衣」を手に入れる儀式がクライマックスに達した時。大司祭である社長は、驚くべき神託を告げました。「これはサービスだ。金は要らん!」と、もう一つのロッテ選手のユニフォームをあっというまにSさんに渡したのです。さらには、同行した私と京都のSさんのために、3人分のアイスコーヒーまで注文して振る舞ってくれました。

 その店の経済は、アダム・スミスが聞いたら墓の中でひっくり返るような、不可解な法則で動いていました。商品と現金の等価交換という資本主義の原則は存在せず、代わりに「心の距離」が価値の尺度となります。客が抱く情熱が深ければ深いほど、商品の値段は限りなくゼロに近づいていくのです。資本主義の論理が、野球という宗教的情熱と、韓国特有の「(ジョン)」という名の聖なるエネルギーの前に、いとも簡単に消し飛んだ瞬間でした。

 そして、この強力な「」の磁場にすっかり魅了されてしまったのが、他ならぬ京都のSさんでした。彼女は野球ファンではありませんし、ルールさえよく知りません。しかし、目の前で繰り広げられる計算度外視の熱いやり取りと、社長の立て板に水の如き弁舌に引き込まれ、まるで催眠術にでもかかったかのように、気づけば二着の服を手にし、支払いを済ませていたのです。後で彼女に聞くと、「なぜ買ったのか、自分でもよく分からない。ただ、社長の話に引き込まれているうちに、いつの間にかそうなっていた」と、狐につままれたような顔をしていました。

 これこそが、「」という抗いがたいエネルギーフィールドの正体です。理屈や計算ではなく、心と心の触れ合いが周囲の人間をも巻き込み、財布の紐さえも無意識に緩めてしまう不思議で温かい空間。いかがでしょう、少しはこの厄介な「概念のラスボス」の姿が、皆様にも見えてきたのではないでしょうか。

 そして、さらに難攻不落の「한(恨、ハン)」。辞書では「恨み」と出ますが、日本のホラー映画に出てくるような、誰かを呪って藁人形に釘を打つようなアクティブな復讐心とは全く違います。

 いや、少し言葉を訂正させてください。もちろん韓国語にも、「女が(ハン)を抱けば、五、六月(陰暦の真夏)にも霜が降りる」という恐ろしいことわざがあるように、他者を呪詛し、世界を氷点下に引きずり込むような、冷たく鋭利な怨念としての「」も確かに存在します。理不尽な絶望の淵で凍りついた悲しみが、周囲をも道連れにする鋭い氷の刃へと変貌する――そんな日本の怪談にも通じるような、情念の暗黒面です。

 しかし、私がいま日本の皆様にどうしてもお伝えしたいのは、その氷の刃を他者に振りかざすのではなく、自らの内面へと向けた時に生まれる「奇跡のような力」についてなのです。

 悲しみ、怒り、悔しさ、無念さが絶妙な比率でブレンドされ、心の奥底の壺で長期間発酵・熟成された結果、なぜか途方もない「生きるエネルギー」や「アート」へと昇華してしまうという、韓国特有の不思議な感情なのです。

 ミシマガジンの読者の皆様に、この「」の正体を最も分かりやすくお伝えするために、韓国の日常風景でよく見られる「を解く(한풀이、ハンプリ)」のエピソードをご紹介しましょう。

 例えば、幼い頃に家がひどく貧しく、まともな学校教育を受けられなかったお母さんがいたとします。その「学べなかった悲しみと悔しさ」が、彼女の心の中で強烈な「」となります。しかし、彼女は世間を呪って自暴自棄になったりはしません。その代わり、自分の身が粉になるまで働き、骨身を削って、二人の息子を最高の大学へ、さらには海外の博士課程にまで送り出すという途方もないパワーへと変換するのです。そして息子たちが立派に学業を修めた時、お母さんは深い安堵とともにこう言って涙を流します。

「これでやっと、貧しくて勉強できなかった私の『(ハン)』が晴れた(解けた)よ」と。

 あるいは、長い無名時代を日陰で耐え抜き、ようやく世間に認められてトップスターの座に就いた歌手が、授賞式のステージで涙ながらにこう語ります。

「これまで苦労をかけてきた、亡き母の『』を晴らしてあげることができて、本当に幸せです」

 お分かりでしょうか。「」とは、誰かを傷つけるための刃ではなく、愛する者のために自己を犠牲にしてでも成し遂げようとする、悲しくも強靭な「愛と祈りのエネルギー源」なのです。何代にもわたって受け継がれ、そしていつか大切な人の手によって「解かれる」ことを待っている、切実な願いの結晶とも言えます。

 Kドラマの主人公が雨に打たれながら空を見上げるシーン。あそこに流れているのも、単なる絶望ではありません。あれは、明日を生き抜くための巨大なエネルギーへと「」を発酵させている、神聖な儀式の風景なのです。「日本語で言うとね・・・えーっと・・・まあ、とにかく見て感じて!」と説明を放棄したくなる気持ちも、この韓国の母たちや名もなき人々の姿を通せば、少しは皆様にお伝えできるのではないかと思っています。

4.今度はこっちの番! 韓国語にすると味気なくなる日本語の忍者たち

 しかし、やられてばかりではありません。日本語にも、韓国語に翻訳した途端にその魅力が忍者のようにドロンと消えてしまう言葉たちがいました。

 まずは「粋(いき)」。辞書で引くと「세련됨(セリョンドェム、洗練)」ですが、これではまるで高級ブランドのスーツです。違うんです! 「粋」は、計算され尽くした無頓着さ、Tシャツにジーンズなのになぜか色気がだだ漏れているような、あの感じ! 「세련됨」という言葉から、江戸の夜風の匂いはしません。

わびさび」も同様です。ひび割れた茶碗を「불완전의 미(不完全の美)」と訳した瞬間、茶室の静寂や、そのひびの向こうに見える時間の流れがすべて蒸発してしまいます。韓国人の実用主義的な心は「ああ、これ、接着剤でくっつければまだ使えるね」と思ってしまうのです。

 そして翻訳者を最も泣かせるのが「懐かしい(なつかしい)」。韓国語の「그립다(クリプタ)」は「恋しい」に近く、失われた対象への切なさが強い。でも「懐かしい」は、別に失恋していなくても、小学校の下駄箱の匂いを嗅いだだけで発動します。しまいには「初めて聞く話なのに、なぜか懐かしい」なんていう、もはやタイムパラドックスのような現象まで引き起こす。生まれる前の記憶でも探ってるんですか? と聞きたくなります。

 極めつけは「お疲れ様です」。こいつは「すみません」と並ぶ、言語界のアーミーナイフです。挨拶、感謝、労い、別れ、連帯感の確認・・・あらゆる場面で使える万能呪文。韓国語で「수고하셨습니다(スゴハショッスムニダ)」や「고생하셨습니다(コセンハショッスムニダ)」と訳すと、途端に「労働後の労い」という意味に限定されてしまい、朝イチで会った同僚にかける言葉としては、ちょっと重い。日本語のあの軽やかさ、あの「とりあえず言っておけばOK」感は、なかなか再現できないのです。

5.言葉は世界を切り分ける包丁であり、自分の宇宙をひっくり返す魔法である

感情の仕分け、ここに極まる

 日本語という沼にハマって気づいたのは、この言語が持つ驚異的なまでの「仕分け能力」です。 たとえば、日本語には「気持ちいい」と「心地いい」という、二つの「快感」が存在します。マッサージ師のゴッドハンドによる快感が「気持ちいい」なら、完璧な温度の露天風呂からそよ風に吹かれる快感が「心地いい」。

 一方、我が母国語・韓国語では「기분 좋다(ギブンチョッタ、気分がいい)」や「편하다(ピョンハダ、楽だ)」という、いわば「快感のデラックス盛り合わせプレート」で、だいたいどうにかなります。日本人が感情を精密なメスで切り分けていく外科医だとしたら、韓国人は「まあ、だいたいこの辺が快楽ゾーンだよね!」と大らかに抱きしめる整体師のようなものです。

 しかし、韓国語にだって秘密兵器はあります。その名は「눈치(ヌンチ、勘)」。 「空気を読む」なんて生易しいものではありません。これはもはや、相手の眉毛の角度0.5度の変化や、声のトーンの0.1ヘルツの揺らぎから、半径10メートル以内の未来の人間関係を予測する超能力、一種の予知能力です。この「ヌンチ」レーダーのおかげで数々の社会的危機を回避してきましたが、同時に「警告! 部長の機嫌、3分後に急降下の恐れあり!」といったアラートが脳内で鳴り響き、一人で勝手に疲弊することも多いのです。高性能すぎるのも考えものですね。

その語学、武器ですか? 窓ですか?

 韓国では英語の成績が、人生を左右する伝説の剣「エクスカリバー」のような扱いを受けます。大学入試の城門を破り、就職活動という名のドラゴンを討伐するための、最強の武器なのです。

 どうやらこの文化は日本も同じようで、多くの人にとって外国語は"文化とつながる心ときめく道具"というより、"国内サバイバル用の戦闘能力"と化しています。 その結果、「TOEIC900点」という名の最強の剣を手にしても、斬りつける相手は海の向こうの未知なる文化ではなく、隣の席の同僚やライバル会社の社員。なんという皮肉! まるで世界一切れる包丁を、自分の部屋の壁のシミを削るためだけに使っているようなものです。

 その事実を知るたびに、私は声を大にして言いたくなるのです。 「その言葉、もったいない!」と。外国語は経験として、味わうものとして学ぶべきなのだ、と。

さよなら、私の小さな宇宙

 母語という名の部屋の中だけで生きていると、その部屋のルールが、宇宙の真理だと思い込んでしまいます。

 でも、外国語は、その部屋の壁をぶち破り、「お隣さん、こんな感じになってますけど?」と別の宇宙の地図をニヤニヤしながら手渡してくるのです。

 日本語を通じて、私は「寒さ」にも「お腹いっぱい」にも、感動のレイヤーがあることを知りました。かつて試験の呪文だった英語のおかげで、今では世界のジョークに笑い、文化の多様性に感動できるようになりました。

 外国語は単なるスキルではありません。 それは、自分の宇宙をグラグラと揺さぶり、時には天地をひっくり返してしまう、とんでもない魔法です。試験の点数や就職のためだけに学ぶなんて、魔法のランプをただの灰皿として使うようなもの。

 だから、警告しておきます。 一度その「外国語」という名の窓を開けてしまったら、もうおしまいです。 もう二度と、以前の狭くて退屈な部屋には戻れなくなります。自分の宇宙が無限に広がっていく、あのワクワクとドキドキ(두근두근、トゥグントゥグン)が止まらなくなるのですから。

朴東燮

朴東燮
(ばく・どんそっぷ)

1968年釜山生まれ。釜山大学教育学科卒業 (文学士)。釜山大学教育心理学科卒業 (教育学修士)。 筑波大学総合科学研究科卒業(哲学博士)。現在独立研究者。学問間の境界と、地域間の境界、そして年齢間の境界を、たまには休みながら移動する「移動研究所」 所長。

主な著書(韓国語)に『レプ・ヴィゴツキー(歴史・接触・復元)』『ハロルド・ガ ーフィンケル(自明性・複雑性・一理性の解剖学)』『成熟、レヴィナスとの時間』『動詞として生きる』『会話分析: 人々の方法の分析』。
内田樹著『街場の教育論』、森田真生著『数学の贈り物』、猪瀬浩平著『野生のしっそう』、三島邦弘著『ここだけのごあいさつ』(以上、ミシマ社)などの韓国語版翻訳者でもある。

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