高橋さん家の次女 第2幕

第23回

ボス猿の不在

2023.08.21更新

 8月、東京に帰って1週間ほどした頃、うらちゃんから連絡があった。
「これって・・・もしや猿ではないでしょうか?」
 写真が添付されている。里芋畑が広範囲に掘り起こされてまだ芋になっていないくらいの蓮がいくつも横たわっている。間違いない、猿の仕業だ。イノシシなら、芋だけを器用に掘るなんてできないもの。お腹いっぱい食べられる夏みかんの季節も終わり、これだけ猛暑が続くと近隣に食べ物がないんだろう。猿は被害者だ。
 メールを見たのが、ちょうど仕事先の長野で、友人と夕飯を食べていた。一瞬で酔いが覚める。「どうしたの?」「猿がまた・・・」と言う私の言葉に、みんなは「ああまた猿か・・・」と、気の毒そうな顔になった。
 AIがこんだけ発達してきた令和時代に猿にやられている私よ。

「それってさ、ボスが帰ったから今だ! って、猿もくみこんがいなくなるの見計らってんじゃない?」
 まじか。確かに私が東京へ帰って1週間後だ。向こうにとっては私がボス猿なのか。一回目に猿の襲撃があったのは6月で、それも私が東京に帰った直後のことだった。みんなで畑全体に鉄杭を立て、それに沿わせる形でネットを張ってもらった。イノシシなら側面だけでも防御できるが、猿は上からも入ってくるので、漁師の友人からもらったマグロ用のネットで天井を作り、こっちがゴリラのポーズでないと畑に入れなくなった。
 そのネットを破って入ったのか。マグロの網が想像より薄くて心配していた私に、丈夫だから大丈夫だよと漁師の友人は太鼓判だった。しかし、実は私の歯でも切れたのだよ・・・。猿も1ヶ月で突破したかー。ふー。切ってまで入らないかなと思ってしまった私が甘かった。

 翌日、母に電話して検証に行ってもらったら、やはり数か所歯で破った箇所が見つかった。私が帰って、畑に人(ボス)がいなくなったというのが原因だろう。
 私は猿が歩いていたらワーっと叫び追いかけて石を投げつける。知らんふりをすると猿の行動はどんどんエスカレートしてしまうからだ。それから朝に夕に畑に行く。これも人間の匂いを残させるためだ。猿に天下をとらせない細やかな努力を続ける。枝打ちで人が山へ入ることが、獣たちに里と山の境界線を知らせる役割を果たしていたと言っていた祖父のように、ここは私の縄張りだと猿に分からせないといけない。
 既に下りてきてしまった猿たちを山へ帰すのは容易なことではないが、できることはやっていかねば。このところ、もののけ姫の「サンは山で、私はタタラバで暮らそう。ともに生きよう」というアシタカの言葉が何度も脳内再生される。

 翌日、なっちゃんと母で、食い破られた箇所を別の網で補正してもらう。この赤い網も、おっくんが地元の漁師さんにもらったもので、海で使わなくなったものを山で使うサイクルも気に入っている。でもこれだけではまた来るだろう。なっちゃんに頼んで緑の頑丈なロールネットを買ってきてもらい、マグロネットの上から緑ネットで覆ってもらう。
「側面はあまっているイノシシの柵を使っていいですか?」
 もちろん。あるものは何だって使ってくださいと伝えて、うらちゃん、なっちゃん、母、それに姉と姉の三人の子供達も手伝ってくれ、お盆前の早朝に猿ネットを強固にしてくれた
 人手が本当に助かる。というか一人ならとっくに音を上げているだろう。
 それから、甥っ子の犬の散歩コースを変えて、畑で犬におしっこをしてもらうようにした。害獣対策に「ウルフピー」というイノシシのおしっこが売り出されているくらいなので、犬の尿も効果があるに違いない!あの手この手で猿に対抗する。

 とにかくお金がかかる。イノシシ用の2メートル×1メートルの金柵だって、これまでに100枚以上買った。金網だけでは自立しないので、鉄杭も100本以上買っている。巨大なロールのネットだって何本買ったことか・・・。野菜畑の方は単管と大型ネットを組み合わせてネットハウスも作ったが、あれにも材料費だけで十万以上かかっているし。
 黒糖や野菜を販売していると、随分と稼いでいるように見えるけど、実際は、ほとんど野生動物の対策に費やされている。それに野菜セットは限定10名なのです。私達は自分で食べたい集団なのです。
 残ったお金は、みんなで数回バーベキューや打ち上げをしておしまいだ。黒糖工場へ支払う製糖料金も想像以上に高額だ。おまけしていただいているし、いろいろ技を教えてもらっているので、本当にありがたい限りなんだけれど、若い子たちも、この経験にお値段以上の喜びを感じてくれているだろうか。ただつらい労働になっていないか。私のやっていることは正しいのだろうか。家で昼食をごちそうしたりはするけれど、自分のポケットマネーを支払うべきではないのか。いや、それをやりだしたらガラガラと関係性は崩れていくだろう。仲間ではなく主従になっていく。こんな重労働をしてまで砂糖を作りたくはないという意見もちらほら聞かれるようになった。農作業に慣れている私にとっては重労働でもないが、人によって違うものねえ。始まって数年がたち、今がやはり分岐点なのだと頭を悩ませる。

 水路のことで以前バトルになったおじさんの田んぼは、イノシシと猿の両方に荒らされてしまっていたようだ。米をしごき取られて猿に食べられた上に、イノシシがダイブして、暴れまくっているという。イノシシに飛び込まれた稲は臭くて売り物にはならない。暑いなか毎日水をかけに来ている姿を見ていたので、本当に気の毒だった。うらちゃんから、「気の毒ですよね。こうしてみんながだんだんと畑をやらなくなっていくのだと痛感しました」とメールが来た。そうなんだよ。太陽光パネルにしたくなる気持ちもわかる。本当の原因は過疎化でも高齢化でもなく獣害なんだよ。私達は販売しているのでまだ対策に使うお金があるけど、これらが全て持ち出しだと思うと、お手上げだ。
「まゆみさんのところも、猿とイノシシに里芋を食べられてあと2畝しか残ってないそうです」
「そうなんだよねえ。私も帰る間際にまゆみちゃんに聞いたよ」
 まゆみちゃん夫妻は、いつものことよーくらいに笑っているけど、いつしか、耐久レースになっていた。じりじりと猿は勢力を伸ばし、人間は追いやられてしまっていた。

 7月末、うらちゃんの実家へ遊びに行ったのだ。うらちゃんは山梨県の富士山の裾野に実家があって、市民農園を借りて作物を育てている。いつも「うちの山梨の畑は放っておいてもいくらでも野菜ができるんですよ」と言った。マルチを引いているのもあるが、ほとんど草刈りもしなくていいという。
「野菜が虫に食われたりはしないの?」
「人がブヨに刺されることはあるけど、野菜が食べられることはないですよ」
 ズッキーニなんて、このくらい大きくなると、両手でひょうたんほどの大きさを作るので、それは盛りすぎやろーと思っていた。
 行ってみて、私はたまげた! ピーマンも、かぼちゃも、とうもろこしも、どれもこれも、大きく美しく育っている。虫食いなんて一つもない。もちろん無農薬だ。それに、きゅうりもトマトも地這いなのだ。乾燥しているので、地面に野菜が直接ついても作物が腐らない!うちなら速攻で腐るなあ。
「うらちゃん、こっちに戻って農業した方が絶対ええやろ」
と、私は冗談を言ったけど、半分は本気だった。こっちなら楽に育つだろう。
 愛媛とは真逆の気候で、湿度はなく標高は1000メートル近くあるので涼しく、そうなると草は伸びにくく、野菜を食べる虫は全くといっていいほどいなかった。愛媛ではピーマンの茎一列にびっしりとカメムシが並んで栄養を吸って枯らしているというのに。
 鹿がときどき出るそうだけど、まだ柵をしなくちゃいけないほどではないそうだ。畑から見える富士山は神々しくどこまでも続く平野にはトウモロコシが美しく揺れている。

 愛媛の夏は湿度が高いので虫が湧きやすく、それをやっつけるために近所の人たちは農薬散布をした。雨が多いということは草の成長速度も早く、除草剤をまく人も多かった。東日本に比べると、西日本の方が農薬や除草剤を使う量が多いというデータを見たことがあるが、考えが古いとかそういうことではなくて、単に気候の問題なのだ。

 植え替えたバジルも、さっそく虫に葉っぱを食べられてほとんどなくなっていた。でも、トマトとトマトの間に植えるといいと母からきいて、間に植えていたものは虫がきていなかった。とても工夫が必要だった。
 10年前と比べて、すごく農業がしにくくなったと近隣の方々は口を揃えて言う。母も私も同意見だった。やっぱり温暖化(つまり私達の生活の変化)が原因だった。
 沖縄や奄美大島へ行ったとき、サトウキビや南国フルーツの畑以外には野菜畑をみかけなかった。
「暑いから本州にあるような野菜や米は育ちにくいのさ。スーパーの作物は本州から来ているから輸送費がかかってどれも高いんだよ」
と、地元の方が言っていたのを思い出す。
 タイやベトナムでも、野菜畑はほとんどみかけなくて、フォーに載っていたのはミントやドクダミ、パクチーなどの暑さに強いハーブだった。キャベツとかレタスなんかの野菜はスーパーでもかなり高額だった。愛媛も今は亜熱帯気候になり夏の露地栽培が非常に難しくなってきている。
 うらちゃん家の畑のポテンシャルの高さよ。まさに高山野菜、今頃、レタスがさわやかに並んでるなんて・・・信じられん。
「服の繊維に土が入ったらとれないので気をつけて」
と、うらちゃんの妹さんが言う。
 なるほど、土は富士山の火山灰が積もってできたという関東ローム層だな。社会で習ったなあ。真っ黒の土は、小麦粉のようにきめ細やかで「土」というより「灰」と言った方がしっくりきた。
「ほらこれ、ズッキーニです」
 うらちゃんのお母さんが手にしていたのはお化けズッキーニ!!ひょうたんみたい。
 うらちゃん嘘じゃなかったんだねえ。長さ50センチ直径15センチはある円柱よ。ここまではいかないけど、10年前までは愛媛でもそれなりに大きなズッキーニができていたが、今はご近所さんも「この頃、ズッキーニができないねえ」と言った。できたとしても地面についた瞬間に腐ってしまうので、小さいまま食べることになった。
 「なんか最近おかしいよねえ」「野菜が育ちにくいよねえ」と、15年くらいの間にひたひたと温暖化の波は押し寄せた。みかんの木に変わって、アボガドを育て始めているみかん農家さんも増えていると、先日隣町で聞いたりもした。
 うらちゃんの実家のある街は、移住者が増えていて、どんどんと畑が家に変わっていっていると言っていた。涼しくて、水が綺麗で、なんといってもどこからも見える富士山。うらちゃん、こんなに清らかな場所で育ったのか。家にクーラーはないし、夜には窓を開けていると寒いくらいだ。こりゃあ愛媛の夏はしんどいだろうなあ。
「でも、冬は雪に閉ざされて逆に何も育ちませんからね」
 そうだよね。みんな、ないものねだりなんだろう。瀬戸内なら冬も温暖だろうかと、うらちゃんは愛媛に一人移住してきた。こっちは夏はいいけどその分冬は厳しいんだよね。
 とはいえ、年々暖冬になって雪もさほど積もらなくなったのだとお母さんが言った。今後30年、50年、人類は北を目指すことになるのではないかと想像する。

「実家では楽に畑ができていたから、愛媛でも楽勝だろうと思ってたんですよ。そしたら、虫にやられて育たないし、その前に猿対策をしないとやれないし、本当に愛媛での畑は大変すぎますよね」
と、うらちゃん。
 地元では植えたら植えっぱなしで良かったのに、愛媛では次々に問題が発生していて申し訳ない。私こっちの畑を買った方がいいんじゃないかなと思うくらい、夏のポテンシャルが高い土地だった。でも寒くて11月には露地栽培では育たなくなるそうだ。11〜5月は畑は休み。愛媛は逆に11月頃から野菜がよく育つようになる。同じ日本でも違うものだな。そんな土地の人と、一緒に畑をしている不思議というか縁、それも畑が繋いでくれたものなのだ。

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

「高橋さん家の次女」第1幕は、書籍『その農地、私が買います』にてお読みいただけます!

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