復活!ミシマガジン

第2回

僕たちの世代 光嶋裕介×後藤正文×三島邦弘(1)

2018.09.23更新

 20184月にリニューアル創刊した「みんなのミシマガジン」。システムの関係上、これまでの記事は見られなくなってしまったのですが、「あの連載がどうしても見たい」という声がとても多く、そのリクエストにお応えして一部を復活させよう! というのがこの「復活ミシマガジン」のコーナーです。

 第2回目の今回は・・・2018年10月19日に、日本のロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターを務めるゴッチこと後藤正文さんの新刊『凍った脳みそ』が発売されることを記念して、「旧みんなのミシマガジン」の中から、後藤正文さん、建築家の光嶋裕介さん、ミシマ社代表三島邦弘による鼎談の記事をお届けします。

 新刊の発売が待ちきれない! という方、まずは今日のミシマガと、後藤正文さんの既刊『何度でもオールライトと歌え』(ミシマ社)を何度も読んで、ゴッチの文体をたっぷりと堪能してください!

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『何度でもオールライトと歌え』後藤正文(ミシマ社)

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※本記事は、「旧みんなのミシマガジン」にて、2014年5月19日〜21日に掲載されたものです。

 どうしても話をうかがいたい人がいた。アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文氏。自費で発行するフリーペーパーの編集長も務めている。そこに掲載されている言葉の数々に、ほってはおけない熱を感じた。たとえば0号(創刊準備号)の冒頭――。

僕が知らない間に
いや、知らないふりをしている間に なんだか不味いことになっていた
ひどくこんがらがって 自分で自分を縛っているような
そんな社会になってしまった

 まさに同時代に生きる人。そう思った。たとえ同じ時代に生きていても、同時代感覚をすべての人と共有できるわけではない。同じ時代を生きることと、同時代感覚をもつということは別の話だ。その意味で、後藤さんは自分にとって、まさに同時代感覚の持ち主だった。

 今回、「僕たちの世代」という特集のなかで、音楽、建築の世界で活躍中の同世代のお二人と話しあいました。「この時代における音楽、建築、出版そして表現とは?」その役割、意味、展望・希望・・・さまざまな角度から「僕たちの世代」が浮かびあがってきたように思います。場所は、光嶋裕介さんが設計された内田樹先生のご自宅兼道場「凱風館」(兵庫県住吉)。

 当日蓋をあけると、内田先生、釈撤宗先生が「聴衆」というなんとも驚きの環境で開催されたことをひとこと付け加えておきます。大先輩方の前で、私たちはいったい何を話したのでしょう?

(構成・写真:新居未希、構成補助:赤穴千恵)

「怒りって、抱えてますか?」(光嶋)

光嶋 先日ふと「なにかモノをつくるには、怒りが必要だ」という言葉を耳にして、「僕はどうかなぁ」と考えることがありました。自分自身で言うならば、阪神淡路大震災や同時多発テロ、そして3.11がおき、怒りというか建築や都市に対してある種の絶望みたいなものを感じたんですよね。けれど、それらを通して感じたものの根底にあるのが、怒りか絶望かはわからない。音楽や出版においても、怒りって抱えているものですか?

後藤 うーん、難しいですけどね。ある種の無力感は前提にあります。たとえば、ジョン・レノンが「イマジン」をつくっても戦争はなくならなかった。そういう意味では音楽が本当に世界を変えるのかというと絶望を感じてもいるし、その一方で、ジョン・レノンによって人生がかわった人もたくさんいる。でも・・・なんか僕は、「怒りから生まれる」なんて断言されると、それ自体に抗いたくなりますね(笑)。

三島 それはたしかに。

光嶋 そうか。僕があのときに感じた違和感って、断定だったからだなあ。ふと「怒り」って言われたとき、「あれ、僕にとっての怒りってなんだろう」って思ったんですよね。そもそもなんで怒らなきゃいけないんだ、っていう。

後藤 怒ってない人もたくさんいますよ。言葉を一言でまとめすぎるのは、美しくないです。

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「単純じゃないほうが安心します」(後藤)

後藤 そうは言っても、負の感情から生まれるいいものもあったりはしますよね。けれどたとえば僕は、ソロとして作ったはじめてのアルバム『Can't Be Forever Young』なんかは、怒りが原動力ではないです。

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Gotch『Can't Be Foever Young』(only in dreams)

光嶋 それは、怒る具体的な対象がいなくなったということなんですかね?

後藤 いや、そんなことないですよ、怒ってますよ日々。

光嶋・三島 日々!(笑)

後藤 いや、日々ニュースを見てウガーッとなるけれど、「うわー腹立つ安倍政権! よし、音楽つくろう!」とはならない(笑)。なにがしかの感じたことは自分のなかにあるとは思いますけど、そういうつながり方ではないですよね。

光嶋 たしかに。3.11のことだって、忘れるなとかがんばろうって言っても「よし、いい建築つくろう!」って、そんな単純な接続の仕方じゃないですもん。

後藤 単純じゃないほうが安心しますよね。目的と行動がばちっと繋がるときのほうが怖いんじゃないか、ちょっと考えろよってシグナルがパカパカでます。

光嶋 たしかに、社会的に誰に対して音楽をつくるんだって明確に言語化できたら、それこそ怪しい。考えてつくり続けることの中にしか、結果はわからないんですよね。

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「全部壊して解決って、それは危ない」(三島)

後藤 時々思うんですよ、ぶっ壊すことが本当に正解なのか? って。僕たちの時代の抗い方は、そっちじゃないという気がしています。ちゃんとしたいし、上手く回そうぜって。もちろん法律やしくみを変えなきゃいけないときもありますけど、この流れとか、システムの中でどれが一番滑らかに動くかを考えるのが面白いことなのではないかと思っていて。僕たちの抗い方はこっちなんじゃないかな、と。

光嶋 いや、ほんとうにそうですね。

後藤 もしかしたら、就職のときに上手く回ってなかったことに対するとばっちりというか、「就職がないのは俺たちのせいじゃないだろ」って思いがあった人もいるだろうけど。

三島 たしかにあの頃(90代終わりから2000年代初め頃)、上の世代のせいだとか制度も壊そうぜって文脈がばーっとでてきた気がします。終身雇用、年功序列の廃止とか、急に声高に言われ出しましたよね。でも「一気に全部壊して解決」させようという発想は、それ自体危ないって気がします。

後藤 社会がドラスティックに変わるっておっかないですよ。毎週革命なんて起きたらやだもん(笑)。

光嶋 それは大変だ(笑)。

後藤 だから、あんまり変わらないほうがいいんだっていうような考え方は、一種の知恵なんだなって思う部分もありますね。

光嶋 あるひとつの集合知みたいなものに対する感性というかね。

後藤 社会ががらっと変わるより、少しずつのほうがいいですよね。

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「建築は、街を変えますよね」(後藤)

後藤 それって、建築のほうが考え方が近いんじゃないですか?

光嶋 そうですね。建築のスピードって、圧倒的に社会の流れる速さには間に合わないですからね。たとえば、今考えていることが建築として完成するのは1,2年後なんです。だからその時差を考えると、今思いついていることを疑わないと、それこそ時間に耐えられない。長い時間軸を意識してつくることを考え続けたいですね。

後藤 でも建築は、街を変えますよね。駅の建物がよくなるだけで気分がよくなったりするじゃないですか。ベルギーのリエージュってところの駅は、天窓で最高にかっこよかった。「ここに降りたい!」って思いましたもん。

光嶋 その感覚って、やっぱり建築の力なんですよね。それって数値化できないじゃないですか。「この駅すごいでしょ」って、説明する必要がないんですよ。入ったら瞬時にわかる。子どもが自然と遊び回りたくなる空間って、いきいきしていて、その良さは説明不要ですよね。

後藤 建築ってきっと、その街の人の美意識を表してますよね。

光嶋 ひとつの建築が、時間をかけて周りに影響を与える可能性を秘めている。そこに住まう人たちのふるまいを規定するし、街としての美意識の鏡でもあるはずなんです。

後藤 そう考えると、もうちょっとまわりの建物がよくなると気分よく暮らせるのかなあ(笑)。

光嶋 僕は、循環や統一性みたいなもので「これはだめだよ」って排除してしまうのではなくて、もう少し色んなものが同居をする方向に目を向けられないかなと思っています。

三島 先日のミシマガの連載記事でも、「建物はその人のものだけど、外から見れば公共物なのだから、その意識をもったほうがいい。そこがベルリンと日本との違いじゃないか」と書かれてましたよね。

光嶋 地域の人たちが、自分たちの街というか周りの環境に対して発信しているんだと意識を少しでももつことができるかどうかは大きいですよね。都市には同居しうるんですけど、「俺の家だからいいだろ」っていう風に個々人が独立してしまうとね。

後藤 ガウディくらいぶっとんでたら、認めざるをえないですけどね(笑)。街中を歩いてると、「あのまがまがしい結婚式場はなんだ!」とか思うんですよ。作る人のアーティスト性によって建てられてるから。

三島 なるほど。

後藤 だから、生活の場にアートが出ないほうがいいんじゃないかな。ある種の付加があったほうが調和しますよね。芸術って生活の場ではあんまり信用していない。

光嶋 芸術は、癖みたいな強い個性がありますし、趣味なども関係してくるので、取り扱い注意みたいな感じですよね。

後藤 どこまで自由にやっていいのかな、ってところですよね。ものづくりに関しては、制限があったほうがいいものをつくれると思います。

三島 たしかに。原稿も、締め切りがあるからこそ書けますよね。

「脳も身体も敏感にしておきたい」(後藤)

光嶋 この3人は同世代ということのほかに、「ものづくり」を仕事にしているということが共通していることでもありますよね。建築の場合は、その場所やクライアントがものづくりのきっかけになるのですが、後藤さんはいかがですか? 音楽って、無から有をつくり出すので、それがすごく気になって。

後藤 音楽にはビシッと決まった設計図があるわけではないので、そこはすこし建築とは違うところかもしれないですね。「こんな家になるかな」と思って作ってると、「あれ?」って時々はみ出るんです。最初とちょっと間取りが違う。でも音楽って、その場その場で判断が変わっていいというか、ぶれちゃっていいんですよ、たぶん。

三島 それおもしろいですね。

後藤 自分のここ何年かの考え方としては、「音楽だけ聞いてちゃだめだ」と思ってやってます。本も読むし、映画も好きだし、美術館に行ったりもします。僕の中では、なんの疑いもなくぜんぶつながってるんですよね。

光嶋 たしかに。自分の体験したものの総体として音楽が立ち上がるんですかね。

後藤 脳も身体も敏感にしておきたいっていうのはありますよね。

三島 すごくよくわかります。僕は内田樹先生のところで合気道をしているんですが、それが仕事における身体感覚にも、つながっている気がしています。

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「バンドの中で、余っている人がいてもいい」(後藤)

後藤 僕、身体が動く人にすごく憧れがあるんです。ドラマー、ギタリスト、歌がうまい人も、みんな身体が動くんです。そういう意味では、音楽ってぜんぶ身体に回収されてしまう感じもしていて。もちろん、普段何を考えているかとか、そういう観念的な部分も大事だとは思うんです。でも、技術というのは身体に宿っている気がして。

三島 なるほど。音楽の身体性に意識的になられたのは、いつ頃からですか?

後藤 インターネットがでてきた98年くらいから、Macを買って、海外の音楽とかを聴いていたんですけど、なんていうか「全部このハコの中にいれようとしているんだったら不気味だな」と思ったんですよね。入りきらないと思うし、情報がどんどん増えていって、ぜんぶ活字に置き換えようとしている感じがするというか。

光嶋 ほんとうにそうですね。僕も学生時代にあの魅力的なiMacを買いましたが、どこかツールではあるけど、あれにすべてを還元してしまうことには、不自由さみたいなものを感じたりもしていました。デジタルとアナログの質感の違いを意識した上で、バランスが大事だと思いました。

後藤 そう思ったのはほんとうに、ミュージシャンとして、ミュージシャンだから、というだけではないんですけどね。

 なんだか今、作っているものよりキャプションのほうが大事になってきている感覚があるんですよね。音楽ってすごく原始的なものなのに、観念が追い越してしまっているような気がする。でも、それってどうなんだろう? と。最近は歌詞にも観念的なものが多いし、詞もほとんど叙情なんですよね。「1mmも町の風景がでてこなかったぞ」というような曲が増えてきて。

三島 うんうん。

後藤 これって完全に、自分たちのヒューマニティみたいなものをどこかに置いてけぼりにしちゃってるな、と思いました。そう考えるようになってから、自分のつくる音楽の中でコーラスが増えましたね。

光嶋・三島 へぇ~

後藤 とにかく和音を人の声で重ねることが増えたんです。そうすると一気にカラフルになって、メロディーや曲が躍動しますね。でもそうするとメロディーとかが日本っぽくなくなって、洋楽っぽくなっちゃうんです。

三島 あ、そうか。和音はそもそも、西洋からもってきたものだからですか?

後藤 そうなんです。日本語がもっている正しい音韻で詞を詠んだりメロディーをつけていくと、ハーモニーをつくったときに少し寂しげにのるというか、美しくないというか・・・メロディーが求めてないときが多いんですよね。和音をいれるとただ不気味になったりとか、ただ悲しさとかマイナーの感じが増幅されたりする。

三島 なるほど。

後藤 あと最近は、演奏するメンバーはなるべくたくさんのほうが楽しいです(笑)。人が余っていてもいいんじゃないかと思うんですよ。

三島 バンドの中で?

後藤 そう、ちょっと一服してる奴がいてもいい(笑)。そっちのほうが音楽としては正しいような気がします。だから人は余ってたほうがいいんじゃないかって。全員がこっからここは絶対弾かなきゃいけないってガチガチに固まっているよりかは、そのほうが音楽らしいと思ったりもします。

光嶋 余ってる人、いいですね! オーケストラの、シンバル的なポジションとかね。1曲に出番が1カ所だけ。やはり、制御可能なものとそうでないもの、魅力的なものには、いつもノイズがありますよね。

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「音楽のいちばん大きい入れものは、人間なんだと思う」(後藤)

後藤 いろんなメディアの寿命ってあると思うんですけど、音楽ってメディアとしては歴史が浅いんです。レコードも100年くらい。スコアだともっと古くからありますけど、でも本なんて5000年くらいの歴史がありますよね。建築物なんてもっと前からあるわけで。

光嶋 建築が大事にされて残っているというのは、それだけのものが未だに残っているということに対して、挑戦している部分もあります。過去(歴史)の姿から考えをスタートし、今の問題を解決すべく、未来の姿を想像しながらつくるんですよね。それが、ずっと残ることを目指して。

後藤 建築って、その建物自体が芸術だったりするので、やっぱり強く残りますよね。言葉は何かに書き付けないと残らないし、その書きつける器が寿命にかかわってくるんですけど。音楽なんて一番残らないものだと思いますけどね。どんどん変わっていくものだし。

光嶋 記録することが難しいからですかね?

後藤 そういうのもあると思いますけど、もう変わっていっていいんじゃないのとも思います。

光嶋 記録方法が?

後藤 そうですね。その方法は今でも、CDからデータになったりいろいろと変遷していますが、だけどデータになったから一生残るかっていっても、それも逆に危うい気もします。レコードやテープも、繰り返し聴いたらどうしても音が悪くなっちゃいますしね。だから音楽のいちばん大きい入れものは、人間なんだと思うんです。

三島 それおもしろいですね。

後藤 レコードはまた別で、音楽もはいってますけど、その周りにいる録音する技術とか溝を掘る技術とか、その集積なかんじがします。別のアートというかね。

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「人間の身体性は、けっこうよりどころにできる」(光嶋)

光嶋 何百年何千年とさかのぼっても、人間は今の我々の身体と基本的には変わらないですよね。頭があって、腕と足が2本ずつあることや、物理的な大きさなどもそれほど変らない。だから僕は、建築を設計する際に、人間の身体性はけっこうよりどころにできるのではないかと思うんです。

後藤 うんうん。

光嶋 たとえば「人間が洞窟に住んでいたとき、家のありかたってどうだったんだろう」とか、「人間にとってのスケール感は何が一番合理的なのか」とか、空間におけるものと人間のありかたはどうなんだとか考えたりしますね。

後藤 僕が音楽の歴史、ヒューマニティの問題、身体について考え始めたのは、ぜんぶ同じ時期なんです。そのときから、いろいろなことを考えるようにしたんですよね。狩猟採集のことや、農業について考えてみたりとか。

光嶋 それはひとつのターニング・ポイントがあったということですか?

後藤 うーん、どうなんですかね。ひとつあげるとしたら、「土偶」が自分のなかでは大きいんじゃないかなあ。「なんなんだろう、これは?」「どこに捧げたものなんだ」って。

三島 なるほど。

後藤 僕の中では、音楽も自分が美しいと思ってるところに捧げてるんですけど・・・。それってなんなんだろうな。そういう、僕の中にも、信仰みたいなものがあるんですよね。それを他人に説明するのは難しいです。みんなで演奏しているときにもそれはたちあがるんですけど。

光嶋・三島 へぇ~~~

後藤 でも音楽や歌うことって、難しくて。言葉ってある種の日本的な考え方とか、そういうなにかが担保してきたものだと思うんですよね。基本的に日本人って、西洋の思想を上手に日本語に訳して、言葉をビルドアップしてきていると思うんですけど。

三島 そうですね。

後藤 でも明確なことは言えなくて、調べながら感じていくことでいろいろわかっていく気がしています。民族史とか好きでよく読むんですけど、「学校でもこういうこと教えてくれたらもっと勉強したのにな・・・」って思ったり(笑)。

三島 民俗学についての本を読まれたり、調べたりすることが、どこかでぽんと後藤さんのなかでつながって、音楽を次の段階にもっていく可能性もあるかもしれませんよね。

後藤 まだ身に付いていないことなので、自分の考えていることと話していることがイコールで結ばれていない感じがしてはがゆいですけどね。でも、この知識が身体にすっと身につくといいな、と思っています。

光嶋 すべてが自分のなかに地層のようにして積層していくと思うと、楽しみですね~。

(つづく)

編集部からのお知らせ

後藤正文さんの新刊『凍った脳みそ』を発刊します

後藤正文さんによる「みんなのミシマガジン」の大人気連載、「凍った脳みそ」がついに一冊の本になります。発売日は2018年10月19日。どうぞお楽しみに!

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