おせっかい宣言おせっかい宣言

第69回

その次のフェーズには

2020.05.06更新

 2020年4月、目先のことの対応に必死である。コロナパンデミックの中、世界中すべての人が働き方を考えなければならなくなった。いや、働き方を考えようとする人はまだいいのかもしれなくて、仕事自体がなくなった人もたくさんいて、そういう方々はもっと大変である。いわゆる外で仕事をしていなくて、家事や育児を家でやっていた方も、外に仕事や学校に行っていた人がみんな、家にいるようになって、家の中を回すのも大変になっていると思う。みんな、文字通り、必死だと思う。
 大学教員の日々も、一転してしまった。緊急事態宣言を受けて、大学自体が入構禁止になり、学生さんにキャンパスにきてもらうどころか、自分の研究室にさえ、許可なしでは出入りできなくなった。許可されるとしても、「何か必要なものを取りに行く」30分程度しか認められず、「研究室で研究」することはできなくなった。大学教員にとっては、研究室というのは自分の頭の中で考えていることのあれこれの延長線上にあるようなもので、そこに行けなくなる日が来るなんて想像もしてなかったが、現実というのはいつも想像の先を行く。
 東京都は大学に休業要請をしているから、本来は大学も休業要請されている他の業種と同じように、完全に休業しなければならないのかもしれないが、そうはいかない。年限のうちに卒業したい学生さんに卒業していただくためには授業をやるしかない。対面で授業ができないのなら、オンライン授業しかないわけで、世界中の大学がオンライン授業に踏み切る。3月初めにハーバード大学がすべてオンラインにした、ときいたときは、え?そんなことになってしまうの・・・と思っている暇もなく、3月末には、日本のほとんどの大学もオンライン授業、ということになってしまった。
 課題を出してレポートを出してもらう、とか音声つきのパワーポイントをクラウド上にあげる、とか、対面ではない授業のオプションはいろいろあるけれど、もちろん一番多いのは、「zoom授業」で、すなわちzoomをつかって、リアルタイムで教師が授業をやり、それを学生がパソコンやスマホできき、質問したり議論したりする、というものである。こんな、生まれてから一度もやったことがないことに、いい年をした大学教師が必死で取り組んでいるのが今、である。
 zoomを使って会議などやってみた方はおわかりと思うが、これはなかなか、疲れる。家から配信しているので、環境としては自分の馴染んだところから話すのだから良いように思うが、とにかく、時間がかかるし、神経がすり減る感じがする。リアルタイムでやるより、まず、時間がかかる。昨日もzoomで10名程度のゼミをやってみた。みんなの顔を見られてうれしいのだが、終わってからびっくりするくらい疲れてしまった。神経の使い方、体の使い方、頭の使い方がまったく今までと違う。慣れるのにかなりかかるかもしれない。しかし、慣れなければならない。すくなくとも、私の勤め先の大学はすでに夏休み前までの授業はすべてオンラインになった。これでやるしかないのである。

 zoom授業は疲れる、しかし、それはほどなく慣れるであろう。しかし、こういった授業を半年、あるいは長ければ1年、やってしまったら、そのあとはどうなるんだろう。これでたとえば1年やっちゃって、こういったことができることがわかってしまえば、「オンラインじゃない授業に戻す」ことになったとき、みんな賛成できるのだろうか。いままでは、とにかく大学の授業は対面が前提だった。教師というのは、教室に来て講義をするものであり、学生というのは、遠くに住んでいたら、大学のそばに来て下宿して、あるいは2時間でも2時間半かけてでもせっせと通ってきて、90分間授業をする教員と、同じ空間と時間を共有して、授業を受けることが、単位を取る、という前提であったのだ。それ以外のオプションは全く提示されていなかった。それが教育の前提だった。それは、現実にすばらしいことだったのだ。教師が前にいて、学生がいる。そこでは、話は思わぬ方向に進んでいったり、学生のプレゼンスや興味に従って、思わぬ発展があったりした。講義でもそうだったから、少人数のゼミではなおさらのこと、親密に共有した空間から、想像を超える学びが立ち上がっていた。わたしは、大学の、大学で行う授業が、大好きだった。その、思いもかけない、場の共有にたちあがってくる、あの、一瞬があったがゆえに。いま、その「教室で授業という大前提」を、みんなで大きく崩した。オンライン大学などというのは、もともと、あったと思うけど、ほとんどの大学の教員は、そういうことに賛成できないと思っていたし、とにかく、現場で顔をあわせることこそが大切だと思っていて、その大前提を死守しようとしていた。いや、意識しないでも、そうなっていたのだ。だが、一旦、オンライン授業を始めて、やらざるを得ないからやって、いま、目の前のことに必死だからやって、そして、できるだけのオンライン教育をそれこそ心血を注いで確立して、そうやってある程度の期間を過ごしてしまうと、元いた場所には、もう、戻れないのではないのか。
 たとえば、遠方に住んでいたり、体の都合によっては、家から授業できる方がずっといい方は少なからずおられる。現実に、私の所属している学科では、ラテンアメリカに住んでおられる先生に1タームだけ日本に来てもらって授業をしてもらおうとしていた。コロナパンデミックの中、来てもらえるだろうか、来てもらうのも心配だな、おいでになっても帰れなくなったらどうしよう、と思っている間に、もう、ラテンアメリカから来てもらうことなど現実的ではなくなり、授業はすべてオンラインになった。オンラインになってみると、逆に、ああ、ラテンアメリカにいたまま、講義してくださいね、とお願いできることになり、渡航に伴う不安をかかえなくてもよくなって安心した。さらに、この先生はほとんど目が見えない方なのだが、そういう意味でもご本人は、「家から講義できることは安心だ」とおっしゃっているそうである。ほかにも、歩くことがつらかったり、通勤がむずかしかったりする先生方は、少なくなかった。このオンライン授業の必要性がなくなったとき、そういう方々に、どうしても大学に来て授業をしてください、という理由をどうやって見つけることができるだろう。
 また学生たちにも「絶対、対面授業に来ないと単位は出さない」って、言い切れるんだろうか。どうしても家から出られないので、オンラインで授業を受けさせてください、と言われたら、それを断る理由など、なくなる。一旦、できることがわかってしまったのだから。では、キャンパスに集まることの意義ってなんだろう。教室に全員いることの意義は?大学教育の根本が問われることになる。元いた場所には、もう戻れないことを覚悟しなければならない。学生さん、みんな大学にきてね、といって、みんなで集まれていた時は、いい時代だったね、と言われることになるのだろうか。
 大学教員だけではない、今は、とにかく、目の前の対応に必死だが、この後に来る時代がどのようなものか、まだうまく想像できないまま、ただ、目の前の対応が必死なだけでなく、真摯でありたいと願っているばかりの4月である。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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