第45回
10年続いた雑誌に生まれた「新しい希望」とは?
2026.01.14更新
こんにちは。ちゃぶ台編集部員のスミです。
生活者のための総合雑誌「ちゃぶ台」の最新刊、『ちゃぶ台14 特集:お金、闇夜で元気にまわる』が、昨年12月16日に発刊となりました!
2005年に創刊した本誌は、今号で10周年を迎えました。
この節目に、雑誌をつづけてきたからこそ起こった、新しい出来事がふたつあります。
ひとつは、「ちゃぶ台フェスティバル」なる、前代未聞のお祭りが実現したこと。
もうひとつは、10年前の本誌創刊号の「移住のすすめ」を読み、ほんとうに地方移住してしまったという若者と出会ったこと。
いま、ちゃぶ台のまわりで何が起こっているのか?
最新号は、この問いを探るように編集し、ダブル特集号となりました。
特集① お金、闇夜で元気にまわる
特集② 十年後の移住のすすめ
どんな雑誌が生まれたのか、本日はその一部をご紹介します。
「ちゃぶ台フェスティバル」とは何だったのか?
2025年6月、雑誌ちゃぶ台を主役とした「お祭り」が開かれました。
場所は、広島県庄原市の書店、ウィー東城店です。
どんなお祭りだったのか? 当日の現場を再現した絵がこちらです!
『ちゃぶ台14』掲載イラスト
こちらが「全貌」・・・といっても、いろいろ起こりすぎていて、すべてを把握しきれない! 会場には20をゆうに超えるお店、催しが集結し、駐車場が満杯のため会場に入れないほど、たくさんのお客さまにお越しいただきました。主催者の私たちの想像を、はるかに絶するイベントとなったのでした。
店内に畳の空間が出現! トークは大盛況
駐車場には特設ステージが
本屋さんの屋根から餅まき! お餅はなんと1000個ありました
地元の方が重要無形民俗文化財「比婆荒神神楽」を舞う
ちゃぶ台フェスティバルは、もともと、ウィー東城店さんとミシマ社が「ちゃぶ台のフェアをやりましょう」という話をしたことからはじまりました。
書店と出版社が、書店の一角で雑誌のフェアを企画する。・・・それがなぜ、町を大きく巻き込む「お祭り」に発展したのか?
限界を超えた。さらりとこう書きましたが、書店、出版社のスタッフがほぼ総出で、全力で、ふりきった。採算とか、費用対効果とか、昨今、何か取り組む際に、まっさきに考えるだろうこと一切を「なし」にして。そうしたブレーキとなるべき全てを外して、全員がふりきったのです。もちろん、協賛があったわけでも、どこかの団体が予算を用意していたわけでもない。なんの後ろ盾もないなか、れっきとした会社と会社同士の取り組みのなかで、「ふりきる」が実現した。
どうして、そういうことが起こったのか? そもそも、予算、禁止事項など締め付け、制約がきびしくなる一方の現代社会において、ふりきるなんてこと、皆無に近くなっているのではないか。とすれば、その取り組みは、ふりきった先に何が待っているかを知る、かっこうの実験と言えるだろう。
すくなくとも、この試みに、(本誌編集長である)私は大いなる希望を感じた。「町の希望」と地元の方も語ってくれたように。ただし、その希望が何であるかはまだ明確ではない。それを知りたくて、特集を組み、追う。誌面に残すことで、まったく違う土地で生きる人がたまたま本誌を読み、ヒントを得る、そういうことだってありうるにちがいない。そうした直感が本号を編集する大きな駆動力となっています。
――『ちゃぶ台14』P12~13より
こうして編んだのが、「特集① お金、闇夜で元気にまわる」です。
誌面では、ちゃぶ台フェスティバルで起きていたことを、ちゃぶ台編集長のミシマがレポート。さらに、ウィー東城店の店主・佐藤友則さんへのインタビューや、当日の会場に駆けつけてくださった文化人類学者の松村圭一郎さんの寄稿も掲載しています。
フェスティバルの日の、比婆荒神神楽がやっぱり一つのキーになったと思うんです。東城では、何かお祝いごとがあるときには日常的に神楽があって、そういうことを大事にするというか。たとえば別の本屋さんで何か企画をやるときにも、そのお店と土地と地域が持っているポテンシャルをどう一緒に合わせていくかということは、やっぱり重要なんじゃないかと思います。
――『ちゃぶ台14』佐藤友則さん「経営の発想の転換で本屋さんをくすぐっていく」より
誰がつくって運んできたかわからない大量の商品やサービスが流通し、その金銭に換算された交換量がGDP(国内総生産)など経済活動の指標となる。そこで私たちは、その交換量の多寡が経済だと、また勘違いしてしまう。
でも、どうやら「経済」って、そういうことではないよね、と気づく人たちがあらわれている。ウィー東城店で起きていることは、そんな別の「経済」へと向かう実践だった。
――『ちゃぶ台14』松村圭一郎さん「なんのための『経済』なのか?」より



ちゃぶ台がきっかけで移住
本紙が創刊したのは、2005年10月です。
きっかけは、その約半年前、ミシマが瀬戸内海の周防大島を訪問したことでした。
東京などの都市から島に移住した方々と出会い、大きな力に頼ることなく、主体的で自治的な生き方を実現しようとしている姿に感動。各地で同じようなことを考えたり実践したりしている人に、できるだけ早く共有したい。その思いから、「お金にも政治家にも操られることなく、自分たちの手で、自分たちの生活、自分たちの時代をつくる。」を掲げ、ちゃぶ台が創刊されることになりました。
それから約10年後、周防大島に新しい旋風が吹いている! という報せが編集部に届きます。
ちゃぶ台創刊号の「移住のすすめ」特集を読んで、ある20代の若者が会社を辞め、ひとりで島に移住し、畑をはじめたり、魚を釣ったり、「石風呂」と呼ばれる地元の伝統的な風呂を、数十年ぶりに復活させてしまったりしているらしい・・・。
こんどは、周防大島で何が起きている?
話題の移住者の垂井綾乃さん、そして、創刊号に登場した移住の先輩、内田健太郎さんと中村明珍さんにも証言をいただき、「特集② 十年後の移住のすすめ」ができました。
初めての周防大島滞在は、刺激にあふれ、忘れられない旅となった。出会ったのは、農家に大工に漁師など、今まで自分の人生で交わることのなかった人たち。スーツを着たサラリーマンが全然いない! ということに驚いたのと同時に、自分の手足を使ってたくましく働く人たちの姿が、かっこいい...! そんな姿を見て、私ももっとたくましく、かっこよくなりたい! そう思って当時勤めていた会社を退職し、九カ月後、周防大島に移住することになった。
――『ちゃぶ台14』垂井綾乃さん「周防大島に吹く風に身を任せていたら」より
次の年の春、垂井さんは本当に移住してきた。
これはちょっとした事件だった。移住者の多い周防大島といえども、その多くが夫婦か家族連れだ。単身で、それも二十代の女性がやってくることなんてそれまではなかった。
しかも彼女は島の中でも驚くほど不便な奥まった集落に住むことを決めた。
飲み屋どころか、商店の一つだってありはしない。夜八時にもなれば完全に真っ暗になってしまう。
僕をはじめ、友人たちみんなが心配していたと思う。
「あの子は本当に大丈夫?」
――『ちゃぶ台14』内田健太郎さん「鯖とヘソ娘」より
周防大島に来る前にイメージしていたことと、島に来た直後に感じながら動いてきたこと、そして今。当初思い描いていた生活はどこへ。まさか元保育園に住んで、旧公民館を買って解体を回避しながら、寺の住職もやっているとは。
――『ちゃぶ台14』中村明珍さん「十年後の移住のすすめ」より



こうして生まれた『ちゃぶ台14』には、雑誌が10年つづいたからこそ具体的に見えてきた、これからの生き方についての希望の片鱗があると感じています。
「お金、闇夜で元気にまわる」というテーマのもと、湯澤規子さん、高橋久美子さん、土井善晴さん、平川克美さんにも寄稿いただきました。また、本誌の人気連載も、ひきつづき掲載中です。(目次の詳細はこちら) 一冊を通して、新しいお金のまわり方、不景気や物価高とはちがう生活者の経済のあり方が見えてくるような雑誌となりました。
ぜひ、10周年目のちゃぶ台をお手に取っていただけたら嬉しいです。







