第29回
電子レンジが遠すぎる
2026.09.22更新
「休みの日は何をしているんですか?」という質問がなされている場面を目撃した。聞かれた側は、「うーん、私って本当に趣味がなくて......ずっと昼寝しています」と答えていた。
こういう人間は世の中に一定数いるわけだが、正直なところ信じられない。いったいどんな生き方をすれば、趣味が昼寝のみの人生に到達できるのか。
しかし同時に、羨ましいとも思う。皮肉ではない。休日になにをするでもなく、ただ寝てさえいれば満足できる生き方。資源も金も労力も必要とせず、他者も介在しないがために一切の摩擦や争いも生まない、すこぶるエコでプリミティブでサステナブルな娯楽。
じゃあおまえにはいったいどんなご大層な趣味があるのかと問われれば、これも難しい問題である。たとえば旅行がしたい、美術館に行きたい、温泉を巡りたい、山にも登りたい、広いプールで泳ぎたい、おいしいレストランでたらふく酒を飲みたいなどなど、まあ関心ごとはいろいろとあるのだけれど、それらの多くには(ひとえに資金力不足といった根源的な問題によって)なかなか手が届かないため、趣味といえるほど頻回に親しむ機会を得られない。
このごろとうとう発見に至った一つのテーゼであるが、自分のような貧乏人においては、「思考する・感受する」ということへの欲を手放した方が幸せになれるに違いない。
昔見たドラマで『節約ロック』という作品があった。30歳の独身サラリーマンである主人公は、貯金ゼロであることから彼女に振られ、これを機に節約生活に励むようになる。なかなか役に立つ知恵が満載の愉快なドラマであった。
そして、たしか最終回だったと思うが、主人公はとうとう「究極の節約術」にたどり着く。これがなんと、ひたすらに布団の中で横になり、いつまでもなにもせずに過ごすというもの。ギャグっぽい描写ではあったが、これはかなり重要な真理をついていると感心したものである。今でも深く印象に残っている。
そもそも自分のように、愚鈍と卑屈と貧乏が骨身に染み付いたような人間が、なにかを考えたり感じたりするということにはかなり意味がないと言えるであろう。残念なことだが認めざるを得ない。長年のつぶさな実証実験によって見出されたかなり有力な真実である。
なぜならば、当該人物がそのちっぽけな脳みそを酷使して必死で思案していることというのは、すべからく稚拙で無益でろくでもないためである。
具体例としてようやく本題に入ると、私はこの夏のあいだじゅう「いかにして電子レンジを使わずに生きるか」ということを研究していた。
前提として、職場の休憩室にある電子レンジを使うというたった一つのミッションを完遂するまでには、あまりにも困難が多すぎる。
①先に別の誰かが使用中だった場合、どうやって待っていればいいのかわからない
「早くしてください、待ってますよ」感を出すのはもちろん違うが、さりとて「全然ゆっくりやってください、待ってませんよ」感を出すのも変な気がする。なぜなら電子レンジのパネルには、残り時間が明確に表示されているからである。急かそうが待とうがなんの意味もない。そんな状況下でなにを言えばいいのか? 使用中の人が「お先してます」と言ってくれたときの適切な返答がわからない。
世間話で間を埋めようにも、話のサイズが難しい。たとえば残り時間が1分15秒だったとして、1分15秒ちょうどの世間話をするのはキモすぎるのではないか? かといって、単にレンジを使うタイミングが重なってしまったというだけの人を相手に、1分15秒以上話すのも迷惑な気がする。そして一番まずいのは、話の尺が1分15秒に満たなかった場合である。それらを鑑みると、雑談というのは、あくまで自分のようなコミュ障にとっては得策ではない。
②「お待たせしました、次どうぞ」と言われたときに、実は他にも待っていた人と重なってしまうリスクがある
休憩室というスクランブルに人々が出入りする環境下において、レンチンの順番を待っているのが自分だけであるという確証を持つのは難しい。もしかするともっと前から待っていた人がいるかもしれないし、あるいは一度温めたが食べてみたらちょっとぬるくて、もうちょっとチンしたいんだよな、レンジが空いたら使おう、とタイミングを見計らっている人がいるかもしれない。
それらを見極めるというひと手間がまず面倒くさい。そして万が一見誤った際、「自分の方が先に待っていたのに、佐藤が先に使いやがった、あいつは陰気で気が利かず声も小さいくせに、電子レンジを使うときだけは偉そうに、まったくろくでもない奴だ」と思われたくない。
③自分が弁当を温めているあいだに待っている人がいるという状況に耐えられない
待つのも大変だが、待たせる方はさらに気まずい。自分がレンジを使っている最中、たとえばものすごく忙しい人か、ものすごくイライラしている人か、ものすごくお腹が空いている人がやってきて、パネルに表示された残り時間を見るとする。そのときに「こんなに忙しい/イラついている/お腹がすいてるときに、おまえごときが2分もチンしてんじゃねーよ」と思われるリスクが絶対にないとは言い切れない。レンジを使うことにより、誰かに恨まれる不運に遭遇する確率が1パーセントでも上がるなら、これは使わない方がいいだろう。
ちなみに冷蔵庫は使える。待ち時間とそれに伴うコミュニケーションが発生する可能性が極めて低いためである。
要するに、夏の労働現場に携える弁当における最良の条件とは
①冷蔵庫に入れることでおいしくなるもの
②電子レンジを使わなくても奇妙に見えないもの
ということになる。
①について、夏はこれらのメニューの研究がはかどるので楽しい。王道はサンドイッチ。作るときにも火を使わないから楽だし、猛暑日の昼休憩中、きりりと冷たいサンドイッチにぱくっとかじりつくのは格別の気持ちよさがある。通常よりもレタスのはりが爽やかに、ハムや卵の塩味が鋭く感じられるような気もする。
今年の夏のヒット作は、冷やし中華と冷や麦だった。どちらも冷蔵庫に入れておくことによりおいしさが増すのが嬉しい。冷やし中華はそのまま弁当箱に詰めて、ごまだれの袋を添えて持っていき、食べるときに混ぜる。冷や麦の麺つゆは別でスープジャーに入れておき、冷蔵庫でよく冷やした麺をつけて食べる。
続いて②については、かなり強引な解決法を数年前に編み出した。「レンチン不可の弁当箱を使う」、これである。
「佐藤さん、どうしてお弁当チンしないの?」と不思議がられたときに、まさか「コミュ障だからです」とは言えない。しかし、弁当の性質そのものの側に原因を作ってしまえば、返答はぐっと単純で済む。「このお弁当箱はチンできないからです」これでよし。というような事情も込みで、7千円もする伝統工芸品の弁当箱だとか、竹籠のおにぎりボックスだとかを愛用している。弁当がおいしそうに見えるという副次的な効果ももちろんある。
酷暑の時期、本当ならば弁当は常温で放置しない方がいい。かならず冷蔵庫に入れるべきである。ということはもちろん承知している。
とはいえ、毎日サンドイッチと冷やし中華と冷や麦のローテーションというわけにもいかない。やはりできれば米が食べたい。
これがまた面倒くさい話だが、私は白米を冷蔵庫に入れるという行為そのものについて、極めて強い反対の主義を貫いている。米農家の孫として生まれ育ったがための贅沢な性かもしれないが、ひとたび冷蔵庫に入れた途端、米のうまみは大幅に損なわれてしまうと考えている。
では最終問題。
(弁当箱の性質、あるいはコミュニケーション恐怖等の問題点から)夏場に電子レンジを使えず、さらに冷蔵庫に米を入れるのも嫌で、それでも米飯弁当を諦めきれない人物が、満足のいく昼食をとるためにはどうすればよいか?
答えとしては、「腹を壊さないように信じる」それしかない。
レンチン不可の弁当箱に米を詰め、よく冷ましてから持っていき、冷蔵庫には入れず、電子レンジで温め直しもせず、そのまま食べる。この夏はそうやって暮らした。なんと不衛生なと怒られるのかもしれないが、実績として一度も体調に異変をきたさなかった。どんなに社会不適合で非常識で頑固者だとしても、人間、意外と普通に生きていけるものだと思う。
ところで自宅の電子レンジも、場合によっては(トースターなどの機能を使おうとすると)発煙する。十年前に買ったものなのでもう寿命なのだろうが、買い替える金がないのでどうしようもない。「食パンは生で食べた方がおいしい」という、そんなわけない主義を新たに掲げることでなんとかやり過ごしている。
いったいどういうわけなのか、いつだって、電子レンジが遠すぎる。やっぱり貧乏人は、自宅の布団でじっと横になってなにもしないのが一番幸福なのかもしれない。




