第10回
えっ、みんなでアナキズム!?(2) 近代以前の回路とつながるには
2019.11.14更新
先月18日、荻窪の本屋Titleさんにて、『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号』の刊行記念イベントを開催しました。
「えっ、みんなでアナキズム!?」と題したこのイベント、ちゃぶ台編集長の三島がTitle店主の辻山さんを聞き役に、災害、政治、そして宗教という今号のキーワードを熱く語りあってきました。
災害や政治問題の続く昨今、こんな状況の中で私達にできることは何か、たくさんのヒントが出てくる対談となりました。
ミシマガジンではこの日の様子を2日間にわたって掲載します。
(構成:岡田森 写真:星野友里、須賀紘也)
前回の記事はこちら
『ちゃぶ台 Vol.5 「宗教×政治」号 ミシマ社編 (ミシマ社)
福禄寿の酒造りの背景にあった宗教性
辻山 この本は政治だけじゃなくて宗教というもう一つの柱もありますけど、これはどこから湧き上がってきたんですか?
三島 やっぱり秋田の福禄寿さんから影響を受けていて、彼らが近代以前の酒造りに戻れたのは、酒造りが持つ宗教性が背景にあったんじゃないかと直感的に感じていたんです。それを確かめるために先日秋田に行って、福禄寿酒造の渡邉康衛さんに会ってきたんです。そうしたら、そもそも酒造りは神事で、お酒は神様に捧げるために作っていると言っていたんです。
(三島が秋田の福禄寿さんで聞いてきたお話はこちら)
渡邉康衛さん×三島邦弘トークイベント 「本づくりと酒づくり〜ちいさいものづくりで目指すこと〜」
それで、福禄寿さんが近代の科学技術一辺倒の酒造りから、近代以前の先祖の知恵に戻れたのは、酒造りの中にしみついている宗教性があったからだと改めて思ったわけです。『ちゃぶ台Vol.5』の中で内田樹先生に宗教のことを語ってもらっているのですが、近代の日本は宗教からの切り離しがあったんですね。
辻山 国家が国家神道を作ってそれを信じなさい、と。
三島 はい。もともとは神仏習合だったんです。明治になって、西洋と対抗するために一神教的なものが必要になった時に、神道だ! という話になって、廃仏毀釈をして国家神道という観念的なものを作ったんです。
辻山 これは私がそう感じるだけなんですけれど、国家神道の神社に行くと、なんだかピーンと張りつめた感じで、怒られているような気がするんですよね。一方で、先日大阪の四天王寺に行ったんですが、あそこは親鸞も空海もいるかと思えば、鳥居も立っていて、非常におおらかなんです。そういうところのほうが気持ちいいと感じます。関東に比べると、関西は街が古いので、そういう土着のものが多く残っていますよね。
『ちゃぶ台Vol.5』を読んで思い出したのですが、網野善彦さんの『無縁・公界・楽』という本があって、中世の縁切り寺の話が載っていました。縁切り寺では、夫が縁を切ってくれなくても、そのお寺に5年いたら縁が切れたことになるんですが、それを社会が許していたようなことが書かれているんです。もし神社が国家統制のためのものだったら、こうしたアジールの機能は果たせないですね。
三島 宗教の場には世俗を持ち込まないというのが宗教の空間の良さですよね。世俗の社会的関係を無効にする装置があることで、社会の豊かさを回復していけるのだと思います。
イベント特設ちゃぶ台コーナー
政治運動と宗教性をつなげる
三島 内田先生が『ちゃぶ台Vol.5』の中で、日本がなにか力を発揮するときは、外来のものと土着のものが融合するときだ、と言っています。仏教は奈良時代に伝来してなかなか根付かなかったのに、鎌倉で親鸞とか一遍といった天才たちによって「仏教の土着化」が起こります。
ここでアナキズムと話が繋がるんですが、近代の選挙やデモなどの政治運動は、すべて西洋的な、一神教で全部が作られた文化での解決策なんですよね。政治的な戦いのデモとかが日本で力を持ちづらいのは、西洋そのままの形だからかなと、『ちゃぶ台』を作りながら考えていました。
辻山 もう少し日本に合ったようなやり方が・・・。
三島 そうなんです。土着のなにかとつなげよう、と思った時に、近代に入る前に切り捨てた宗教というものを見直さざるをえない。福禄寿さんが実現したような、一回断絶させた回路を繋ぐという動きが、政治、宗教、仕事などあらゆる分野に必要とされている。
辻山 宗教と言っても、信仰ではなく、宗教のも持つおおらかさというか、宗教性につなげるということですよね。
三島 そうなんです。信仰じゃないんです。日本人は今でも豊かな宗教性を持っていて、『ちゃぶ台Vol.5』の中で釈徹宗先生に書いていただいているんですが、世界で一番人が来る宗教的聖地は、メッカでもエルサレムでもなく成田山なんです(笑)
辻山 宗教観ということで言うと「喋らなくても通じる」というところがありますよね。考え方が違っても拝むものは一緒で、そういうところで繋がれるということはありますよね。
三島 そうですね。その宗教観が良い風に働くケースもあるんですが、なにか起こったときにはあまり良くない風に働きがちなんですね。周防大島でも、断水事故が起こって、なにかしなければならないという時に自治会の集まりをすると、「なんにもさわるな」という空気がみんなに感染して、誰一人発言しないという・・・。で、結局、投票で「特になにもしない」と決めてしまったり。
『ちゃぶ台Vol.5』の中でも、中村明珍さんが「議会とか選挙もそうですけど、もともと西洋からきた制度がまだ島にしっくりきてないんじゃないか」という話をしてくださっています。
投票のあり方も含めて、モデルのない時代に来ていることを前提に、いろんなことをやっていかないといけないと思いますね。
『ちゃぶ台Vol.5』の主役は岡田監督!
辻山 最後に、質問を受け付けたいと思います。
参加者 アナキズムの話がありましたが、日本人の習性を考えると、政府がなくなったあとに自由が来るかというと、かえってお互いに忖度しあって息苦しくなると思うんですけど・・・。
三島 そうだと思います。このまま無政府状態に移行したら、そうなると思うんですが・・・実は、今日僕一言も言っていないんですけども、『ちゃぶ台Vol.5』の主役は元サッカー日本代表監督の岡田武史さんなんです。はよ言えよって感じですよね(笑)
会場 (笑)
辻山 岡田さんの原稿、面白かったです。
三島 岡田監督は今、FC今治の社長をしていらっしゃいまして、今回、『僕は坊さん』の白川密成さんと対談して頂いたんです。
岡田監督が海外と散々戦って分かったのは、強い強いといわれていた代表チームが負けるときは、一個つまずいた時にどどどどーっと負けるんです。それを変えるためには選手を元から変えなければ、と考えて、そのために日本のサッカー協会の会長になるのではなく、今治FCの社長になって街から変えようとしているんです。
つまり、岡田監督は、サッカーの強化じゃなくて、日本人のメンタリティを変えるという大変な革命を今治という小さな街でやっているんです。
無政府状態になった時や、国家の力が弱まった時に、それでも社会が機能するためには、個人が変わっていないといけない。そうじゃないと混乱が起きるし危険だし、結局もう一回別のリーダーを求めて、表面が変わったけど構造が一緒、ということになる。
そうならないために、草の根から変える必要があるんです。それを岡田監督が今治でやっています。だから、『ちゃぶ台Vol.5』の主役は岡田さんです!
辻山 今日の「自分の持ち場でやる」という話と繋がりますよね。ところで、来年の特集は決まっているんですか?
三島 全く決まってないですね・・・出し切りました。ちょっと思っているのは、環境問題とかそういうことを、もしかしたらやるかもしれません。でも、全然決まってないです。なんかあったら教えてください(笑)
辻山 はい、では来年またここで(笑)
編集部からのお知らせ
ちゃぶ台ツアー、今年も開催中!!
みんなのアナキズム 『ちゃぶ台 vol.5』刊行記念 三島邦弘×松村圭一郎 対談イベント
日 時:12月8日(日)16:00 – 17:30
場 所:スロウな本屋さん / 岡山市北区南方2-9-7
参加費:(A) 3,300円 書籍代『ちゃぶ台 vol.5』1,760円込み / (B) 参加費のみ2,000円
注:『ちゃぶ台 vol.5』をすでにお持ちの方は、同誌バックナンバー、またはミシマ社刊の他の書籍との差替えも可能です。お申込み時にその旨お知らせください。