高橋さん家の次女 第2幕

第10回

夏の蒸し蒸しと虫

2022.07.30更新

 7月、朝五時に目覚ましをセットして、朝のおにぎりと水筒を持って五時半には畑にいく。東の水平線のあたりから、ぼんやりと赤い火の玉が昇ってくると、私は急げ急げとあせる。太陽との追いかけっこだ。年々気温が上がっていて、夏、昼間に畑に出る人はいなくなった。
 朝でもカナカナカナとヒグラシが鳴く。祖父とよく鳴き真似をしたホトトギスも早起きらしく、「てっぺんかけたか てっぺんかけたか」と、姿は見えぬがいい声が聞こえ始めた。こんなに暑いというのに、里芋の大きな葉の上に朝露がたまって、地面も濡れている。深呼吸して、私の眠気は徐々にさめていく。夏の早朝の気持ちよさは、早起きをした人にしかもらえないご褒美だ。
 遠くから一番鶏ならぬ、一番目の草刈り機の音が聞こえて、しばらくするとあっちでもこっちでも草刈り機が始動する。私もエンジンを入れて草を刈っていく。
 2月に新しく開墾したみかん畑は6月頭に草刈りをして東京へ帰ったが、おもしろいくらい盛況に蔦が伸びて、また原野と化していた。3月に植えたみかんの苗木がどこにあるのかもはや分からない。二拠点生活の最大の困難は草は待ってくれませんということだなあ。6時になるときたきたー。太陽がピカーン!とご来光。地上を照らして、夜から朝に色を付ける。太陽ってすごい存在だ。7時、もう長袖のシャツは汗が絞れるほどになって、保護用ゴーグルには汗がたまり曇って前が見えなくなる。そろそろお弁当にしよう。母と自家製梅干しを入れたおにぎりを食べ、野草茶を飲む。
 一週間、朝5時半から9時半まで母と木になりそうなツルを切り続けた。くたくたよれよれで、帰ってシャワーを浴びて、すいかにかぶりつく。こんなに美味しいスイカの食べ方ないわ。近所のまゆみちゃんや、伯父にもらったスイカは最高に美味しい。祖父もスイカ名人だったけど、私も猿の出ない畑でスイカが作れるようになりたいなあ。

 そうそう、私が仲間たちとやっている畑は「チガヤ倶楽部」と命名しました!!チガヤ倶楽部の畑、そしてサトウキビ畑も草がすごいことになっている。でも隣町から来ている子もいるので朝6時集合はなかなかハードだねえ。ということで、空いている畑でキャンプをして朝活にする? なんて冗談で話していた。隣のおばあさんに借りている畑は、チガヤ倶楽部の名前の由来ともなっているチガヤが侵食して、ぶどうやレモンさえも上手く育たなかった。チガヤって枕の中身にも使われるということは、ここに寝たら気持ちいいんやない?来られるメンバーだけでほんまに畑キャンプをしてみようということになる。集まったメンバーはいつもの三人・・・。
 半日かけて草刈りをして(一部おっくんが猿を騙せないかとチガヤの中に枝豆を紛れ込ませているゾーンは刈ってない)夕方、おっくんと、東京から来た主任とでテントを張る。私はテントはもってないから、女子用のテントをなっちゃんが貸してくれた。おっくんはマイテントを持っている。主任は東京在住のキャンパーなので、テントを張るのも慣れていて早い。
 夜、面白がってテントにやってきた母と四人で怪談話などしていたら、雨が降ってきたテントにバラバラ打ちつける!!次第に強くなっていく。二時間後、母がテントでうたた寝をはじめたころに雨が上がった。
 外に出ると満点の星空だ。天の川まで綺麗に見える。子どもの頃、夜になると祖父と夜空を見上げていたことを思い出す。石垣へ行かずとも、北海道へ行かずとも星はここにあったんだな。
 「毎日ここでキャンプ生活したいくらいです」とおっくん。うん、時々ならどうぞ。40歳にもなってこんなことするなんてなあ。近所の人にまた変人印いただくなあ。
 この辺りは、真夏でも夜になると冷えるので、寒くてタオルケットにぐるぐるまきになって眠った。チガヤマットはなかなかの寝心地だった。

 朝5時半、主任の目覚ましがなる。ようしやるぞう。今日は水路の復旧作業をしようということになっていたのだ。里芋を作っているのだが、6月雨が降らずで困り果てた。里芋は水田と一年交代に作るほどに水が必要な芋なので、みんな田んぼで作っている。
 私達の畑は水路が埋もれてしまってない。考えた末、ゾエがタンクを買ってきてくれてそれで水やりをするようになった。でも、やっぱり水路を復活すべきだ。4年前までは前の持ち主が田んぼとして水を引いていたのだ。
 何年もほったらかしの水路は土や枯れ葉が堆積していた。そして、この水路、地味に長い・・・。石垣に沿って100メートル近くありそうだな。母の握ってくれたおにぎりとスープを食べて気合を入れると三人は水路の土砂を救いはじめる。約15センチくらいの幅なので大きなシャベルや上げ鍬が入らなくて、小さなスコップや鍬で立ち向かう。汗が顎からぽとぽと落ちる。「これ過酷すぎるな」「そうっすねー。楽しくはないですねえ」おっくんと私がぐったりしてきたが、主任は猛スピードかつ黙々と土をあげていく。
「下側は全部終わりました」「ええ!早い!」
 ぞえもやってきたが、「水路作っても8月に台風が来てまた土砂に埋もれてしまうから無駄だと思いますよ」と、参加してくれず、他の草引をするマイペースさよ。ゾエが5月に、水路を使えば水掛けも簡単にできますねって言ってたんだけどなー。ふふーん。里芋の草引きをしてくれて助かったけどね!「暑いから帰ります」と言って2時間ほどでゾエは帰っていった。人それぞれな団体である。部活でないのだから、それはまあ自由だ。
 私達は意地でも復活させてやるぞという気分になっていく。そして、本当は2日かけて復旧するはずだったけど、主任の働きもあって10時頃には完成してしまった!
 やったぞー!!!
 水源はずっと山沿いに昇っていかねばいけない。ここの大元の堰を開けば小川に沿って各水田に引かれる。子どもの頃からここで育ったのに、私は農業用水源地の場所を知らなかった。
 父に水源地を教えてもらったのだが、とても不機嫌でやたらと怒鳴り散らす。この頃、水を使うけれど水源地の掃除をしない人が多いようで、お前もその一人だと言う。なるほど、確かにそれはまずいなと思い、昼から水源地周辺の草刈りをした。母にも、「我田引水」の怖さがあるから、水には本当に気をつけてねと言われた。私達の畑は水源に近いエリアなので、下の田んぼの人達のことをまずは考えないといけないよということだった。トラブルにならないように気を引き締めようと思ったのだった。

 水を流してみるも、詰まってなかなか進まない。あっちこっちに堰や土嚢があって、外していく。こういうシステムも長い農業の歴史の中で作られてきたものだと思うと、やはり先祖たちに感謝の気持ちが湧くし、残していきたいなと思った。
 私達の畑の水路の半分は土に溝を掘っただけの作りで、水があふれて辺り一帯がびたびたになってしまうので、かけすぎは禁物だ。
 掃除をしていると「わー!」とおっくんの声。行ってみると、石垣が本格的に崩れ始めている。応急処置で何とか石を詰め込んでみたが、これは早めに修復が必要だな。前回書いた、「石積み学校」の授業の一環として、先生や、私達の畑に来てみたい方に声をかけて石垣を直せたらなあ。四国の夏は強烈なので、秋か冬あたりにできないかなあと考える。
 石積み学校のリモート授業に参加させてもらったとき、グリ石という石垣の奥に積むストッパーの小石が足りなくなるので沢山集めておく必要があると聞いたので、溝を掃除しながら出た小石を集めて持ち帰った。普段畑にとって邪魔でしかなかった石が宝物に見えてくる。昔の人は川原や畑に行く度に、小石を持って帰って貯めていたと先生が仰っていた。

 ついに水が通った!!最初は濁っていたけど、だんだんと透き通ってきらきらと太陽を反射して、また一つ忘れていた風景が戻ってきたようで嬉しかった。
 「なんか子どもの頃に砂場でトンネル掘って水流してたの思い出すよね」と私。
 「はい。だから私意外と楽しかったんですよ」と主任もおっくんも笑顔。やりきったねえ。
 一人ではできないことも、みんながいてくれるからできる。それをひしひしと感じた水路の復旧作業だった。
 翌日は、ゾエ、なっちゃん、主任、私で6時からサトウキビ畑の草刈りだ。アメリカセンダン草がサトウキビより高くなっている。その上、サトウキビの中に食い込んで生えているので鎌で間違ってサトウキビまで切ってしまいそうで一苦労だ。
 草が養分を吸ってしまうので、サトウキビの成長も他の畑に比べるとやや遅いようだ。山ぴーおじさんが、時々「高橋さん今の畑です。こっちが私の畑です」と、草を抜いている畑と抜いてない畑とでこんなに成長が違うよと冷や汗の出るような写真を送ってくれるのだ。明らかに私達の畑のは細い・・・。すすす、すみません。できる限りがんばります!

 近所のおばさんの畑でハミが出たという。別名マムシ。しかも取り逃がしたと。毎年、数名が噛まれて救急車で運ばれることもある。特に繁殖期の秋に近づくと凶暴化するので、夏の草刈りは絶対必須だと母が言った。
 そんな母が、凶悪な虫に刺されてしまった。鎌で自分の手を切ったのかというくらいの痛みで見ると血が出ている。軍手の上から刺されたというのにだ。親指の付け根を刺されたのに、瞬く間に脇のリンパまで腕が痛くなってきたという。それでもその日は落ち着いていたのだ。
 翌日の朝も草刈りをして終えると、腕まで真っ赤になってパンパンに腫れている。これはまずい。甥っ子と遊びに行く予定だったけど、すぐ病院へ乗せていった。
 母は点滴を受けて、手を包帯でぐるぐるまきにして戻ってきた。何の虫だったのかは定かではないんだけど、私の調べた感じではイラガの幼虫だったのかな。真っ白い蛾が大量に飛んでいたので、多分そうだったのではないかな。別名電気虫と呼ばれるほどに刺されると痛いそうだ。点滴により腫れは引き、しばらくは安静にということで翌日の朝活は休みにした。休んでみて分かった。私も、相当に疲れていたんだ。夏って、農家にとってこんなに過酷な季節なんだな。まだ、もう一つのみかん畑は手つかずだよー。どひゃー!!

 私も、農作業中に体中にアリに噛まれて、各所が腫れてしまっていた。アリも地味に痛いんだよねえ。そして痒みが二週間くらい続くのですよ。いつのまにか服の中に入られて、イタッ!こっちでもイタッ!その場で服を脱ぐということもあった。あれは恐怖ですよ。
 夏の大自然は美しくもあり、凶悪でもある。作業はごつめの長袖長ズボンに長靴と網付きの帽子、厚手の軍手。そして手首や足首からアリが侵入してこないようにキツめの手子をするようにして、だんだんとアリにもやられなくなった。
 しかし、人間というのは丸腰では無力だよねと母と話した。小さな小さな蛾の幼虫に噛まれただけで、何もできなくなるほど手が腫れるなんて。蛇やムカデにいたっては命を落とすこともあるのだから。自然とまみれて暮らしたいと思っていたが、とんでもない。自然の力を借りながら、恐れる気持ちも忘れずにいようと思ったのだった。

 さて、来月は「ついにチガヤ倶楽部のレコーディングはじまる!」「竹細工の話」「ユーカリ」の三本です。来月もまた読んでくださいねー。

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

「高橋さん家の次女」第1幕は、書籍『その農地、私が買います』にてお読みいただけます!

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