第27回
石を積み上げる
2023.12.28更新
11月下旬、水曜メンバー杉くんと、畦道の石積みを本格的に直しはじめた。
私達の畑の畦道には石垣が積まれていて、その上はお墓や竹藪になっている。この石垣がここ数年徐々に崩れはじめていた。最近は数百キロもある猪が畑のミミズを食べようと上の段から石積みを滑り降りるので、さらに崩壊が進み、一部はカンボジアで見たベンメリア遺跡のようになっている。
こうなると触らぬ神に祟りなし。近隣住人も、道を使う人も、誰が直すのかねえという雰囲気だ。石垣は基本的に、上の段の人が管理するものだけれど、なんかそれも言いにくいしなあ。業者に頼んで全面をコンクリートブロックにするのが一番簡単だろうけど、100メートル近くある畦の石垣となると200万以上かかるだろう。
この石を積み替えられたら何とかできるのに。20年前までは、石積みできる人は地域にたくさんいた。壊れたら修復を繰り返してこの石積みの風景は守られてきたのだ。
数年前に、「石積み入門」という本を見つけて買った。初心者にもとても分かりやすく、何より楽しそうに思えた。著者について調べてみると、東京工業大学の准教授、真田純子先生で土木や環境工学を専門とされている。
思い切って、先生の石積みのリモート授業に参加してみたところ、がんばれば自分でも直せる気がしてきた。石は年月とともに割れることもあるが、基本は崩れても何度でも再利用が可能だ。今後、災害などで崩れたとしても、積み方の技術さえ習得していれば、ある意味コンクリートより頑丈だ。
先生に教えてもらった基礎知識はあるものの、たった数時間の座学。壊したからには、二、三日内には復旧しなければ、畦道を通る人に迷惑がかかってしまうと思うと、なかなか着手できずに一年が経った。
そんなある日・・・ついに出会ってしまった。前回書いた、石積みのおじさんに。杉くんと、畑のあとおにぎりを食べようと川へ手を洗いに行った帰りのことだった。静かに、石を積んでいる人がいる。
おじさんは、この土地に住んではいないのに、崩れそうな石垣を見て、近隣のおばあさんが怪我をしてはいけないからと直し始めたのだという。崩れた石垣を見ても、みんな見て見ぬふりするというのに、仏のような人じゃないか。
私達が積み方を教えほしいとお願いすると、現場を見にきてくれた。
「こうしてな、まずは崩して、小さい石も形を合わせて面を作るようにして。ほんで、上には重しに大きいのをおくんよ」
「・・・」
私も杉くんも半分くらいしか分からない。やっぱり、ちょっとずつ手を動かさないと、おじさんの頭の中に描かれている図が見えてこないのだった。
「石をみよったら、どっちが面かが見えてくる」
面(つら)とは、表に出す方ということだ。
「奥にはストッパーのグリ石を入れますよね?」
「そうそう。グリ石だけでなくて、砂も混ぜてな。こうやって鉄の棒でとんとんして締めてやる。これ貸してあげるから」
真田先生は、グリと一緒に砂を入れると植物が繁殖するからいけないと言っていたが・・・。まあ、ここは地元の師匠の言うようにしてみよう。
「前にも奥にも下がらんように、平行に置くこと」
これも、真田先生の授業では奥に向いて傾斜を作るといいと言っていたが、ひとまず師匠に従ってみよう。
それから、杉くんと数段積み上げてみた。これでいいものか・・・わからないなあ。
杉くんが、向こうで石積みをしているおじさんを呼びにいく。
「ありゃー。これじゃあいかんなあ」
「えー! 駄目ですか」
こうして、何度も積み上げては壊してを繰り返しながら、3日でまずは1メートルほどが修復された。
石積みにのめり込んだ私は、暗くなるまで連日夢中で石を崩しては積んだ。面白い。めちゃくちゃ面白い!!! これは、リアルテトリスじゃないか。隙間にピタリと収まる石が見つかると、快感だ。私は、もともと石が好きなのだが、この「重み」という実感がまたいい。一つとして同じ形も模様もなく、動植物よりも、遥か太古からこの地にあるものだと思うと、ロマンの塊に見えてくる。石はこの土地の神様のようでもある。喋らないし動かないし、生きているのか死んでいるのかも分からない。次生まれ変わるなら石がいい。私は畑そっちのけで石にのめりこんでいった。
「うん、上等じゃ」
やった、師匠の合格が出た。よし! この調子で続きをやってみよう。100メートル全部をボカーンと壊して直すわけにはいかんので、ちまちまと崩しては直すことを繰り替えした。そうすると、直したところと、直してないところの継ぎ目がどうもうまくいかない。続きからまた壊して修復していくと、先に直したところとの継ぎ目が心もとないのだ。石垣の面がでこぼこしているのも気になるなあ。なんていうか、あまり美しくないのだ。まあ、初めてだし、ぐらぐらせずに、がっちりと積めていたら良しにしよう。
3メートルほど直したところで、東京に戻ることになった。
やっぱり真田先生に連絡してみることにした。写真を見てくれた先生は、畑であればひとまずこれでもいいだろうけれど、「草が生えたときに、草刈り機が石に当たって危なくないようにした方がいいね」とメールをくださった。他にも、問題点はたくさんありそうだった。そして、一度研究室に来てみませんかと言ってくださった。
東京に戻って三日後に、先生の研究室におじゃました。作業現場のように、ヘルメットやつなぎの服、とんかち、いろんな物が入り口に並んでいる。学生が制作した、膝の高さの石積みの模型もあって、練習できるようになっていた。グリ石と一緒に砂を入れたことを言うと、
「砂はやっぱり入れないほうがいいけど、小石が少なくて砂で代用する地域もあるんですよねえ」
「それから、高橋さんの地域の石は平たいものが多いので、まっすぐでなくて、斜めに置いていった方がいいでしょうね」
なるほど、石の重みのかかりかたで、平たく置くと重さが垂直にかかって、割れてしまうんだなあ。おじさんの方法はそこにあるもので素早く直すのに長けた方法ではあるけれど、工学的に長持ちして草が生えてきにくい真田先生の方法も混ぜてみたいと思った。
「一度、石積み学校へ行った方がいいですよ」
そうなのだ。これ、絶対に行った方がいいのだ。真田先生たちが立ち上げた、石垣を修復しながら、その基礎を学ぶ学校だ。真田先生が徳島大学に長くいらしたこともあって、四国で開催されることが多い。自分の出演イベントとかぶっていたりして今まで行けなかったが、お! 今度のは行けそうだ。杉くんにもこんな学校があるのよと連絡したら、僕も行きます! ということで、石積み学校に入門することになった。
さて、石垣に夢中になっている間に、今年の製糖がはじまった。やることてんこ盛り。みんなでサトウキビを刈り取り、軽トラに積み込み、自宅まで持ち帰り、ブルーシートの上に下ろして、たわしでこすって全てを洗った。みんな文句も言わずにせっせとやってくれる。チガヤ倶楽部の子は、みんなまじめで、一生懸命だ。それから、黒糖BOYZの師匠たち、石積みのおじさん、母、関わってくれる先輩たちもまた、みんな一生懸命な背中を見せてくれる。そうやって物事に向き合うことが一番楽しい遊びだと知っているからだ。
今年の初釜が完成した。
今年の夏は暑かった。真夏の草刈りに、一向に人が集まらないので「一人3畝ノルマね!」と言った。やってほしいと言えば、一人で全部頑張ってしまう人もいれば、全く来ない人もいて、そういうところのバランスを取るために「一人3畝」と言ったが、これがチーム内に波紋を呼んだ。久美子さん怖い! って思った人も少なくないだろう。
今年のサトウキビは細くて背が低い。それは、夏の草取りがあまりできなかったことと、雨が少なかったこともあるだろう。
早朝の草取りの過酷さたるや。しかも、手刈りでないと草刈り機ではサトウキビが飛んでしまうからなあ。
12月末、東京の私に電話がかかってきた。中心メンバーの一人が辞めたいという。
「ありゃー、メンバー間で揉め事とかあった?」
わかるわかる、いろんな子がいるもんねえ。なんて思っていたら、
「いえ、そうでなくて、久美子さんのやり方と合わないなって」
うそ! え! 今なんて!?
一番、従順だった人からそう言われて、ズコーってひっくり返ったわ。ゾエあたりは、そろそろ辞めますーって言いそうやなーと思っていたけど、まさかの、おっくん!?
他のメンバーは、文句があるたびに小出しにしてくれていたり、来なくなるとか、ぶすっとするとか態度にも出たし、「もっとこうした方がいいんじゃないですか?」と提案してくれたりもした。
おっくんは、一番しんどい夏の草刈りもお願いしたらやってくれる頑張りやで、帰りにはいつも母が「ご飯食べていきなー」と、息子のようにかわいがっていた。昨年の夏は仕事帰りに毎晩サトウキビの草刈りをしてくれた。もちろん私たちもしたけれど、広大なので夏草の成長にすぐ追い越され、私が不在の間も仕事帰りに頭に懐中電灯をつけて草をとったという。ありがたいが、今年もこれを彼にまかせてはいけないと思い、「一人3畝、草刈りノルマねー!」と言ったのが裏目に出たのだと電話で知った。
自分は平気だが、他の子にそれを強制するのが嫌だったらしかった。全部自分でやる方がましだったのだそうだ。でも3畝って、そこまで大変な道のりではないがねえ。
他にも、良かれと思ってフォローしたことがことごとく誤爆しまくっていたと知った。はよ言うてよ。私の気遣いが全部裏目に出ていた。まじかー。人っていろいろやなの極みみたいな事例で、電話を耳に当てたまま、ぽかーんとした。
2年間、家族の一員のように親しくしていたというのに、言い出せなかったと知って、本当にチームというのは難しいと思った。私が、もっと察する力をつけなければいけないのだろうが、今回に関しては100年経っても無理だろう。やっと彼という人が理解できた気がした。でもまあ、おっくんは自分の畑を別の場所に持ったから、私の伝えたかった部分はしっかりと繋がっていくだろう。それで十分だと思った。
畑の一年が終わる。