高橋さん家の次女 第2幕

第20回

初夏の畑と人間模様

2023.05.26更新

「じゃがいもの苗が半額以下になってるよ!」
と、母から東京の私に連絡があったのは4月中頃のことだった。急いで、ホームセンターに近いおっくんに700円分くらい買っておいてと連絡する。じゃがいもは、四国では2月か3月に植えるけれど、このチャンスを逃してはならぬ。植え付けの季節は過ぎているが、既に元気な芽が出てきているのだから他の芋にすぐ追いつくさ。
 元の値段が何円か分からず700円と伝えてしまった私が悪かった。何度かおっくんから電話があったのだが、打ち合わせ中で出られず、翌日送信された写真を見て目を疑った。実家の庭に芋の集団・・・。半分になって灰をまぶされた芋、芋、芋!!!!
 まさかこんなに買うとは・・・。
「おっくん、買った芋を半分に切るってことを忘れてたんだろなあ。あんたの伝え方が悪かったんじゃろ。700円は買いすぎ。まあ秋まで寝かしとったらええわー」
と電話の向こうで母が笑っている。半額の半額の半額くらいだったようなのだ。


「え! 秋まで寝かせれるん?」
「前に実験したけど、多分いけるよ。そりゃ半分に切ったんはすぐ植えないと腐るけど、残りは芽を伸ばせれば使えなくはない」
 掘りたての芋を植えても駄目だが、3ヶ月以上置いたじゃが芋は、伸びた芽をかいて、土に埋めておけばちゃんと芋ができるのだそうだ。
 芋が大量に余ったとグループラインしたら、なっちゃんが、家と勤めている保育園で育てたいからほしいと言って取りに来た。母が発泡スチロールの箱をあげて、育て方を教えてくれたようだ。それに、うらちゃんとおっくんが、どんどんとイノシシの柵を伸ばして余った芋はほぼ植えられたようだった。
 余ったのは秋にまわすし、なんなら半額の半額の半額になっている今、種芋を大量に買っておけばよくない? ということになり、おっくんが再び芋を買ってくれた。さーてどうなることやらねえ。残り物にこそ福はあると信じて、こういうときに実験をしてみる。

 なっちゃんは、保育園の植栽リーダーになっているようだ。元々、授業に活かせたらという目標をもってチガヤ倶楽部に一番に入ってくれたなっちゃんが、ついに実践に移り始めたのだった。この頃は、みんなそれぞれに自分の家の近くに畑を持ち始めて、チガヤ農園に来る頻度も少なくなってきていた。よって愛媛にいるときは私は文筆業そっちのけで毎日畑に出なければ間に合わなかった。夜はくたくたで眠るのみだ。肥料だって何だってお金を出して買えば楽だけど、全部自分で作るので手間も時間もかかった。
 おっくんも、職場の近くに空いている畑を任されることになり、そこで新しい仲間たちと野菜づくりを始めている。チガヤ農園はみんなの家から離れている。畑はすぐに行けるに越したことはない。できるだけ毎日観察できた方がいいからだ。おっくんの新しい畑はイノシシは出るけれど猿は出ないそうだし、ベストな土地だと思う。
 一番畑に来てくれていたおっくんが、自分の畑に夢中であまり来なくなったから、単純に人手不足だった。寂しいと思う反面、私や母の撒いてきた種が、また別の場所で実を結び始めていることを誇らしく思う。一人が専業で広大に畑をするのもいいけど、みんなが自分の食べる分だけ土と向き合うのが自然だなと思う。その人の人生の一部に土があるということ。それは農業うんぬんの前に、生きることや生命のルーツを知ることにもなると思うからだ。自分の食べるものを自分で採取するという行為は、あまりにも現代人の生活に欠けていて、それなのにあまりにも生物の根本だった。畑に限らず、当たり前に山菜を採ったり魚を釣ったりする愛媛での生活は、自分が重要なパーツを手放してしまっていたことを知らせた。

 ある日、中学生の女の子が畑にやってきた。学校には行けていないとその子のお母さんから聞いていて、「気軽に遊びに来てみてね」と伝えていたのだ。
 サトウキビ畑の草刈りをしていたとき、本当に丸腰で二人はやってきた。ぞえが車に載せていたビニール手袋をあげて、私は鎌を手渡して一緒に草を刈ってもらった。こういうときは若いものに任せておく。彼女は、私よりも歳の近いお兄さんお姉さんとすぐ打ち解けた。ギャグを連発するぞえにキャハハと声を上げて笑っている。ぞえのキャラクターが最も輝くのは、子どもといるときだ。でも手が止まっとるぞ。まあ、ええ。畑の役目はこれだなと思う。よく動くものも、口ばかり動くものも、みんなを太陽の下においてくれる場所だ。
 すぐお昼になったので家に帰って、母の作ってくれた豆腐ハンバーグとご飯をみんなで食べ、昼からは長靴と軍手を渡し里芋畑へ行った。
 おろか生えで、里芋畑に雑草よりも大量に生えた菊芋の植え替えをしてもらった。菊芋は、植えなくてもなんぼでも出てくる。放置すると他の植物から栄養を奪うので要注意だ。
 うらちゃん達には、単管ハウスのネット張りの続きを進めてもらう。マグロのネット(前回を参照)が思いの外薄くて、猿に突破される可能性があるので、緑の強いネットを買ってダブルで張ることにしたのだった。やることが山程あるので働き手が増えて本当に助かった。
 彼女とお母さんは飲み込みが早く、こつを掴むとダンボール一杯の菊芋を掘り起こして植え替えてくれた。日差しも強かったので、今日はここまでにしようと話した。急に太陽も風もいっぱい浴びたから、どっと疲れが出るだろう。少しずつ体を慣らしていこうね、とその日は帰ってもらった。
「菊芋はすごく元気な植物やけん、きっと全部根付くと思うよ。秋には菊芋パーティーしようね」
「うん。楽しかった!」二人は、笑顔で帰っていった。
 先生からも家族からも「ゆっくりしていいよ」「好きにしてていいよ」と言われてきたに違いない。けれど、きっと彼女は誰かの役に立ちたかったんじゃなかろうか。
 私はものすごく助かった。あれを一人でやっていたら、半日かかっただろうからなあ。ほんまにありがとう。
 やることが、次から次に出てくる。手を動かさねば季節は待ってくれんから、ずっと自然を追いかけて先読みして、そうして恵みをもらう。
 あの子、また来てくれたら助かるわー。と思っていたけど、それ以来彼女は来てくれない。少しずつ学校へ足が向かっているのだと彼女のお母さんが言っていた。良かった。畑もまた頼むね。

 5月、単管ハウスが完成した。広い。前のかまぼこ型ネットハウスの10倍くらいある。うらちゃんのアパートの部屋の3倍だとか言っていて、もうここに住んだらええなと笑った。そのまま作物を植えられた。網を被せたり猿に怯えなくていいのだ。いつか巨大なネットハウスが作れたらいいねと理想を語っても、それを実現させるメンバーはなかなかいなかった。入って一年足らず、うらちゃんの実行力はすごかった。彼女はやりたいことには全力だし、いらないものにははっきり「いりません」と言った。実際、「夏みかんいる?」とみんなにあげたけど彼女はきっぱり「私はいらないです」と言う。酸っぱいものが嫌いだそうで。なんなら、野菜にはさほど興味はないけど土木とか建築とかの方に興味があると最初から言った。
 人にはいろんな能力、いろんな性格がある。畑も、野菜を育てるだけでなく、いろんな力が必要だ。土木や建設もあれば、伸びたツルにネット張ったり、種を乾燥させラベリングして保管する作業、天気をよみ計画を立てること、腐葉土や堆肥を作ること、道具の土をおとし研ぐこと、必要な道具を買いにいくこと、昼ごはんを作ってくれること、溝や水路の掃除、近隣の農家さんとの交流、収穫の時期を見極め収穫したものを分け合うこと、さらには販売ルートを見つけること・・・とてもたくさんの役割があり、当然ながら得意不得意がある。だから、「私は農業は向いてない」と一言で決めてしまうのはもったいない。人と補い合いながら自分の力を発揮できる場面もたくさんあるはずだ。

 母と、草刈りをしているとまゆみちゃんがやってきた。
「くみちゃん、里芋畑に水が入りよるけど、ことないん(大丈夫)?」
 え? 私、水引いてないですけど・・・。すぐ傍にある里芋畑に直行して驚愕した。畝間が水で埋まっているではないか。もうプール状態である。
「まって・・・これはどういうこと?」
 幅20センチにも満たない水路から水が溢れて、里芋畑に水がジャボジャボ流入してしまっていた。下の田んぼの人が自分の田に水を引いていたのだが、石がつまって水路から水が溢れていた。4月に種芋を植えたばかりなので、これでは腐ってしまう。
 溝に詰まった石を急いでどけたが、土のままの水路にもぐらの穴がいくつもできていて、そこからも流入しているのだろうとまゆみちゃんが言った。雨の後で、あまりにも水流が強い。下の田んぼの人が見えたので、
「すみません、里芋畑が水浸しになってしまうので、もう少し水流を弱めてもらえませんか?」
と、丁重にお願いしてみるも「時間がないから、水掛けを早く終わらせたい」とのことだった。働きながら農業もされているので、時間がないということのようだった。
 石の詰まっていない上流も何箇所もオーバーフローしている。水路の幅に対して、明らかに水流が強かった。こういうときの話し合いというのは難しい。一応説明はしてみたけれど「あんたたちが水路の掃除をしていないから溢れているんだろう」
と言うので、ああこれはもう会話にならないのだろうと思った。
 とりあえず、もぐらの穴を埋めなければなるまい。母とまゆみちゃんに手伝ってもらって、土嚢を積んだり土塁を作って畑に水が侵入しにくくしていった。
 何かこういうスマホのゲームを見たことあったなあ。水路の繋がっている他の私達の畑にも水は侵入していて、みるみるうちに他の畑も水浸しになった。
 コンクリートでがちがちに固めていないところが古い水路の良さであり怖さでもある。周りの人と共有で水を引くので、非常に繊細な問題がいくつも出てくる。私も真夏には里芋に水を引くことになるので、気をつけないとなあと思った。
 やがて、水流は少し弱まった。強気な対応を取られたけれど、私の言葉は届いていたのだ。水源地へ行って川の勢いを弱めてくれたのだろう。会話は大事だなと思った。

 

4月末に種を撒いた豆類やレタス、きゅうりやピーマン、とうもろこしも、次第に芽を出してきた。いよいよ夏野菜の本番だ。一方、冬野菜の小松菜や白菜はいっせいに花を咲かせ、やがて花は散り種が膨らんだので、茎ごと切って持ち帰り軒下に逆さまに吊るして乾燥させる。完熟になったものは乾燥させて種を取る。これを見ていたら大豆やくるみ、アーモンドなどの種子に栄養があるのがよく分かる。大豆を畑の肉と呼んでいたのも頷ける。

 基本的に、私達は花のできる前の野菜を食べるわけだけれど、彼らにとっての完成形は子孫を残すための今である。種にこそ全てのエネルギーを注ぐのだ。大豆のような完熟の豆は、いわば卵の黄身を食べているようなものなのだ。
 キャベツは、食べたいのを我慢して一つ残しておいたらその真中を食い破って、黄色い美しい花を咲かせた。そのまま残して、種を取る。ブロッコリーやロマネスコ、カリフラワーは、あの小さなぷつぷつ全部が花を咲かせ全部が種子になった。春菊はマリーゴールドにも似た大きな花をつけ、畑はまるで花壇のようだ。
 初夏を迎えても、畑の中では何度も何度も春が訪れる。
 大根はそのままの立ち姿で、頭に噴水のように華やかに花を撒き散らした。
「そろそろ今年もきそうよねえ」と話していたとき、「ありましたよ」とぞえが言った。いろんなところからゴーヤが芽を出していた。これぞおろか生え。去年の種が落ちていたのだろう。それを単管ハウスの外に植え替える。ゴーヤは猿が食べないので、外でもいいのだ。
 今までの苦労が嘘のように、トマト、なす、きゅうり、とうもろこし、枝豆、三尺豆、いんげん、たまねぎ、じゃがいも、レタス、様々な野菜が単管ハウスの中で育った。
 こんなに順調だと怖くなるわあ。扉の閉め忘れだけには注意してね。あそこを破られたら奴らの天国やから。

 東京に帰る日のこと・・・え・・・これはもしや猿では!? 里芋の畝に10か所くらい穴を開けられて、せっかく芽のでかけた種芋が猿に食べられている。里芋は猿の体では分解できない灰汁があるから食べないと何十年も言われてきたけれども、この頃は人化が進んでいて消化できるようになったとも聞いた。ここ2年、猿は劇的な進化をしていた。

「この分では10日で全部食べられてしまうぞ」と、近所のおじさんが言ったが、私はうらちゃんにあとを託して東京へ帰ってきた。その後、うらちゃんを中心に、みんなで全面に鉄杭を立てて一週間かけてネットを張ってくれた。天井まで全部張るのはさぞかし大変だっただろう。どうかこのまま無事に育ちますように。
 一日一日、畑に来れば人も賢くなっていくなあと、ハードルを乗り越える度に成長を感じるのだった。

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高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

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