おせっかい宣言おせっかい宣言

第83回

マスク

2021.07.18更新

 素顔をさらしているのは家の中だけ、一歩外に出たら、すぐ、マスク、という生活になってそろそろ1年半になろうとしている。家の中だけ、と書いたが、家族内での感染予防のために、家でもマスクをつけたほうがいい、と言われたりもしているから、今となっては24時間マスクをつけている人も少なくないのかもしれない。マスクもつけずに、なりたいだけ密になって、くっつき合うようにしていろいろなことをやって来たのは、全く、今は昔、である。
 大学に勤めているのだが、勤務先の大学の研究室は、狭い。曲がりなりにも、一部屋、完全に個室をもらっているのだから、文句は言ってはいけないと思って、言わないのだが、国立の研究所だった前職場の研究室と比べると、その広さは5分の1くらいしか、ない。両壁面に収納棚と机を配置すると真ん中にミーティングテーブルを置く余裕はないので、ユニット畳とちゃぶ台を置いている。ちゃぶ台は長方形であるから、そのまわりには、詰めて座れば6人くらい座れないこともない。まあ、家族が食卓を囲む、の図である。実際に、大学院生が「長岡式酵素玄米」の作り方の講習に行って来て、酵素玄米を炊いてきて、私の研究室に1升入る保温機を置いて、他の院生たちと6人くらいでみんなで酵素玄米を毎日食べていた時期もあったのだ。文字通り、同じ釜の飯を食べていた。あんなに狭い密な空間で、みんなでおしゃべりしながら、ご飯食べていたなんて、もう、半世紀くらい前の話のような気がするが、ほんの数年前のことである。卒業論文提出が近くなると、その狭い部屋に10人をこえる学部生がいたこともあった。いやあ、百年くらい経ったような気がするが、2年前の話である。なんだかずいぶん遠いところまで来てしまったような気がする。永遠に続くことなど、何一つないのに、研究室での学生との密な時間は、ずっと続くように錯覚していた。なんと迂闊だったことか。永遠を錯覚できる日々こそが、幸せそのものなのであったのだ。

「別にマスクつけていて、悪いことは別にないんだから、これからもずっとつけていたらいいんじゃないのかな」と、家族が言う。さすがに、そうは、思わないし、新型コロナパンデミックがおさまってマスクなし生活にもどれればいい、とは思っているが、それにしても。不特定多数に顔をさらさない生活は、そんなにわるくないのも確かだったりするのだ。いろいろな意味で、気楽、にさえ、なっているんじゃないだろうか。
 まず、自分が誰にも見つけられない、という気楽さ。マスクをしているとかなりよく知っている人でも、誰かよくわからない。別に世間に顔が売れているわけではなくても、外に出れば誰かにばったり出会ったり、不意に知り合いに呼び止められたりすることはよくあることなのだが、マスクをつけ続けていると、まず、そういうこともない。誰にも見つけられずに、誰にも知られずに、どこでも行って帰ってこれるような気になる。マスクをしているだけで、みごとな匿名性のうちに行動できているような気になる。誰の目にも、とまっていない自分になれる。
 マスクをつけている自分は、感情を誰にも読まれることがない。悲しくても、うれしくても、機嫌が悪くても、そういう表情は、口元まで見えるからこそ読めるのだ、ということがあらためてわかる。目だけでは感情が読まれない。どんな顔をしていても、人にはわからないのだ、というなんとも言えない自由と気楽さ。これは少しだけ、サングラスをかけている時と似ている。サングラスをかけている時は逆で、目の動きが人に見えないわけだが、こちらも不思議と、口元だけでは感情が読まれない。いまさらにして、わたしたちは口と目の双方の動きと雰囲気で感情を読んでいることがわかる。
 熱帯ブラジルに10年暮らしていたことがあって、そのときは、サングラスなしに外に出ると熱帯の日差しに目を射られるので、一歩外に出るといつもサングラスをかけていた。日本人の女は、幼い頃からの育ち方に由来するのかと思うが、なにかというと、へらへらと笑う癖がついていることが多くて、それは海外ではあまりよろしくない。へらへら笑っていると、なんでもオーケーみたいに見えるので、ワキが甘い人間になってしまうのだ(と思った)。私も御多分にもれず、へらへら笑う女だったのだが、サングラスをかけると目の表情がわからないから、へらへら、がバレない。これはへらへらしがちな日本の女が海外を歩くには必須だな、と感じたこともよく覚えている。日本に帰国したのは夏の終わりで、当然のようにずっとサングラスをかけていたら、一緒に歩いている人にひどくいやがられたものだ。日本でサングラスは愛でられないことを10年忘れていて、気づいていなかったのである。いま、マスクをつけて外出するときの気分は、サングラスをかけていた時と似ている。まさに、仮面をつけていられるのだ。
 自分が誰にも見つけられないこと、自分の感情が読まれないこと、のコインの裏側でもあるのだが、自分も、また、人が気にならなくなる。電車の中で、あるいは、道ゆく人を、気になって眺めるのは、顔がわかるから、眺めていたのだ。マスクをかけて目だけの人を見てもなんだかおもしろくない。どういう人か、わからない。だから、他人が気にならない。他人を気に留めない。海外からスポーツ大会にくる選手を周囲と接することがないように移動してもらうことをバブル方式というのだそうだが、まさに、マスクをつけて、マスクをつけている人の間を歩いていると、自分がバブルに、つまりは透明な泡のカプセルの中にいるような感覚になる。自分だけの世界で出かけて、もどってくるような。
 結果としてこれは、けっこう、エネルギーが温存されるのだ、ということがよくわかってくる。どんな時も、素顔をさらして、家を出ていき、人に会い、仕事をして、用事を済ませて、一日を終えるのはたいへんなことだったのである。顔をさらさずにいることで余計なエネルギーを使っていない。
 顔を人前にさらす、というのは、それだけでエネルギーがいるので、できるだけ隠している、ムスリムの女性がヒジャブやブルカやニカブなどさまざまなショールを使ったり、男性が髭を伸ばすのは、素顔をさらさないためなのだ、と、聞いていた。おそらく解釈はいろいろあるのだと思うが、少なくとも私に説明してくれたムスリムの友人はたしかに、以前、そう言っていた。その時は割と右から左にふうん、そういうものなのか、と聞き流していたのであるが、マスクをつけることが日常化して、あらためて、このことを思い出した。アフガニスタンで仕事していた友人に、頭からすっぽりとかぶって顔の部分がメッシュになっており、裾まで美しいドレープになっているブルカをもらったことがある。女性抑圧、という視点はもちろんあるのだが、ブルカをかぶってみると、自分は世界がうっすらとみえるのに、外からは自分の姿が見えないことにちょっと感動した。心が弱くなっている時は、ブルカをかぶって外出したいと思ったが、当時、それ自体があまりにも目立つことになるから、ちょっと思い切って、できなかった。マスクをつけて外出、は、ちょっとだけブルカをかぶって外出したかった気分と似ていて、まんざらでもないのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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