第44回
ちゃぶ台編集部のちゃぶ台座談会(前編)
2025.01.09更新
2024年10月に刊行された『ちゃぶ台13 特集:三十年後』。9月某日、校了直後の編集部が、今号の雑誌づくりをふりかえって座談会を行いました。もちろんちゃぶ台を囲んで!
本日のミシマガはその模様をお届けします。
*本記事は「ミシマ社サポーター新聞」2024年10月号の内容の一部を再構成したものです。
(収録日:2024年9月27日、取材・構成:長谷川実央)
編集会議が硬直した
――ちゃぶ台は今号から、また年1回の刊行になりました。刊行ペースを落とす、「時間の速度をゆるめる」ということがひとつ大きなテーマにもなっていると思いますが、実際の本づくりはどうでしたか?
ちゃぶ台を囲んでおにぎりを食べるちゃぶ台編集部
ホシノ やっぱり歴代の『ちゃぶ台』の中でも制作期間が一番長かった感じがしてて。去年の年末にはもう企画会議をしてたので、そこから考えると9か月ぐらい。創刊号から5号までも年1刊行ではあったけど、制作期間は半年ぐらいだったはずで。6号からのリニューアル後も半年に1冊でしたし。
どんなに期間があっても最後はドタバタなことには変わらないのですが(笑)、でもじっくりと詰めていく過程は一番しっかりやったかなっていう感覚があります。特集を決めるための話し合いも何回かしたし、著者にもある程度時間をかけて執筆いただけたり。
スミ これまでは原稿もどんどん入りつつ、デザインも進めつつ、みたいにいろんなことを同時に進めてる感じだったんですけど、今回はある程度原稿がしっかりと集まった状態から、デザインを検討して、ゲラを組んで、と落ち着いてプロセスを踏んでいけたと思います。
――特集はどう話し合って決めたんですか? 巻頭文に「編集会議が硬直した」と書かれてましたが・・・。
スミ ノザキさんは「仕事サボって勉強」みたいな特集案を出してましたよね。
一同 はははは!
ノザキ 恥ずかしい・・・!
4人の脳みそが1個に
ホシノ その編集会議では、まず、周防大島の人口が減っているっていう話になりましたね。(注:山口県の周防大島は、瀬戸内海に浮かぶ島。ミシマがこの島を訪れ、移住者の内田健太郎さんや中村明珍さん、宮田正樹さんらと出会って大きな衝撃を受けたことがきっかけとなり、2015年にちゃぶ台が誕生しました。)
スミ 内田健太郎さんや中村明珍さんたちが移住してからたった10年で、小学校が減ってしまったりとか、もう何十パーセントという割合で人口が減っている村もあって、地方にいるとそういう現実を体感しているっていう話をしていて。
ホシノ その流れで、やっぱり『ちゃぶ台』って周防大島と出会ったことが原点だよね、みたいな話が出ました。でも、じゃあちゃぶ台編集部が人口減少問題を取り上げるとか、島の将来を考えるっていうのもなんかちょっと違いますよね、って。いろんな話をグルグルするなかで、目の前のことはちょっとわからないけれど、もっとポーンと飛ばして「30年後」とかにしてみたら、具体的な予想じゃなくてイメージするもののほうが広がるんじゃないか、みたいなことを話したような気がします。
ノザキ 今スミちゃんに言われて思い出したんですけど、ほかの本の企画は一人で準備して、他の編集メンバーからアイディアや意見をもらって、ブラッシュアップして・・・という流れなんですけど、『ちゃぶ台』の特集を決める会議は、それぞれが企画案をもってきつつも、その場で、必死に自分のバックグラウンドとか、あらゆる引き出しを探して、すがりつくように、何か出す。だから変な感じなんですよ。
さっきの私「仕事サボって勉強」も、今思えば「ウケる〜」って感じですけど、ニュアンスや雰囲気を伝えたくて、なんとか言葉にして外に出して、それを誰かが拾ってくれて。この時は「半身ってことやね」とミシマさんがつないでくれました。何なんですかね、あの企画会議は・・・。
ホシノ そう。独特の空間で、なんていうのかな・・・編集メンバー4人の脳みそが1個になって、そこからポッと出てくるみたいな。だから、誰が言ったかとかはあんまり関係がなくて、その4人分の脳みそになるまでに、各自がなんかいろいろ言ってみる時間、みたいなのがある。私が「30年後」って言ったときも、ただ言ったんですけど、それまでの沈黙を経て、みんながパッと「それだ!」みたいになったのが不思議でした。
編集部が悩んだり、考えていることと合わせて
――今号の冒頭は、松村圭一郎さんのインタビューです。これはミシマ社サポーター限定で開催したオンラインイベントが元になってるんですよね。
スミ イベントは「三十年後を松村圭一郎が語る」っていうタイトルだったんです。
ノザキ このイベントをもとに記事をまとめながら、なんか不思議な原稿だなと思っていました。当日は私たち編集部も全員参加して、松村さんがその場で、なんでこの特集になったのかをけっこう聞いてくださって。それでさっきの特集の話もしていくうちに、自分でも、周防大島と一緒にやってきたこととか、ミシマ社の活動とかも振り返るきっかけになりましたし、松村さんが言葉を紡いでくださって、全体的にさらいながら「じゃあどう考えていくのがいいか」という視点を教えてくださって。
ミシマ社を知らない人からしたら、内輪とは言わないですけど、すでにある土壌の話をしていて、けっこう「編集部」が出てるインタビューになったと感じます。でも『ちゃぶ台』はそれでいいというか。編集部が悩んだり、考えていることと合わせて、全体的なミシマ社の取り組みとしての『ちゃぶ台』を読んで知ってもらえるといいなって思います。
――特集が「三十年後」だから未来の話を想像するけど、掲載されている読み物には「過去」の話も多いですよね。そこが最終的に巻頭の松村さんの文章につながっていて、おもしろいなと思いました。掲載順はどうやって決めてるんですか?
スミ それで言うと、今回の『ちゃぶ台』はたぶん過去最高にわかりやすい並びになっていると思います。
――そうそう!
スミ これも編集会議の賜物かもしれません。今まではあえてカテゴリーをまたいでいろんな記事を並べていたのですが、漆原悠一さん(『ちゃぶ台』デザイナー)とデザイン会議をした際に、構成を見直して、今回は「特集」「連載」・・・とコーナーごとに固めてみるのもいいんじゃないかということになって。こっちのほうが「認知の負荷」が下がって読者もわかりやすいんじゃないかってミシマさんがおっしゃって(笑)。
――初期は原稿が入った順にならべていたのに・・・。
スミ かなり大きな変化ですね。それであらためて「ちゃぶ台の中の周防大島」というコーナーを作りました。創刊からつねに登場いただいてきた周防大島の方たちの原稿が、『ちゃぶ台』の中で特別な場所みたいになってるのがポイントです。
――今回は佐藤ゆき乃さんが初めて登場ですね。
スミ ミシマガでもいまエッセイを連載していただいてるんですけど(「一晩でなんとかなりすぎる」)、「こんな気持ちあったな」というものを毎回新鮮な言葉にしてくださるエッセイで、同世代として、読んでいて胸がいっぱいになります。
――白川密成さんにも久しぶりに寄稿いただきました。
ホシノ そうですね。「三十年後」っていった時に、時間軸が長いところで活動している方に出てもらうのがいいんじゃないかということでお願いしました。それで言うと宮田正樹さんと三浦豊さんの対談(後述)もですね。お二人は自然とか木とか土というものを通して、一本の木が何百年も生きてて・・・みたいな、そういう時間軸でものを見ていらっしゃるから。
――連載陣の方々も、今回の特集が「三十年後」ってご存知なんですか?
スミ 原稿の依頼書には特集名についても書くのですが、特集は踏まえても踏まえなくてもいいですとお伝えしています。でもみなさん、どこかつながっているような気がします。そこもおもしろいところだなと思います。