第17回
二拠点生活、正直な話
2023.02.27更新
最近、二拠点生活についての取材を受けることが増えた。みんなの関心が強くなっているのを感じるし、実際二拠点で暮らす人が増えてきたのだと思う。この先、人口が減っていくと見越されている日本で、いろんなことを維持するには二拠点生活は理にかなっているんじゃないかな。10年前に比べると都会でしかできないことも減ってきたし、豊かさの指標が変わってきたのだと思う。畑や果樹園も年に何度かでも草刈りをすればジャングル化して再起不能にまではならない。胴虫にさえ気をつけていれば、果樹を次の代にわたすことはできる。何があるかわからないこの時代、土地や果樹は大事にしておくべきだろう。田舎にもう一拠点があるというのは安心材料にもなるかもしれない。東京の小さな公園で遊ぶ近所の子たちの逞しさが好きだけど、愛媛で自然体験をさせてあげたいなとも思う。
移住とまではいかなくても、こっちにもう一軒どう? なんて気軽に言ってしまう。新築に住もうと思わなければ、レトロで素敵な空き家はたくさんある。我が家の周辺も7割が空き家なので若い人が来てくれたら楽しいだろう。
ところが、この空き家が本当の意味では空き家でなかったりするから難しい。以前ある県の地域おこしに、アドバイザーとして参加していたことがあり、役所の方と村の様々な空き家を見に行った。しかし、空き家の殆どが、家主のご家族が貸すことや手放すことを拒んでいて、住める状態だけれど住むことができないのだと担当の方が言っていた。放置された家は風が通らなくなり、そのうち朽ちていく。素晴らしい建材を使った家も、美しい庭も、立派な家財道具も、人の手が入らないと途端にダメになっていく。
実際、私の友人夫婦が山間部で家を探していたのだけれど、空き家だらけなのに一向に住める家が見つからず四苦八苦していた。次の世代が有効活用できたら、農村地域の活力にも繋がるのにな。橋渡しできる人がいたら・・・。これだけ家が余っているのに、市街地には新しいアパートができていく。田舎に移住をしても、アパート暮らしとなるとなかなか地元に馴染むきっかけがなかったりするのも現実で、もう少し受け入れ態勢ができると良い連鎖が生まれていくのにと思ったのだった。
東京から愛媛に来て、最初とまどったのが交通面だった。東京では十分も歩けば駅があって電車は3分おきに来てくれる。さらにバスも利用すればどこへでも公共交通機関で行ける。よって、23区内では車を持っていない人も多い。
一方、愛媛でバスを乗り過ごしたら次は2時間後だ。同じように、松山空港から松山駅へ行って、実家へ帰る特急列車の時刻を見ると、うはー、1時間半後。最初は待ち時間を無駄に感じたけれど、今は慣れた。駅中のうどん屋でじゃこ天うどんを食べて待つ。タイやカンボジアを旅したときのように、ぼんやりとする時間を与えられて少しうれしく感じるくらいだ。
ただ、これが日常になるとそんな悠長なことを言うてはおれんようになる。だいいち、駅は町に1つか2つだし、バスは主に国道沿いしか走っていないので山間部や海沿いへ行くには車が必要になる。若ければ自転車という手があるけれど、80代でも車に乗っている方々の気持ちもわからないでもない。
当初、どこへでも公共交通機関で行くと言っていた私だけど、一年もしたらバスやJRに乗るのは松山とか遠くへ行く時だけになってしまっていた。
まず、みかんやサトウキビの収穫には軽トラがないと、はじまらない。今一番ほしいのは軽トラである。これまでは父に借りていたのだけれど、今冬サトウキビを積んで山奥の製糖工場へ毎日のように行っていたので、土がはねて車が汚れて、次第に父の機嫌が悪くなっていった。
母は車に乗らないので、父は一人で二台持ちだ。田舎では、一人一台車を持ち、プラス軽トラというのがデフォルトである。
製糖が全部終わってから洗車して返そうと思っていたけれど、その都度洗って返すのが常識だろうと怒られて、うわーめんどくさいなあとなってきた。洗っても、明日も明後日も山に入って汚れるよ。大体、軽トラは汚れる前提の働く自動車の代表やんけ。
不経済だし環境にも悪いし、一緒に使うのがいいと思うけど・・・家での肩身は狭くなる一方。なるほど、こうしてみんな一台ずつ車を持つようになるんだな。
おまけに、3月頭に豚糞をサトウキビ畑に入れなくてはいけない。軽トラにダイレクトに豚糞を載せるので父は今度こそ絶対に貸さないと言い張った。以前、牛糞を積んだときに、洗っても匂いが落ちなくて大変だったそうだ。それはちゃんと発酵してない牛の糞を載せたからいけなかったのだと思うよ。私がいただく養豚場の豚の糞さまは、籾殻や糠と綺麗に混ぜて美しく発酵を遂げてらっしゃるのだ。去年も山ぴーおじさんが撒いてくれたのを匂ったけど、手で触ってもまったく臭くなくて驚いたもの。と、説明しても父は聞く耳を持たない。
積もり積もったものが噴火するように、軽トラを自分で買いなさいの一点張りなのだった。私がチガヤ倶楽部でCDを作ったり、出来上がった黒糖をコーヒー屋さんで販売させてもらったり、わいわいと楽しんでいるのが気に障るのだと思う。
「農業とは一人で黙々とやるものだ」といつも言われる。そうだろうか。機械化が進むまではそれだけではなかったはずだ。子どもの頃に聞いた祖父母の話では、人同士が協力しないとできないのが農業だった。歌いながら、掛け声をかけながらみんなで力を合わせて。
黒糖や里芋を買ってくれるのも、美味しいからではなくお前が多少有名だからだと父は言う。確かに、それもあるのかもしれない。でも、地元で里芋を販売したのは私でなくおっくんだし、CDで歌っているのも、主におっくんや、なっちゃんだ。私は地元ではなるべく表には出ないようにしている。父が言うように、こういった新しい試みを良く思わない人たちもいるのだろう。出る杭が打たれる場所であることもよく分かるようになった。
ああ、これが住むということなんだ。理想を振りかざしていた三年前の勇ましい自分はどこへやら、なるべく静かに淡々と。自分のやりたいことを遂行するために。横槍を入れられないように。
だけれど、郷に入っては郷に従えだけではつまらない。お互いに話し合える環境があることが一番いいなあと思う。黒糖BOYSのように話し合える方々を地道に増やしていきたい。
私は、チガヤ倶楽部を通して、若い方たちや地域の農業者と交流できることが嬉しい。畑がないならば、間違いなく地元との二拠点生活をしていなかっただろう。そのくらい畑やそこから生まれる交流は、都会では得難いものだと感じている。
移住者であるうらちゃんが以前、「町主催のイベントが、年配の方や子供連れの方対象が殆どで、独身が一人で参加できるようなのがなかなかないんですよ」と言っていて、うわー、わかる~と思った。そうすると、せっかく移住してきたのに友達を増やす機会がないのだよね。婚活イベントとかじゃなくて、普通に友達増やそうイベントみたいなのをやってくれたらいいなあと思ったのだった。
そんなうらちゃんが黒糖の作業でうちに来ていた日、地元の神社の餅投げがあった。2年ぶりだったそうだ。姉や甥っ子たちとみんなで、ナイロン袋をもって境内の上から投げられる餅を必死で拾った。「こういうの初めてです」と言いながらも、うらちゃんも結構いっぱい拾っていた。楽しかったなあ。私は2個入を17も拾った。まだあの時の餅を食べている。そうそう、こういうのです。盆踊りとか、餅投げとか、夜市とか、自転車でも行ける範囲で、誰でも参加できる小さな祭りが必要なんじゃなかろうか。そういうの作っていこうよって思う。まず畑で歌うとかね。それが一番じゃないかな?
さて、話を戻そう。ゾエに軽トラを貸してもらえないかと聞いてみる。こちらも親の車で、豚糞という字面の破壊力にたじろいでいるようだった。
やっぱり、私は早急にMY軽トラが必要だ。大学の時に離島に住んでいて、やはり車が必要になって初めて乗ったのは中古のワインレッドのワゴンRだった。マイカーの2台目が、まさかの軽トラか・・・。山の中を走って傷だらけになるのだから中古でいいかなと、目下探し中である。
黒糖は、順調にみなさんのもとに届き、残りわずかになってきた。なにより、地元でも多くの方に食べてもらうことができたことが嬉しかった。
前回、詳しく製糖方法を書いたように、石灰あり、石灰なしの拭き、石灰なしの半分洗い、石灰なしの全洗い、最高級、の五種類に分け、食べ比べられるセットを作って、連日うらちゃんやメンバーたちが梱包や発送をしてくれている。
まだ、少しだけ在庫があるので、興味のある方はのぞいてみてね。
CDは、まだまだあります。愛媛の畑に寝転んでいる気持ちになれる音楽です。
3月からは、また来年に向けて良いサトウキビが育つように畑のメンテナンスをしていこうと思う。だんだん温かくなって、チガヤ農園の野菜からも花が咲いて、一年で一番美しい季節がやってきた。
編集部からのお知らせ
高橋久美子さん 暮らしのエッセイ『暮らしっく』(扶桑社)が昨年、11月30日に発刊しました!
ESSEオンラインの人気”暮らし系”エッセーが待望の一冊に!丁寧だけど丁寧じゃない。飾らない、無理しない。40代作家の高橋久美子さんのクラシック(古風)な暮らしを綴ったエッセー集。(扶桑社HP)