高橋さん家の次女 第2幕

第21回

不思議の国

2023.06.26更新

 5月末、東京に帰った。2拠点生活がはじまって1年半がたち、慣れてくるかと思えば、その逆で、どちらの拠点にも1週間くらいは馴染めなかった。
 羽田空港に着き、家に着くまでの間、今までなら平気だったのに人の海に酔うようになっていた。家と家のくっつき具合も、そんなに気にならなかったのに、窮屈に思うことが増えていった。明らかに、上京したての頃に逆戻りしていた。
 畑の疲れが出てしばらくは何も手につかなかった。原稿がゆっくり書けそうなものだけど、ただただ眠った。作家として私は大丈夫なのか・・・と思ったりもする。やはり、私のやっていることは馬鹿げているのかもしれなかった。けれども、今はこうするしか他に方法は見当たらなかった。

 ある日、ゾエから、共同のメッセンジャーにうさぎの写真が送られてきた。灰色の毛がふわふわした、ぬいぐるみのようにかわいい仔うさぎ。
「ネットハウスの中にうさぎが入っていました。どうやら、下から穴を掘って入ったみたいですね」
 うさぎの肉は美味しいぞと、昔地元の猟師さんに聞いたことがあったが、本当に野うさぎがいるんだなあ。しかも、わざわざネットハウスの中に入ったのか! うさぎは、網にかかって出られなくなっていたようだ。ハウス設置後、作物にかけていた猿よけの網は全て取り外したのだが、唯一、種取り用の大根の花に網がからまって外せなくなっていた。唯一の網にひっかかるとは。うさぎさん、やっちゃったねえ。
「みんなに見せたら山に逃がしてやろうと思います」
とゾエ。
「うん、それがいいね」
 『不思議の国のアリス』でも、うさぎが出てくるけど、忙しい忙しいと言いながら地面の穴の中に入っていく。なるほど、うさぎって、地下を掘って本当にタイムリープするのかー。  
 なんて考えていたら、またゾエからメッセージ。
「もう一匹いました」
「え!! また!」
「さっきは気づかなかったけど、もう一匹も網に引っかかっていました」
 仔うさぎの兄弟だったようで、二匹で美味しいものを食べようと来たんだね。ピーターラビットでいうと、マグレガーさんに見つかったピーターとベンジャミンってところね。
 ゾエが優しくて良かったね〜! 食べられるところだったよ。
 イノシシや猿はうろうろしているが、うさぎまでもが里に下りてくるようになったとは。
 人間にとっての暮らしやすさは、動物や魚、昆虫にとっての暮らしにくさなのだと頭ではわかっていたけれど、実際に下へ下へと下りてくる動物たちを目撃すると、いよいよ現実味を帯びてくる。
 ゾエが来てくれてよかったね。平日なんて誰も来ない日が続いたりするので、網にかかったままだったら死んでいたかもしれないよ。全方位を網や金の柵で囲った完璧なハウスだと思っていたが、そうかー、地下道って手があったかー。まあうさぎは、猿に比べて、群れで行動しないし、高いところには登れないし、体が小さいので食べる量も限られているから、かわいいもんだなと思った。うさぎ達は元気に野に帰っていったようだ。

 愛媛では、里芋の上げ土の季節がやってきた。里芋やじゃがいもは、種芋の上に新しい芋ができるので、どうしても日光があたり苦くなりがちだ。そうならないように、上げ鍬という道具を使って、畝間の土をすくい、土を盛り上げていく。ただ、梅雨は、土も重くなっているので一苦労なのだ。でも今やっておかないと、里芋が青くなると悲しい。チガヤ倶楽部の仲間たちにお願いした。予定していた日が雨になったりなかなか調整ができないようだった。草もけっこう伸びてきているので、まず草を引いて、肥料をあげてから土をかける。
 母のアドバイスをみんなに伝えて、時間のあるときに各々来て仕事をして帰ってくれた。初心者だった子たちが、私が不在でも大分自分たちで動けるようになってきた。一から十まで説明することも少なくなった。これは本当にすごい進歩だった。まず、だれも脱落せずに続けていることが、素晴らしかった。
 いつの間にか畑の範囲もどんどん広がっていて、やることも増えているので、夏場は本当にしんどいけど、仲間がいるから頑張れると思う。

 6月といえば梅!
 私は、今年も東京で梅に発狂していた。
 連日、近所の梅屋敷(勝手にそう呼んでいる)や、梅神社、梅大学、梅公園などに行ってせっせと梅を拾い、梅干しや梅酒、梅シロップを漬けていた。
 梅大学では、新しい梅マダムと出会った(既に何人にも会っている)。
「あなた、若いのに梅漬けるの? 偉いわねえ」
 話すと、ご近所だった。電話番号交換をする流れになってきて、尻込みする。あまりお近づきになって正体がバレるときが一番気まずいもんなあ。私は、東京では作家ということを殆ど明かしていない。家庭菜園好きのフリーダムおばさんということにしている。

 梅の漬け方はいろいろ。梅マダムたちとは、もっぱら塩分濃度と糖度の話で盛り上がる。
「えー!10%?! 他には、焼酎とかくぐらせてないのぉ? それは神技ねえ」
「重しをしとかないとカビ生えますけど、もう慣れましたねえ」
とか
「梅シロップはね、一回梅を凍らすのよ。そしたら細胞が崩れるでしょう? だから、砂糖すればすぐに梅酢が出てあっという間にできちゃうのよ」
 梅マダムたちは、「あさイチ」でやっていたという、梅を凍らせる方法を押してくる。本当に、見事に、凍らしたがり率は今のところ100%である。みんな、凍らすと梅酢が出るのが速いし、変に発酵が始まらないからいいと言う。私は、そんなに急いでないし、じわじわと毎日染み出して砂糖と混ざりあっていく梅の汁を見るのが楽しみなので凍らさないでいいけどなあ。発酵して、ぷしゅーっと爆発することもあるけど、それはつまり梅が生きているということだから・・・冷凍は便利だけど、どうもあの「細胞を壊す」というのが恐ろしい。煮ているものとかアイスとかならいいけど、生の元気な梅をわざわざ凍らしてしまうというのがもったいないように思ってしまうのです。
 でも、
「わかりました!今年は凍らしてみます!」
と毎年言っている。

 そんな、しちめんどくさい梅子のもとに、蜘蛛博士の中田先生が大阪から青梅を送ってくださった。家中が梅だらけやのに、ぴっかぴかの美しい青梅がさらに追加された。私は喜び勇んで、鬼おろしで梅を一つずつすり下ろして、手ぬぐいで濾して、汁だけを土鍋で煮詰めて梅肉エキスを作った。子どもの頃から腹痛やお腹を下したときには祖母の作ってくれた梅肉エキスを飲んだ。あれを飲むとぴたりとお腹が鎮まった。
 最高に真っ青な梅でしか梅肉エキスは作れないそうなので、これまでもやってみたかったけど、落ち梅ではなかなかできなかった。なので、中田先生の青梅は本当にありがたかった。でも、ボール一杯の青梅で、小瓶一つ! なんという貴重なエキスなんだ。私達は祖母の愛情を飲んでいたんだな。
 そして、てぬぐいの中に残された、ボール一杯の下ろされた梅たちよ!!! お前たちをジャムにしてやろう!! 私は、くつくつと砂糖と炊いてジャムにした。今まで、完熟の黄色の梅でしかジャムを作ったことがなかったので、このグリーンなジャムは美しかった。でも、飛び上がるくらい酸っぱいのだろうと思って食べてみたら、うわあ、美味しい! というか、酸味が全くない。梅の気配0だ。りんごジャムだと言ってもいけそう。そうか、酸味は全部しぼり汁に出てしまっているから、こっちは、丸腰の梅のすり身なのだ。
 その証拠に、瓶に入り切らなかったジャムを少し皿に出して置いていたら、二日後には白カビが・・・。
 酸味のない梅は、ステージ後のパンクロッカーみたいに、とても優しく繊細だった。社会という常温では、すぐに他の菌にやられてしまうようだった。
 そういう妄想をしながら、口に入れた途端に汗が吹き出るほどに酸っぱい、梅肉エキスを完成させた。こいつは、絶対常で何年放置しても平気だわ。何事も両面がある。東京も愛媛もそうだ。気長に付き合っていこう。
 梅マダムから電話がかかってきた。梅干しの交換会をしようというもので「お家に遊びに来てください」とおっしゃる。
 行ってみたいという好奇心と、深入りしちゃいかんという、これまた、せめぎ合いである。たまたま日程が合わなかったので、少しほっとした。でも、東京の気軽さって、こういうところにたとえ参加しても、そんなにコテコテにならないということだったのを思い出した。やっぱり、次はおじゃましてみようかなあ。そんな6月でした。

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

「高橋さん家の次女」第1幕は、書籍『その農地、私が買います』にてお読みいただけます!

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