第13回
中島岳志さんインタビュー いまの政治のこと、教えてください。(2)
2020.03.03更新
国の政治に希望はあるの? いまの状況を変えるには、何をしたらいいの? 素朴な疑問に向き合うためには、詳しい人に聞きに行こう。ということで、政治学者の中島岳志さんにお話をうかがいました。
昨日からお届けしているインタビューで明らかになったのは、主権者が主権者としての実感を持てない「ポスト・デモクラシー」の状況で、立憲民主党が牽引した「ラディカル・デモクラシー」の動き。それがだんだんと魅力を失っていくなかで、出てきた新しい動きとは? そして京都市長選で感じた違和感の正体とは? 前編と合わせてどうぞ。
(聞き手・構成:野崎敬乃、写真:星野友里)
もう一つのラディカル・デモクラシー
中島 それに代わってフラッグを取ったのが山本太郎さんです。実はラディカル・デモクラシーにはもう一つ違うものがあるんです。山本さんは「闘技デモクラシー」を動かしたんだと思います。
これがもう一個のラディカル・デモクラシーと言われてきたもので、これはシャンタル・ムフという女性の政治学者が言っていることが中心です。彼女が何を言っているのかというと、やっぱり政治というものには明確な対立軸が必要であると。いまやっている政治に対して強い異議を申し立て、「やっぱりそれは違うんじゃないか」というふうに、強く違いを際立たせ、デモもそれに入ると思うのですが、それによって多くの人たちが長い間言わずにいたことをちゃんと政治に反映させるような情動面の喚起をする。それをやることで、「投票に行かないでおこう」「デモなんてどうせやってもな」と思う人たちのハートに火をつけ、ちゃんと署名もするし、デモにも行くし、あるいは投票にも行くようになる。それによっていまの政治に闘いを挑んでいくような動きこそが重要だとムフは言いました。
そのためには境界線を引いて明確な対立軸を作り、そして多くの人たちの気持ちに訴えていくことが大切です。この領域はこの20年ほど、圧倒的に右派のほうが握っていたのですが、最近のヨーロッパやアメリカでは、どちらかというと、リベラル陣営側にスターが出てきています。アメリカのサンダースやイギリスのコービンがその例です。ウォールストリートのやつらが、富を独占しているのがいけないんだ、俺たちに富をよこせ、というのがサンダースですよね。こうやって何もかもをもう仕方のないことだと諦めていた人たちの心に火をつけていく。俺たちだって政治の主体なんだという気持ちにさせていく。政治から疎外されてきた人たちに、立ち上がらないといけないという思いを喚起させる。
こういう運動が果たして日本で起きるのかという議論がありつつも、多くの人はそういうリーダーは日本では出てこないんじゃないかと思っていたんです。そういうところに出てきたのが、山本太郎さんでした。
――うわっ、なるほど。
中島 山本太郎さんはとっても人の話をよく聞く人ですが、判断を下した後は、それを強い言葉で訴えていく。熟議よりも闘いに打って出る。「消費税ゼロ」のように明確な意志と政策をどーんと上から出して、竹中平蔵や小泉純一郎が作った新自由主義的世界をぶっ壊そうぜと。「死にたくなるような世の中っておかしくないですか」「生きててよかった。そう思える国にしたい」「社会を、政治を変えたいんです」というふうに涙ながらに言うことによって、これまで政治から全く疎外されていたような人たちが、品川駅前とか、新橋駅前に集まっているんです。初めてみた光景でしたね。こんな人たちが、政治家のところに絶対足を止めないだろうという人たちが集まった。それで山本さんとともに一緒に涙を流して、月末になったらもう数百円しかポケットに入っていないという人が、その数百円を寄付していく世界が現れたんです。
今回の京都市長選に立ち返ると
中島 こうしてラディカル・デモクラシーの二つがようやくいま、日本で起動し始めています。立憲民主党はこの魅力を失い始めていて、山本太郎さんの闘技デモクラシーがグッとせり出してきているという状況ですね。そのときに、山本さんにはしがらみが無いわけですよ。既成政党は全部ぶっ壊せくらいの感覚があって、立憲民主党も彼にとっては、ある面で敵なわけです。だっていまは「原発ゼロ基本法案」を掲げていながら、2011年に福島第一原発があの事故を起こしたときに「直ちに影響はありません」と言っていたのが、官房長官であった枝野さんだろうというのが、山本さんにはあるんですよね。そういう政治を変えたいと思っているので、彼には自民党と立憲民主党が同じに見えちゃうんです。そうではないもう一つの政治を作りたいと彼は思っている。そして、なんだかそっちにいま、火が着きかけているんです。
――なるほど。そういうことなんですね。となると、今回の京都市長選の構図は・・・。
中島 京都は昔、蜷川府政というものがありました。京大の河上肇というマルクスの翻訳をした人のお弟子さんが蜷川虎三という人で、京大の先生をしていたんですが、革新勢力から推されて京都府知事選挙に出て当選し、府知事を27〜28年やっていたんです。京都は50年代から70年代まで、ずっと社会党と共産党が推す知事が府政を握ってきたんです。最初は社会党のほうが強かったんだけども、次第に蜷川さんは社会党がうっとうしくなってきて、共産党とかなり一緒にやるようになったので、社会党対共産党という、ぶつかり合いが生まれてきました。
革新系の集票組織は労働組合ですが、現在に至るまで一枚岩ではありません。自治体職員の組合である自治労や教職員組合など、いわゆる官公労と言われる組織がありますが、これが社会党を応援してきた。総評系の組合ですね。それとは別に企業系の組合の人たちは、もう一つの政党である民社党を応援してきたんです。それで、この両者は共産党の組合と対立をしてきたわけですよ。のちに総評と同盟は、連合という一つの組織にまとまっていきます。しかし、内部では、もとの総評系と同盟系の対立が根深くあります。彼らを統合・糾合しているのは、共産党系の組合に対する対抗意識なのかもしれません。
希望の党結成によって、連合内部で分裂が露わになりました。総評系は立憲民主党を応援し、同盟系は希望の党(のちに国民民主党)を応援しました。京都では、両者がともに共産党に敵対意識を持ち、共産党中心の府政に抵抗してきたため、共産党の候補者を推すということが難しい素地があります。反自民よりも、場合によって反共産が連帯意識の中にあるんです。
このような過去のしがらみから自由だったのが、山本太郎さんです。いつまで既成の政治の枠組みにとらわれているんだという反発です。それよりもやるべき政策課題がある。だから、山本さんは率直に、自分の掲げている政策と近い福山さんを推した。10代の若い人たちに圧倒的に福山さんが支持されていましたよね。これはもう山本さんの感覚に近くて「え、何なの?よくわかんない」「蜷川府政とか意味わかんない」という感じですね。ここにね、キャッチアップできてないんですよ、立憲民主党の人たちは。京都の立憲民主党が既成の枠組みに依存すればするほど、有権者の求めるものと距離が出てくる。だって、多くの有権者は「古い政治」に対する嫌悪感を抱いているんですから、自民党と同じ旧態依然とした姿勢に見えてしまうんです。
――うわぁ・・・。ものすごくわかりやすいです。中島さんの解説で、私自身が疑問に思っていた京都市長選の構図と状況、いまの国政のポジションについてはだいぶクリアになりました。ただ、状況は理解できるのですが、なんかこう、気持ちの行き場がないような感覚がまだあるんです。やっぱり選挙を終えて、依然として構図が変わらなかった、ああまただめだった、そういうことが実感として多すぎて。いま起こりつつある国政の新しい動きを聞いて、さっきよりも希望は持てました。じゃあもっと具体的に自分はどうしたらいいんだろう、そういう不安定な心持ちがまだあります。
転換期に、何をしたらいいの?
中島 おそらく野党側も大きな転換点を迎えているんだと思うんです。昔、民主党ができて、連合ができたというので、ひとつの形ができたように見えたんですけど、それも古い政治の枠としていま崩壊しようとしています。民主党という枠組みがもうこれで終わりという時代が来たんだと思うんです。
僕たち政治学をやっている者が選挙を見るときに「2:5:3の法則」と言ってきたものがあるのですが、投票の得票率を見ていると、日本の選挙は大体2:5:3で分かれているんですよ。どういうことかと言うと、全体が10だとしたら、その内2が野党に入れる人です。3が与党に入れる人。5が選挙に行かない、もしくは浮動票です。大体は綺麗にこの数字で票が割れていて、この前の参議院選挙は、野党側の立憲国民、社会党、共産党、れいわ、全部足すと、比例票は約二千万票でした。一方で、自民、公明と維新からなる与党系の票は約三千万票です。選挙に行っていない人が約五千万で、おおむね2:5:3の数字になっています。
安倍内閣がこれまでどういう選挙をやってきたかというと、とにかく投票率を下げようとするんです。投票率を下げると5が行かないですよね。5が行かなければ、3対2で勝てます。ということは、野党が勝つためにすべきことはもうはっきりしていて、5を動かすしかないんです。5を動かし、与党側の3の票を割るしかないんです。これしか絶対勝てないんですよ。
そのために何をすべきかと言われたら、それはもう投票率を上げるしかない。逆に言えば、投票率を上げれば野党側が勝つんです。ただこれがずっとできていない。むしろいまの立憲民主党とかは、この2のほうを固めていく方向にいて、そこで利害がぶつかって、2の中で争っているんです。それでは、ずっと野党は勝てないですね。この5を動かす政治が必要なんです。この5を野党側で一番動かすことのできる人物が、山本太郎さんです。この現状を直視しなければならない。
選挙に行かないポスト・デモクラシーの中に生きている人たちに、「俺が選挙に行けば変わるかもしれない」という実感を持たせなくてはいけなくて、これに枝野さんは熟議デモクラシーでアプローチしようとしたけども、膨らんだ気持ちや支持の熱ははしぼんでいきました。そこに山本太郎さんが出てきたわけです。山本さんはもう既成政党やこれまでのしがらみを超えて、別の政治ゾーンを開拓しようとしているんだと思います。だから彼が地方に行くと、じわじわとめちゃくちゃ人が集まるんですよ。あれはやっぱり、古い政治に対するNOなんですよね。このNOは自民党とともに、民主党にも向けられています。この現状を彼は吸収していて、これは日本の野党憲政史上、新しい流れなんです。
組合からの固定票を彼は当てにしていなくて、5の人たちに訴えようとしてるんです。だから組合が集めた動員のところに行くのではなく、街角に立つんですよ。それで、ポスターをみんなで貼りましょうとかやる。これはものすごく正しいと思うんです。
けれども、問題もあります。ラディカル・デモクラシーのなかで、彼は闘技デモクラシーをとっている。つまり「闘い」デモクラシーなので、これはある種、暴走すると危なっかしいんです。独断的になり、俺の言うことを聞け、という形になるからです。政治学者はずっと何を議論してきたというと、熟議デモクラシーと闘技デモクラシーは両輪なのだと考えてきました。ラディカル・デモクラシーは、熟議デモクラシーによって闘技デモクラシーにブレーキをかけ、それでも闘技デモクラシーに火をつけないとみんなは起動しない。この両輪のバランスをどう取るのかがラディカル・デモクラシーの重要なポイントなんです。
――すっごく面白いですね。そう考えると、ものすごくやる気が出てきました。
中島 だから京都市長選も、悪いものが表に出たのはすごくいいことで、あれによって、こういう「古い構造」「古い対立」が嫌なんだという部分がみんなに共有されましたよね。「共産党はNO」という広告に立憲が載っている。なにこの状況っていうのが、わかりやすく可視化しました。その点山本太郎さんは賢いですよね。ちゃんと福山さんのことを推薦していて、ちゃんといまの流れを読めている、連合とかに寄るよりも、5を取りに行こうとしているからですよね、それは賢い判断だと思います。
連合は新しい選択を求められていると思います。労働組合の役割は、今後、ますます大きなものになります。連合の活動が弱体化するのは困る。連合には頑張ってもらわなければなりません。末端の活動を担っている組合の人たちの多くは、いろいろな批判を浴びながらも、労働環境の改善のために日々、努力を積み重ねています。彼らと話をしていると、山本太郎さんの政治運動に心惹かれている人が多くいることを実感します。労働運動の活性化のためにも、時代の転換を読み取り、これまでの反共産党という仲間内の対立を解消する必要があります。これにとらわれていると、労働運動自体が弱体化していきます。京都市長選のようなことを繰り返してはいけません。昨年11月の高知県知事選挙では、日本共産党高知県常任委員の松本顕治さんが野党統一候補になりました。京都よりも、高知のあり方を伸ばしていくべきです。
一方、共産党の側も体質改善をもっと進めなければなりません。近年の大胆な変化は大いに評価されるべきです。本当に頑張っていると思います。けど、まだ多くの人には届いていない。まだ、庶民的な感覚をもった人たちとの間にある壁を壊せていない。
山本太郎さんが開きつつある新しい地平に、既成の政治勢力がキャッチアップできるかどうかが問われているのだと思います。
――そういう事だったんですね。この間、ほんとうにいまお話いただいたことがわからずモヤモヤして、山本太郎さんのことは知っていてもその本質をあまりわかっていませんでした。今の話聴くと、すごい希望というか、元気というかが湧いてきて、正直、政治の話を聞いて初めて明るい気持ちになりました。
(了)
中島岳志(なかじま・たけし)
1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『超国家主義――煩悶する青年とナショナリズム』(筑摩書房)、『保守と大東亜戦争』(集英社新書)、『保守と立憲――世界によって私が変えられないために』『自民党――価値とリスクのマトリクス』(以上、STANDBOOKS)など多数。
あわせて読みたい!本
『保守と立憲――世界によって私が変えられないために』中島岳志(STANDBOOKS)
『自民党――価値とリスクのマトリクス』中島岳志(STANDBOOKS)
ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号』(ミシマ社)
●ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台』とは?
お金や政治にふりまわされず、「自分たちの生活 自分たちの時代を 自分たちの手でつくる」。創刊以来、その手がかかりを、「移住」「会社」「地元」「発酵」などさまざまな切り口から探ってきました。本号では、「宗教」と「政治」を特集の二本柱に据えました。これからの宗教とは? 政治にどう向き合えばいいか?
災害、毎年のように起こる人災。くわえて、外国人労働者受け入れ策など議論なきまま進む政策。すさまじい勢いで進む人口減少。 大きな問題に直面する現代、私たちはどうすれば、これまでとまったく違う価値観を大切にする社会を構築できるのか。「ちゃぶ台」が、未来にたいして、明るい可能性を見出す一助になればと願ってやみません。(本誌編集長 三島邦弘)
●『ちゃぶ台Vol.5』巻頭の言葉より
自然災害、人災、議論されないまま通過する法案......今、私たちをとりまく環境は、実態としてすでに「無政府状態」に近い。まともな感覚で生きようとすればするほど実感する。
そういう時代において宗教はどういう役割を果たせるのか? 自分たちの時代の政治 はどうなるのか。一人の生活者としてどう動いていけばいいのか? その手がかりを求めて、本誌の特集を企画した。(本誌編集長 三島邦弘)