おせっかい宣言おせっかい宣言

第55回

求められる、という強さ

2019.02.08更新

 60代とか70代の人に、「人生で後悔していることがありますか」と聞くと、一番多く返ってくる答えは、「死ぬほどの恋をしなかったこと」だ、と、書いてある本を読みました、と、学生がいう。だから、「20代に死ぬほどの恋をしたほうがいいんだそうです」。なるほど。そうは言っても、恋はそんなに簡単にできない。できる人もいるだろうけれど、できない人もいる。ましてや、「死ぬほどの恋」など、誰にでもできることではないのだ。

 恋は簡単にはできないことだけれども、結婚やセックスは、おおよその多くの人が、やりたければできることを前提に、みんなに開かれているほうが、おそらくは良いような経験である(しない人、したくない人がいて、もちろん、いいけど)、と、人類の多くが思ってきたことに、私も賛成する。人類の多くがそのように思ってきたので、長い間、マジョリティーは、おおよそ結婚したり、子どもを作ったりしてきたのである。だから人類がここまで続いてきたとも言える。今となっては、結婚自体がなんだかとても特別で難しいものになってきてしまっているようなのが気になるが、もともとはそういうことは本人だけに委ねず、周りがいろいろ心配して、結婚させていたものなのだと思う。しかし、そういうふうなやり方がよろしくない、各自、好きな相手を探すほうがよろしい、ということになってしまった。人類の歴史は自由を求める歴史なのだから、仕方のないことである。

 結婚もセックスも、おおよその人は経験できる仕組みになっていたことが機能しなくなっていることは、ひとまず、わきに置いておく。結婚やセックスがおおよそ誰とでもできるものでありうるとしても、「恋」というのは、そもそも、誰にでもできるものではなくて、「死ぬほどの恋」なんか、もっとできるものではなかった。だから、誰にでもできるはずではない「恋」を結婚の条件にすると、結婚はできない。今どき、結婚したいです、誰か紹介してください、とおっしゃる方も、ご自身で結婚相談所などに登録する方も、「一目で恋に落ちる」相手を探しておられる方が少なくない。結婚を前提に紹介しても、結婚相談所に相談しても、「一目で恋に落ちる人」に出会える可能性は限りなく低い。「結婚相手を探しているので紹介してください」と、知り合いの若い女性に言われたので、「探してみるけど、一目で恋に落ちる、とか、そういうこと、期待しないでね」と言ったら、なんのことを言っているのか、わからないようであった。「結婚を前提にお付き合いできる人」とは、「一目で恋に落ちるような人」である、と、思い込んでいる。それって、結婚することより、ずっと難しいことである、ということをわざわざ説明しなければならなくなってしまった今ってどうなの、と思えど、ご本人はとにかく、私が言いたいことは、すぐには理解できないようであった。そのように思っている人は、彼女に限らないことが、私にも最近よくわかってきた。

 なかなかできないからこそ憧れる、「死ぬほどの恋」なのであるが、もちろん、一人ではできない。一人だけで、まったくの片思いで、相手からはなんの反応もないことは、たまらなく切なくはなっても、「死ぬほどの恋」にはならない。「死ぬほどの恋」というのは、それなりの求めあう関係性が、濃淡に差はあるかもしれないけれど、確実にあり、それがどういう形で成就するのか、先が見えず、あるいは、周りとの関係性において、むやみに傷ついてしまうようなことになるから「死ぬほどの恋」になるのだ。楽しいばかりではなく、結構つらいものが「死ぬほどの恋」なのであるが、多くの人が年齢を重ねてしまった時に後悔するほど憧れるのは、それが自分という存在が、理不尽なほどに相手に求められ、自分もまた相手を求める、という果てにこそ、「死ぬほどの恋」があるからなのだ、と思う。私たちは、自分が相手を求め、そして、誰かに求められること、全身全霊で求められることにこそ、憧れるのだ。

 求められる経験は、その人を強くする。何よりも、求められたことが自信につながるから。それからあとどのようなことになるにしても「死ぬほどの恋」は死ぬほどの思いを抱いた時点で、少なくとも、承認欲求は十二分に満たされた状態になるから。それほどに、人を求め、求められることを求める私たちであるが、なかなかそんなふうに、お互いに求めあえない。「死ぬほどの恋」は、だから、憧れに終わることが多い、ということになる。

 「死ぬほどの恋」じゃないけど、人に求められる、という、本当のところ、最強の経験というのは、なんといっても、母親になることなんだと思う。子どもを産んだ人は、実に理不尽に、産んだ子に求められる。産んだ子はもちろん母親でなくても育つし、誰か親密にそばにいる人がいれば、育つ。そしてその人を求めるようにもなる。しかし、自分が子どもを産み、子どもをそばにおいて、子どもに授乳し、面倒をみる日々を重ねていると、その子にとってどうしても自分でなければならない、という理不尽な求められ方をしていることが、よくわかるようになる。どの男性が、これほど自分を求めてくれたであろうか。どの友人が、これほど丸ごとの自分を受け入れてくれたであろうか。産んだ子どもは、ただ、あなただけが欲しくて、あなただけを受け入れたい。あなたは、あなたであるだけで、求められている。あなたがそばにいれば、赤ちゃんは安心し、そばにいないとあなたを求めて泣くし、あなた以外の人に抱かれてもあなたに見せるような笑顔を見せはしない。おっぱいを飲ませている子どもなら尚更のこと、あなたはただ、赤ん坊に、誰にも求められたことがないほど、求められ、あなたもまたそれにこたえる。それは、とんでもなく贅沢な求められ、求めあう、喜びのはずだ。「死ぬほどの恋」にもまさるほどの。

 子育てが大変とか、ストレスでいっぱい、とか、今、子どもを育てることはとても大変、という文脈でしか語られないのであるが、これが「死ぬほどの恋」に匹敵するほどの、求め、求められる関係の創生であることは、もっと語られても良いように思う。そういう関係を持つことは、誰より、お互いを強くする。赤ちゃんも、母親も強くなるのだ。一人よりも二人。二人よりも三人。子どもが増えていく、とは、そのように自分が求められる経験が増えていく、ということだ。絶体的に自分は求められている、という思いが、その人の存在への自信を強めていく。本当の女性の強さ、というのは、おそらく、そうやってつくられ、多くの女性に備わってきたものなのではないのだろうか、と、うらうらと考える。

 では、子どもを産まない人はどうしたらいいのか、そもそも子どもを産まない男はどうしたらいいのか。「死ぬほどの恋」も、「子どもを産むこと」も、結果としてできない人が多いのだから。そういうインパクトの強い経験がなくても、生きていかねばならないからこそ、それでも人は、お互いを求め、求められる経験が必要だからこそ、人間は、「献身」のエトスなどを身につけてきたのだと思うけれど、それはまた別の機会に語ってみることにする。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

この記事のバックナンバー

04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ