おせっかい宣言おせっかい宣言

第97回

オフレコ

2022.09.28更新

 オフレコ、って、すでに死語だろうか。おそらく、英語のオフ・ザ・レコード、つまりは、記録に残さない、という言葉から派生して和製英語になったのであろうと思われるが、詳細はわからない。まあ、ここだけの話で、お願いしますよ、という意味で使われていた。記録には残りませんから、録画、録音、しませんから、と。最近、あまりきかなくなった言葉では、ある。

 職場の大学の所属学科では、いわゆるフィールドワーク、つまりは現場に行ってデータを取って卒業論文を書く、ということになっている。テーマはなんでもいいのだが、基本的な社会調査のやり方は学んでからフィールドに出てもらわなければならない。半構造化面接、と呼ばれるインタビューなどもやることになることが多いが、常々、面接をするとき、録音はしない方がいいよ、と言ってきた。録音するなら、もちろん話を聞いている相手に、録音してもいいですか、ときかなければならない。そして、かまわない、と言われたら、ヴォイス・レコーダー(今ならスマホのヴォイスメモだろうか)を目の前に置く。でも、これ、目の前にヴォイス・レコーダーが置かれて、さあ、話してください、みたいなシチュエーションは、置かれる前、と同じではあり得ない。全然違うのである。ほとんどのインタビューを受けてくださるような心ひろやかな方は、ヴォイス・レコーダーを前にしても、静かに微笑んでおられるだけかもしれないが、インタビューする側とされる側の関係性は、ヴォイス・レコーダーが真ん中にあることで、決定的に変わる。話す内容は、当然、変わってくる。意識できても、できなくても。繰り返しきかれてもよいことしか、話さない。

 また、そういう話でなくても、だいたい、録音したものをテープ起こしして、それをデータとして使う、というのは、なかなかの手間と時間のかかるものであることは、やったことのある人ならわかる。しかも、録音している、と思うと、話を聞く側の緊張感は薄れる。後で聞き直したらいいや、という気持ちが芽生えて、そこでの集中力が、意識できてもできなくても、薄れるからだ。むしろ録音しないで、メモをとりながら聞き、インタビューを終えた後で、すぐに、そのメモから実際のインタビューを文字に起こしていったほうが、残るデータとしては、録音したテープ起こしより質が高いことが多いのだ。だから、録音しない方がいいよ、と、すすめてきた。

 時折、講演や講義を職場の外で、頼まれることがあって、以前は、講演の録音や録画は基本的に断っていた。主催者側から、今日、来たいのに来れない人もいるので、録画させてください、とよく言われたが、「その場に、その時、きてくださった方のために話をするわけですから・・・」と言って、本当に、そう思って、お断りしていたのだ。でもあんまりよく頼まれるので、もう、仕方ないかな、主催者側でそう思われるのなら、まあ、それでもいいか、と思うようになってきた。還暦も過ぎると、頼まれるのなら、まあ、それでもいいかな、とこだわりがだんだんなくなってくるのである。こだわりが少なくなってくるのは、まあ、悪いことじゃないだろう。で、まあ、いいか、録画、録音も仕方あるまい・・・と、思い始めた頃に、新型コロナパンデミック突入、となった。講演、対談、講義・・・全てオンラインへと移行した。オンライン仕事は、現実として、ほぼ、録画することと同義なのである。なるほど、全て録画が前提となっていくわけだ。そう思って話さなければならないのだ、と、理解せざるを得なくなった。

 職場外の講演はともかく、大学の講義が否応なしに全部オンラインに移行、となったことの影響の大きさは今になってわかってくる。勤め先は小さな女子大であるが、情報系の先生方ががんばってくださって、新型コロナパンデミックの始まった2020年の5月の連休が過ぎる頃には、講義の全てをオンラインに移行できるよう体制が整っていた。対面授業でそれぞれの講義に、教室が割り当てられるように、それぞれのオンライン授業にZoom のURLが割り当てられる。教師も学生も教室を出たり入ったりするように、そのURLをクリックして、オンライン授業を行っていったのである。

 お互い初めてなのに、よくがんばったと思う。教師も学生も。技術的に裏方を支えてくださった方々も。そして、そのZoomのオンライン授業は、もちろん、録画されていた。録画が前提なのである。授業の受講者は、通信トラブル等があったときのために(決して当日サボっていた人のために、では、ないのだ。結果としてそういう人もみられるけど)録画した授業を受講できるようになっていた。要するにオンラインでその場できいていた学生と同じ授業を、のちに、録画でみることができるわけである。

 ちょっと、どきっとした。え? 授業、全部録画されるの? それを後から何度もみられるの? ううむ、それは、よく考えて授業しないといけないなあ。いい加減なことを言ってはいけないなあ。いらないことも、あまり言ってはいけないなあ。言っちゃいけないようなことをぽろっと言っては、もっと、いけないなあ。教師をやったことがある人はわかると思う。その場で、きいている人たちとの関係性の中で、授業は行われる。録音されると、言えないようなことも言ったりする。それはポリティカリー・コレクトかどうかということではなく、教師である自分自身の実感とか、話とか、経験とか。まあ、その場次第ではあるけれども、録音される前提ではとても話すことができない、まさに一期一会というか、その時限りというか、その場にいるある一人の学生のためというか。そのようにして立ち上がるものである。さらに、やらないとは思うけれども、録画する、とは、この教師、ちゃんと授業してるのか、という評価のために使われない、という保証もない。

 そのとき、その場のみで、そこにいる学生と共に立ち上がる特別な瞬間、としての講義、は、失われたのである。そのことに十分意識的ではあったが、それでもパンデミック、という未曾有の経験の中、修業年限で卒業してもらうためには、講義をやめるわけにはいかなかった。そのようにして、講義の内容は自然と変わっていった、と感じている。共時性とその場限りの驚き。ライブパフォーマンスと同じことだろう。そんなライブも録画されて配信されるのに、講義が録画されてどこがわるいのか。それを、今や、もう、うまく説明できない。今年度は対面授業にもどっているが、何かが決定的に失われてしまったことを感じている。

 口伝で伝えられていた祈りや祭ごとや伝統芸能や伝統工芸が、記録され、マニュアル化されていった時に、本質から少しずつ遠くなってしまうこと、本当に聡明な人は、そのことに気づいていて、いっそ伝統は継承されない方がいい、と思ったりしたであろうこと。そんなことと比べるのは、大げさでもあり、そもそもアカデミアの講義は口伝ではあり得ず、もともと文字と記録の世界の出来事なのだから、文脈も違うのではあるが、語りと共時性という重厚さは決定的に損なわれ、取り返せるのかどうか、自信のないままに、再度、対面講義の教室に立っている。講義がオフレコの時代、は終わったのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 『中学生から知りたいパレスチナのこと』を発刊します

    『中学生から知りたいパレスチナのこと』を発刊します

    ミシマガ編集部

    発刊に際し、岡真理さんによる「はじめに」を全文公開いたします。この本が、中学生から大人まであらゆる方にとって、パレスチナ問題の根源にある植民地主義とレイシズムが私たちの日常のなかで続いていることをもういちど知り、歴史に出会い直すきっかけとなりましたら幸いです。

  • 仲野徹×若林理砂 

    仲野徹×若林理砂 "ほどほどの健康"でご機嫌に暮らそう

    ミシマガ編集部

    5月刊『謎の症状――心身の不思議を東洋医学からみると?』著者の若林理砂先生と、3月刊『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』著者の仲野徹先生。それぞれ医学のプロフェッショナルでありながら、アプローチをまったく異にするお二人による爆笑の対談を、復活記事としてお届けします!

  • 戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』

    戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』

    下西風澄

     海の向こうで戦争が起きている。  インターネットはドローンの爆撃を手のひらに映し、避難する難民たちを羊の群れのように俯瞰する。

  • この世がでっかい競馬場すぎる

    この世がでっかい競馬場すぎる

    佐藤ゆき乃

     この世がでっかい競馬場すぎる。もう本当に早くここから出たい。  脳のキャパシティが小さい、寝つきが悪い、友だちも少ない、貧乏、口下手、花粉症、知覚過敏、さらには性格が暗いなどの理由で、自分の場合はけっこう頻繁に…

この記事のバックナンバー

09月26日
第121回 その国の雰囲気 三砂 ちづる
08月26日
第120回 よく眠れる 三砂 ちづる
07月29日
第119回 縁起が悪い 三砂 ちづる
06月25日
第118回 学び続ける姿勢 三砂 ちづる
05月27日
第117回 タレフェイラ 三砂 ちづる
04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ