おせっかい宣言おせっかい宣言

第77回

夢をみた

2021.01.28更新

 少し体調がすぐれなかったのだ。だから、湯たんぽを抱えて寝ていた。寝る前になんとなく調子がすぐれない時は、いつも湯たんぽを用意する。ちょっとのどが痛かったり、なんとなく気分がわるかったり、おなかが冷えているな、と思ったり。なんでもいいのだ、おおよそ寝る前に調子がよくないな、と思うときは、湯たんぽを用意して、お腹にあてたり、仙骨あたりにあてたりして眠る。つまりは日中にうまく体調を調整できなくて、寝る時間になったとき、湯たんぽ抱えて寝ているのである。だいたいの寝る前の体調のよろしくないことは、結構、湯たんぽで解決できていることが多い。30代くらいからやっているから、おおよそ30年くらい「湯たんぽ解決」できてきたのは、幸運だったのだろう。
 ちょうど子どもを育てる時期でもあったから、子どもたちには小学生の頃から、ちょっと調子が悪いと「湯たんぽ作ってあげようか」と言っては、湯たんぽを抱えては寝かせていたので、子どもたちもそういうものだ、と思って育ち、頭がいたい、お腹がいたい、ちょっと風邪気味、というと、すぐに湯たんぽを用意して寝るようになった。大学で下宿したり、一人暮らし始めたりするときにも、湯たんぽをもたせることになったし、自分で適当にやっていたようだ。あまり薬を飲んだり飲ませたりする習慣がなかったので、常備薬、も、かかりつけ医、も、とくにないまま子どもたちが大人に育ったのは、これまた、ありがたいことであったといわねばならない。子どもが大学生くらいになったときに、友人と話をしていて「薬飲む習慣がないことに、びっくりされた」とかいっていて、我が家があまり薬を飲まない、ということに気がついたようだ。で、時折薬を飲むと「びっくりするくらい効く」とか言っていて、薬のありがたみにも気づいたらしい。昔々、あるところで、薬剤師をしていた母としては、そういう、次世代の薬への節度のきいた態度は、愛でるべきものであるように思っている。いざと言う時に助けてもらうものだ、薬は。

 それはともかく。湯たんぽ抱えて寝たら、夢をみた。大学で授業に向かおうとしている。わたしは大学の教師なのである(夢じゃなくて、実際もそうだが)。ところが、どの教室に行ったら良いのかわからない。考えてもわからないので、これは聞きに行かなくては、と思って、教務課まで行って、すみません、今日の私の授業、どこの教室ですか、と聞く。教務課にはたくさんの学生がいて、職員さんは忙しそうになさっていて、悪いなあ、こうやって聞きにきちゃったりして、迷惑だよなあ、とか、わたしは思っている。でも嫌な顔もせず、ああ、H301教室ですよ、といわれたので、H301教室にむかう。階段をあがって、ここだったよな、と思うと、教室がない。見慣れた風景であるはずなのに、知らない廊下がひろがっていて、向かうべき教室がない。おかしいな。階段だからだろうか、エレベーターを使えばよかったのだろうか。エレベーターまでもどる。
 エレベーターは知らないうちになんだかすごく旧式のエレベーターになっていて、ヨーロッパやラテンアメリカの古びたビルについているような、扉が二重になって、がちゃん、がちゃん、音をたてるようなエレベーターである。一体いつの間にこんなエレベーターになったのだろう。3階を押すと、扉が開いたら、そこは、レストランで、教室じゃない。東大にもレストランができていたけど、うちの大学でも立派なレストランをつくったものだな、などと、そのときはまだそんなこと考える余裕もあって、レストランをぬけて、きっとそこの階段を降りたところにH301教室があるだろう、と、確信して階段を降りたが、教室はないではないか。一体知らない間に、どれ程広くなったのだ、大学は?
 レストランを過ぎて階段をちょっとおりたところから、病院になった。今の職場は医学部など併設している大学じゃないのだが、以前勉強したり働いたりしていたところは、確かに廊下の向こうまでわたりおわると、病院になっている、という大学や研究所もあったから、夢の中における大学の廊下の向こうに病院がある、と言うことにも整合性があって、わたしは、あれ、病院の方に来ちゃったな、こっちじゃないのに、とか、思っているのである。知り合いの助産師さんが通りかかったから、あの、すみません、こっちいくと、大学の教室? と聞くと、彼女は怪訝な顔をして、今はねえ、ほんとうはぜんぶ廊下から手すりまで消毒しなくちゃいけないので、大変なのよ、と、つぶやいて、行ってしまった。そうだ、今どき、それでなくても忙しい医療関係者にむやみに病院で声をかけたりしてはいけないのだ、と妙に納得したりして・・・。
 そろそろ私は焦り始める。もう、授業が始まってずいぶん時間が経っているから、学生さんたち、先生が来なくて心配しているに違いない。教務課に電話して、わたしが教室を探していると伝えてもらわなくちゃ、と思い、スマホをさがすが、スマホも、ない。どこかから電話しなくっちゃ、とあせっているのに、スマホも見つからず、内線電話もない。ああ、連絡がつかない。病院のホールを抜け、こちらから出れば、今どこにいるかわかるだろう、と外に出る。
外に出たら、なぜだかそこには、チベットにあるような色とりどりの小さな旗がかざられている僧院がみえて、左側は、アジアとかアフリカの街によくあるインフォーマルセクターの巨大なマーケット、要するに青空市場、である。なんだかもうめちゃくちゃだ、大学はどこなの? 向こうから知り合いの大学院生が歩いてきた。わたしは泣いている。お願い、教室に案内して。10時25分、あと5分で授業は終わる。お願い、教室はどこ、もう、授業が終わってしまう、と、大学院生に泣きついたところで、汗びっしょりで目が覚めた。湯たんぽ抱えていたから、汗かいたのだ。目が覚めて、教室にいけない、という思いで、まだどきどきしていた。

 2020年度は、春からずっと、オンライン授業をしていた。新型コロナパンデミック、という思ってもみなかった状況の中、世界中の大学がオンラインに移行した。いいか、わるいか、やりたいか、やりたくないか、そういう問題ではなく、それしか方法がなかったのだ。教室に行って対面でやる授業に、世界中の普通の大学教師はこだわっていたのだが、そのこだわりは全て捨てざるを得なかった。文科省は今でこそ、小中高がやってるのだから大学もオンラインでばかりやってないで対面でやる努力せよ、とか言うが、対面に戻ることより、一斉にオンラインに移行しなければならなかったことが、現実にも心理的にもものすごくハードルの高いことだったんだよな。でもやらざるを得ないから、みんな、がんばった。画面の向こうの学生は、キャンパスライフのすべてを失ってこっちよりつらいんだから、なんとか、大学らしいものをオンラインで届けなければいけない、と思って、慣れない工夫もし、機材も購入し、文字通り泥縄で、世界中の大学教師が、なんとかやってきたのである。

 ああ、それでも。
 わたしはなんと、教室に憧れていただろう。自分になんとか言い聞かせていたけれど、こんなにもわたしは、教室にたどり着きたかった。夢に教えられて、茫然としながら、オンラインで提出された学生のレポート採点にむかうのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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