月刊ちゃぶ台

第47回

「移住のすすめ」フェア開催記念! 内田健太郎さん特別寄稿「さよなら東京」

2026.02.24更新

 生活者のための総合雑誌「ちゃぶ台」は、昨年で創刊10年を迎えました。
 本誌創刊のきっかけは、2015年にミシマ社代表の三島が周防大島を訪れたことです。
 養蜂家の内田健太郎さんや、ミシマガで「ダンス・イン・ザ・ファーム2」連載中の中村明珍さんなど、島の移住者の方々と出会い、自らの手で生活を築いていく姿に衝撃を受けた三島は、ちゃぶ台創刊号「移住のすすめ」という特集を組みました。

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創刊号『ちゃぶ台 「移住×仕事」号』

 それから10年。現在好評発売中の最新号『ちゃぶ台14』では、特集のひとつに「十年後の移住のすすめ」を掲げました。内田さんや中村さんに、この約10年のあいだに起きた変化を綴っていただいたほか、「ちゃぶ台」を読んだことをきっかけに、なんと20代で東京から周防大島に移住してしまった垂井綾乃さんの寄稿も掲載しています。

chabudai14.jpgIMG_0728.jpgIMG_0729.jpg『ちゃぶ台14 特集:お金、闇夜で元気にまわる』より

 そして現在、周防大島で内田健太郎さんが主宰するみつばちミュージアム「MIKKE」にて、「移住のすすめーー周防大島からはじまった雑誌『ちゃぶ台』フェア」が開催中です!(3月29日(日)終了予定)
 創刊号から最新号までの全号と、内田さんのエッセイ集『極楽よのぅ』(ちいさいミシマ社刊)、また、内田さんの蜂蜜などをあわせてお求めいただけます。

image_50431233.JPGimage_67534081.JPGimage_67205633.JPGMIKKE ちゃぶ台フェアの様子

 本日は、フェアの開催を記念して、内田健太郎さんの特別エッセイを掲載します。
 東日本大震災をきっかけに移住を決心したとき、どんな出来事が起きたのか。
 移住して10年以上が経った今も思い出す、島で出会ったおじいさんの言葉とは。
 これまでの「ちゃぶ台」や『極楽よのぅ』にも書かれていない、移住前後の忘れられない記憶についてご寄稿いただきました。

さよなら東京

内田健太郎

 2011年3月11日。
 あの日、僕は畑に立っていた。
 いつものように畑の上で、ゴム製の足袋を履いて土を踏みしめていた。
 春に向けての新しい作付けの準備で、マルチと呼ばれる黒いビニールを張る機械を操作していた。
 14時46分。
 突然、農機具がガタガタと大きく揺れ始め、コントロールすることができなくなった。
 故障?
 慌てて農機具のエンジンを切ったが、真っ直ぐに立っていることができない。土の上にふらふらとしゃがみ込んで、辺りの様子を伺うと、目に入った電柱はまるで船の上のマストのように大きく揺らいでいた。
 ――地震だ。
 経験したことのないあまりの大きな揺れに、それを地震だと頭で理解するのが一瞬遅れた。
 揺れがおさまるまで、じっとしゃがみ込みながら祈るような気持ちになった。
 頭を最初によぎったのは臨月を迎えている妻。今どこで何をしているだろう。きちんと予定を聞いておくべきだった。家にいるだろうか。
 揺れがおさまってから、携帯電話を手にするも、全く通じない。回線がパンクしているのだろう。初めて経験する事態がことの重大さを予感させる。震源地はどこだろうか。もしもこの辺りじゃなくて、もっと激しく揺れた場所があったのなら未曾有の大災害だ。どうか何事もありませんように。
 慌てて、畑の母屋に向かって走っていく。少し離れた畑で作業をしていたから、全力で走っても5分はかかる。走っていく途中、畑の中心にある農園主の先祖代々の墓が横倒しになっているのが目に入る。想像すらできなかったようなことが今現実に起こっているのだと、胸の鼓動が高鳴った。
 僕ともう一人の農夫、それから農園主の3人で話し合い、すぐさま家族の無事を確認するために帰宅することになった。電話はやはり通じない。
 帰りの道中、自転車のペダルを踏みながら脇目に電気の消えたコンビニエンスストアが目に入る。点いているはずの道路の信号は消え、大きな交差点には警官が立ち、手旗信号で交通整理をしている。
 家のすぐ手前にある長い坂道を駆け上がり、大急ぎで玄関の扉を開けるものの、妻の姿はどこにもない。2階に上がると、棚が倒れ、本は散乱し、テレビ台の上にあったはずのテレビは床の上に横倒しになっている。だが今はそんなことに構っている暇はない。
 再び走り始め、駅前の妻の行きつけである喫茶店を目指した。
 電車が動かなくなっている駅前も雰囲気は騒然とし、多くの人がなすすべもなく立ち尽くしている。その群衆の中にいつも行く喫茶店の顔馴染みの若い店員さんを見つけた。彼女は妻が臨月を迎えていることも知っている。僕が妻を探していることを伝えると、今日はまだ見ていない、と残念そうな顔で告げた。しばらく間を空けてから、
「奥様のことだから絶対に大丈夫ですよ!」
 と、力強い声と眼差しではっきりと彼女はそう言った。気休めで言ったのではなく、心からそう確信しているというのが彼女の表情から伝わってきた。こういう言葉は不思議と力を持っている。僕の胸に込み上げていた不安感はやわらぎ、確かにそれもそうだな、と僕も思った。妻は強い精神力の持ち主だし、そのうえ強運だ。
 結局、妻と連絡が取れたのはその日の夜もだいぶ更けてからだった。
 電話を受けた僕は鍋を食べていた。
 仲良くしていた隣の家の老夫婦に誘われ、一緒に停電の中、蝋燭の灯りをつけて鍋を囲んでいたのだ。
 一時的に回復した電話回線を使って、妻は電話をかけてきた。
 妻は2つ離れた駅にいた。初めての出産に備えるべく長い散歩を日課にしていたためだ。その電話に僕よりも大きな安堵の声を漏らしたのは隣の老夫婦だ。
 早く迎えに行け、何を鍋なんか食べてやがるんだ、と追い出されるように家を出た僕は車へと走った。走りながら目に飛び込んできたのは星空だ。近所の家の光や街灯はすべて消え、辺り一帯は驚くほど暗く、今まで見たことのないような綺麗な星空が東京上空に広がっていた。冷え込んだ空気のせいもあったろう、空がいつになく澄んでいるような気がしたことを今も覚えている。

 その日を境に始まった嵐のような怒涛の日々。
 僕ら家族がそこからどのように周防大島へと移住し、どんな風に島暮らしを送っていったのか、そのことは以前に別のところに書いたからここではあえて触れない。(拙著『極楽よのぅ』参照)
 とにかく僕らは新しい人生を瀬戸内の島でスタートさせて、そこから15年間走り続けてきた。
 被災した東北の方々を差し置いて話すことはもちろんできないが、僕らにとっても人生の大きな転機となった3月11日。
 いつもこの時期が近づいてくると、あの地震を思い出す。
 15年目の今年、その感覚がいつもよりさらに強いものとなっているのは、きっとこのまえ聞こえてきたカーラジオのせいだろう。

 僕は養蜂という仕事柄、トラックで島の中を移動していることが多い。トラックのBGMは決まってラジオだ。
 その時たまたま聞こえてきたラジオ番組は、ある一人の若いラッパーの訃報を伝えながら、彼の曲を流していた。僕は彼の歌を聞くのは初めてだったが、彼の声や歌い方に自然と惹かれた。
 曲を聴き終わった後に、「この世界は地獄だ」という意味の歌詞がやけに耳に残っていた。
 そして僕の脳裏には、島で出会った、ある一人のおじいさんの顔が浮かびはじめた。
 彼は80を過ぎた養蜂家で、移住したての頃、僕は勉強のためによく彼の話を聞きに行っていた。彼は携帯電話など持っていないから、会う約束をしたことは一度もないが、雨の日以外の午前中なら彼は決まって養蜂場にいた。
 不規則に雑然と並べられたたくさんの巣箱。それはどれも年代物で彼の養蜂歴の長さをうかがわせた。事実、彼は60年以上も養蜂に取り組んできた大ベテランだった。
 そこは風通しのいい養蜂場で高台から海を望むことのできるとても気持ちのいい場所だった。近くを通るときは、自然とそこへ足が向いた。
 だだっ広い畑の中心に30ほどの巣箱が点在し、その巣箱を囲むように、畑の畝が立っている。さらにその外側にはイチジクやみかんなどの果樹が植わり、彼はミツバチだけでなく野菜や果物も育てていた。
「まあ座りんさい」
 僕が訪ねていくと、彼はいつも笑顔を見せてそう言ってくれた。そして木箱など椅子の代わりになるものをスッと僕に差し出す。
 話は毎度ミツバチから始まる。僕は当時まだ駆け出しの養蜂家であったから、いつだって聞きたいことは山のようにあった。彼はミツバチの話をし始めるが、あっという間に話は脱線していく。そしてとどまることなく突き進んでいく。どうしてこんなにもエネルギーがあるのだろうと不思議になるほど、彼は力強く何時間だって話し続けた。

 ミツバチの話。
 彼女たちがどれほど働き者で、そしてどれほど神秘的な生き物であるかという話。
 たくさんのミツバチの巣箱を載せたトラックで、はるか遠くを旅した話。
 当時はまだはちみつの値段がずっと安く、生活は決して楽ではなかったという話。
 神社にお参りに行く話。
 月初めの一日は、雨だろうが風だろうが何があっても必ずお参りに行くという話。
 戦時中の話。
 広島の方角に原爆の雲を見たという話。
 魚釣りの話。
 行く時間さえ間違えなければ、100円の餌代だけで鯵を山のように釣り上げることができるという話。
 本当に数多くのいろんな話を聞かせてくれたが、今でもどうしても忘れることができない話が一つある。

「あんた今日はこれを持って帰りんさい」
 会うたびに彼はいつもそうやって何かお土産を持たせてくれた。その日は美味しそうなたくさんのミニトマトを袋いっぱいに包んでくれた。
「わしが育てたミニトマトよ、ぶち甘いんよ。何の農薬も使わずに、化学肥料も使わずに、こんなにうまいもんができるんよ。あんたそれがなんでかわかる?」
 はて。
 なんでかと問われても、きっとその答えは一つではないような。
 土が持っている力。
 太陽の力。
 光合成しようとする一枚一枚の葉っぱの力。
 いくつか浮かんだ答えを僕が口にするよりも一瞬早く、彼は僕の目の奥を覗き込みながら静かに話し始めた。
「それはね、元々備わっとる力なんよ。この一つの実、この一枚の葉っぱ、そこの一本の枝、そこに生えている木。今あんたの足元に生えてる雑草に至るまで、みんなに力が備わっとるんよ。キラキラ光ってる命の力よ。神様みたいなもんじゃとワシは思う。人間もそうなんよ。ワシにもあんたにもそういうおんなじような力が流れとる。そういう風にできとるんよ。まことの話、ここは天国なんよ。天国いうんは空の上にあるもんじゃない、今ここの世界こそが天国なんよ。ワシはホンマにそう思うよ」

 それは譬え話ではかった。
 その口ぶり、話している澄んだ声。こちらを見据えている彼の目の力強さ。
 彼が本当に、心からそう思って話しているんだという事実が胸に刺さった。
 戦争で人が殺されていることを僕などよりもはるかによく知っている彼が、本当に天国なのだと信じている。
 80年以上生きてきて、若者にはっきりとこう告げることができる人間がいるだろうか。

 今までこのことを書いてみようと思ったことは一度もなかった。
 このとき僕が感じたことを言葉でうまく表現することは不可能だろうと思ったからだ。
 この文章を書いているまさに今この瞬間にも、やはりそう思う。
 それでも今なんとか書いてみようと試みているのは、この前トラックのラジオから流れた一曲のせいだ。
 話をトラックまで戻そう。
 この世界を地獄だと喩えたラッパーのその曲に合わせて、僕の脳内では「ここは天国」だと言ったおじいさんの言葉が何度も聞こえてきた。
 それは僕にしか聞こえない声で新しい形で再生されていた。
 頭の中の声に合わせて自分の口でもつぶやいてみる。おじいさんの声であったはずのものは自分の声になり変わる。開いた口から自然と言葉が溢れた。自分の口から出たとは思えないような不思議な気分だった。
「ここは天国 ここは地獄 天国か地獄決めるのは誰だ? 神様?」
 リズムの波に乗った言葉は、トラックに座る僕を東北の高台へと運んでいた。
 街をさらい、家を流し、あっさりと命を飲み込んでいく大津波を僕は静かに眺めていた。

 まもなくやってくる15年目の3月11日。
 ここ最近は会う機会がめっきりなくなってしまったが、あのおじいさんは今や百歳を迎えようとしている。
 彼は今も同じように感じて生きているだろうか。
 あの時の話をもう一度同じように聞かせてくれるだろうか。

◆プロフィール
内田健太郎(うちだ・けんたろう)
1983年神奈川県生まれ。養蜂家。著書に『極楽よのぅ』(ちいさいミシマ社)。東日本大震災をきっかけに、周防大島に移住。ミシマ社が発行する生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台』に、創刊時よりエッセイや聞き書きを寄稿している。2020年より、周防大島に暮らす人々への聞き書きとそこから考えたことを綴るプロジェクト「暮らしと浄土 JODO&LIFE」を開始。2024年、みつばちミュージアム「MIKKE」をオープン。ウェブ雑誌「みんなのミシマガジン」にて「ミツバチの未来の選び方」連載中。



「移住のすすめーー周防大島からはじまった雑誌『ちゃぶ台』フェア」は、周防大島のMIKKEにて、3月29日(日)まで開催中です!
 ぜひ足をお運びいただけますと嬉しいです。

みつばちミュージアム「MIKKE」
〒742-2512 山口県大島郡周防大島町平野1267-1
open 11:00〜16:00 木・金・土・日
tel. 0820-78-0077

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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