おせっかい宣言おせっかい宣言

第64回

記述式

2019.11.22更新

 職場の津田塾大学は1900年に日本初の女子留学生の一人、津田梅子が創立した女子英学塾を母体としている。津田梅子は、以前は国語の教科書に載っていたり、歴史の教科書に載っていたりしたから、よく知られていた。近年、知名度が落ちているように思われていたが、ここにきて、2024年から五千円札の肖像となることがきまり、再度注目が集まるようになってきている。在学生からは「そんなに有名な人だとは知らなかった」などと言うコメントも聞こえるくらいなので、明治時代の歴史上の人物は、今や、大河ドラマで取り上げられるか、お札にでもならない限り、注目が集まることも少ない、とも言えるのだが・・・。 

 津田梅子は6歳でアメリカに留学し、11年を過ごして帰国する。その後もブリンマー大学で学ぶために再度留学しているが、その後はずっと日本で暮らし、女子英学塾を創立することになり、女子教育に邁進する。大変聡明な女性であったことは言うまでもないのだが、彼女は生涯、読み書きに関しては、ほとんど英語で行い、日本語の読み書きには苦労したと言われている。残っている手紙や日記も英語であり、最後まで自らの気持ちをあらわすためには、英語で書く、ということであったことがうかがわれる。これは梅子だけではなく、梅子と一緒に留学した会津藩出身の山川捨松も同じであったようだ。彼女はアメリカの名門ヴァッサー・カレッジを極めて優秀な成績で卒業し、日本人女性として最初にアメリカの看護婦資格も取得し、帰国後はのちに陸軍大臣となる大山巌夫人となり、鹿鳴館の華と呼ばれるようになった女性なのだが、彼女もまた生涯、日本語の読み書きに苦労した、と言われているのである。

 幼い頃からアメリカに留学して、生活の上で日本語環境になく、また、日本語で教育を受けなかったのだから、日本語の読み書きがうまくできなかったのも当たり前だろう、と思われるかもしれないが、はたして、そうだろうか。今、日本で育って、長じて海外に留学し、英語なりフランス語なり海外の言葉を自由に繰って読み書きができるようになる人は、いくらでもいる。逆に、日本語圏以外で育ってきて、大人になって日本語を学び、日本語の読み書きを不自由なくできるようになっている外国人も、また、少なくはないのではないか。

 何が言いたいのかと言うと、それなりに能力もあり、勤勉な人は、幼い頃から習い覚えた言語ではなくても、その環境にいて努力すれば、別の言語の読み書きは、けっこうできるようになる、ということだ。梅子も捨松も、きわめて聡明で努力家の女性であることは、残っている資料からも、彼女たちの功績からも、十分すぎるくらいうかがわれるではないか。そういう、並外れて聡明で、知的な環境にも恵まれていた彼女たちが、いくらアメリカに長くいたからとはいえ、日本語の読み書きに生涯苦労したとは、どういうことなのだろう。おそらくは、当時の日本語の文章は話し言葉とは異なる文語体で書かれており、いわゆる歴史的仮名遣いを用いていたことによるのだろう。明治時代の言文一致運動などを経てもなお、1920年30年代くらいまで多くの教科書も文語体で書かれていたのだという。日本語が話せても、読み書きに不自由する、という状況はおそらく、「書き言葉」と「話し言葉」の、当時の著しい乖離にあったのであろう。明治期の言文一致運動から戦後の国語改革を経て、美しい文語体は失ったが、現在の書き言葉と話し言葉は近くなっており、そのことは日本語話者ではない人の読み書き能力の向上にも、一役買っているに違いない。言語の豊かさを享受するためには、やはり読む力、書く力があることはとても重要なことだから。

 2019年11月現在、文部科学省が共通テストとして導入する、という「記述式」問題、つまりは読む力、書く力を試すような問題について、いろいろ話題になっている。採点も難しいし、混乱を起こす、ということで、今年度内にも、結局どうなっていくかわからないような状況である。

 そうだろうな・・・と、思ってしまう。「記述式」問題は、作問も採点もそんなに簡単なことではないのだ。マークシートのように機械的に採点できないので、まことに手がかかるし、採点する側にも、それなりの覚悟と、時間と力とが要求される。津田塾は、小さな私立大学ではあるが、一貫して入学試験を「記述式」で行ってきた。日本語の読み書きに生涯苦労した創立者の思いを汲んでいる、というわけではないと思うけれども、読む力と書く力をつけることは、津田塾の教育の基本であり、入学試験はそのメッセージを包含しているのだ。科目にかかわらず、すべて記述式であり、受験生は、どの科目でも、かなりの量を書くことが要求される。

 そんな大変なことは、やめたらどうですか、という声は受験産業側などから、あがっていた、といううわさは聞いている。多くの私立大学がマークシート方式の入試を行い、受験生もそのような出題方式に対応した勉強をする中、「受験生は、津田塾のためだけに記述式問題を解く練習なんか、してくれませんよ」みたいな言い方をされていたようだ。まあ、受験産業側としては、「お客さん」、つまりは受験者数を増やすためには、他大と同じような形式をとったほうが、敷居が低くなり、受験者数も増える、と思ってくださってのアドバイスだったのだと思うが、そうですか、それではうちの入試もマークシート方式にしましょうか、という意見は、津田塾では出なかった、と記憶している。

 記述式問題は、作るのも、採点するのも、本当に苦労が多い。大変なことなのである。具体的に、何の苦労か、は、ここには書かない。入学試験に関わることだから、あまり詳しく書くことはできないのだ。しかも、企業秘密ですからね。言えることは、問題を作るのにも、採点にも、全教員が、毎年、全力をあげてあたっている、ということ。これだけ言えば、関係者には想像がつくであろう。つまりは、教員が、時々、入試の作問担当だったり、時々、採点の担当だったり、そういうことではないのだ。他の大学では、そういうことは、教員全員で、毎年やる、ということではないようであるが、本学では、毎年、全員で全力をあげて、あたっていて、入試関連作業から、免れる教員はいない。それでも、だれもこういう入試は、やめようといわない。こんなこと、大変だから、やめちゃってマークシートにしましょう、という話が出た、という記憶は、再度書くが、ないのである。みんな、大きな声では言わないけれど、こうした入試こそが大学のメッセージだ、と本質的に理解しているからである。こういう入試問題を出すから、こういう入試問題を解きたい人に来て欲しい、という唯一の私たちの受験生へのエールだと思っているからである。入って来てくれた学生に着実に私たちのメッセージが伝わっている、と思うからである。

 この学校では、専門を問わず、読む力と書く力を大切にしている。だから、書くことと読むことを、大切だ、と思っている人に来て欲しい。書くこと、読むこと、それらを通じて考えること。ものすごい基本だと思う。それをだれもやめてしまおう、といわず、いまもいわない本学は、我が職場ながら、けっこう良い大学だと思っている。大人気にならなくていいから、こういう学校がいい、と思う女性たちは、常に少数は、いるはずだ、と信じて、文科省がどういう方針であろうが、"記述式の道"を、かわらず、行くことにしたい。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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