おせっかい宣言おせっかい宣言

第72回

胸痛む夏

2020.08.05更新

 都内の大学の教員をやっているので、2020年春から、否応なしに、オンライン授業に移行した。オンライン授業など、それまで、やったことがあるはずがない。大学の教育は、対面の教育にこだわり続けていたのだし、とりわけ私の勤務先の小さな女子大は、現実はどうであれ、少人数教育にこだわり続けてきた。自分自身の「学生と会う」ことへのこだわりも大きかった。対面で学生と出会う時間、そこでのやり取り、そこでの共時性、そこでの言葉も介在しないようなひと時、そういうものが、全て大学での教育であり、自らの研究室は、そのための重要な場を提供していた。
 新型コロナ・パンデミックとともに、そのような当たり前の時間と場は、はかない夢だったように消えてしまった。自分の研究室に入ることができなくなるなんて、考えたこともなかったが、入れなくなってもう5カ月になる。やったこともない、慣れているはずもない、Zoomを使ったオンライン授業を始めて、使ったこともなかった大学のネット上ページにある「ポートフォリオ」なるものを駆使して、学生に授業の資料を提供して、授業に出た後のコメントシートをネット上で出してもらったりした。対面の試験ができないから、詳細な指示を出した上で、学生にレポートを出してもらい、ネット上で成績をつけた。
 この新型コロナパンデミックで、働き方を変えなければならなかったのは、もちろん、大学関係者だけであるはずもない。ものすごい短期間に、やったこともない対応を突然求められたのは皆同じだっただろう。仕事があるだけまし、という状況に追いやられた方も多かった。それと比べて大学教師の状況がどれほどのものか、とも言えるとも思うのだが、それでも、日本中の(そしておそらく世界中の)大学教師が、1カ月もない準備期間の中で、みんな、家で必死の奮闘を続け、なんとか、春から夏にかけての授業の形を作った、と思うと、みんな頑張ったよな、と思う。誰にも会えないけれども、これを全ての大学教員がやっていたのだ、と思うと、静かな連帯感に胸が熱くなる。何かに文句をつけたり、批判をしたり、ということについては人後に落ちない大学教員たちであるが、みんな、春から、この「必死のオンライン授業」の提供、誰に聞いても答えてもらえないような状況の解決、をそれぞれに工夫しながら、大学教育を止めないように、なんとかがんばったのである。

 小中高は、みんな対面授業をやっているのに、なぜ大学だけ、開けないのか、などという議論もあるようだが、おおよそ地域の生徒たちが集まっている小中高と、各地域から集まってくる大学では、そもそもその成り立ちが違いすぎる。とりわけ東京の大学には日本中の若者たちが集まってくるのである。2020年8月現在、新入生は一度も大学にきたことがない人が多いから、なんとか、一度でも大学に来てもらって、顔を見られるような機会を作ってあげたほうがいいのではないのか、という意見も学内にも出はするのだが、だからと言って、いま、北海道とか長崎とかの実家にいて、オンラインで授業に参加してくれている学生に「一度も大学に来たことがないのも困るでしょうから、一度東京に出てきてくださいな、みんなで会いましょう」とは、とても言えない。大学に学生を集める、ということ自体が、県境を大きく越えた移動、を前提にしているのだ。
 さらに、大学に来たら、学生は毎講義ごとに違う教室に行き、違う先生の、違う授業を違うメンバーとともに受講する。昨年、400名を超える学生が受講している講義を担当していたことがある。いきおい、ものすごく大きな階段教室で、ステージのような教壇から授業をすることになる。講義が始まる前、舞台の袖で呼吸を整え、鏡を見て容姿を整え、授業資料も確認して、気合を入れて、ステージに立つがごとく、400人の前に出て行く・・・という授業をしていた。舞台に立つ人のライブパフォーマンスの前って、こんな感じかな、と思っていたが、まあ、大学の講義って、まさに「ライブ」そのもの、とも言える。大教室で誰かが絶叫したりはしないけれど、大教室の大講義なら、授業もきかずに、密接な距離にある隣の人と親しくおしゃべりする人も多いし、小さな教室で、それこそみんなでわいわい話す、少人数のゼミなら、文字通りすぐに「三密状態」の小さなライブハウスのようになる。大学で講義をする、とは、少人数から大人数など様々なライブを次々やっているようなもの、とも言えるし、学生側も、時間割に従って、次々大きさの違うライブハウスに入って、違うパフォーマンスを、違うメンバーとみるようなもの、とも言えなくはない。新型コロナパンデミックの中、数多の公演やライブハウスが興行できなかったり、やってみたら、クラスター化したりするのをみていると、とても大学に学生を集めることができるようには思えなくなる。
 だから、なんとか必死でオンライン授業をやりきった。受けていた学生も大変だったと思う。授業をやっている側も慣れていないが、受講している学生の方も初めてのことばかりだっただろう。いくらネット環境には教員世代より習熟している世代であるとはいえ、ネット環境は親の提供できる環境に左右されるし、図書館や友人との語らい、などによる情報収集も最低限のレベルでしかできない。それでも、幾つもの講義をオンラインで受け、レポートを出し、試験を受け、なんとか学生たちも乗り切ってくれたのだと思う。

 それで、で、ある。教師の私は、このにわか作りのオンライン授業の終わりに、学生の提出した何科目か分のレポートを読んだのだが、びっくりするくらい、どれも、出来が良い。大学教師をもう15年以上やっているので、学生のレポートとかそれこそ、星の数ほど読んでいるわけだが、今回の授業のレポートは実によくできていたのだ。レポートというのは、内容より前に、まず、形式、である。レポートとしての見出しや段落の取り方や、引用の仕方、字数をまもること、など、レポートとしての体裁が整っていなければならない。毎年、「レポートは、まず体裁ですよ、体裁の整ったものを出してくださいよ」といくら繰り返しても、体裁の整っていないレポートが結構な数、出てくるのだが、今年はそういう、「体裁の整っていない」レポートが、そもそも、ほとんどなかった。内容も、こちらの意図を汲んで、しっかり書けているものが多かった。
 勉強したのだろう。遊ぶこともバイトすることもデートすることもサークル活動することも、何もできなかったから、勉強したんだな、と思う。普段にも増して。時間をかければ勉強はできる。良いレポートも書ける。卒業論文もオンライン指導になりそうで、うまくいくだろうか、と思っていたが、きっと今年の四年生は、かなりしっかりした卒業論文を提出してくれるに違いない。学生たちは、オンライン授業、というこの新しい環境の中で、きちんと学ぶ方向を見出しているのである。そういう意味では、大学はオンライン授業、という状況の中でも、できる限りの学ぶ機会は提供できる可能性があると言えるのかもしれないし、学生たちは、機会さえ提供すれば、学べるのだ、と思う。若い人たちは素晴らしい。
 数カ月やってみて、大学の「勉強」、という意味では、なんとか、オンラインでもやってもらえることが、わかった。彼女たち(女子大なので)は、このような状況でも勉強を続けることはできるのである。学ぶ機会は奪われてはいない。しかし、逆に言えば、「学ぶ機会」以外の機会は全て奪われているのである。キャンパスでの語らい、いつもなら授業より熱を入れるサークル活動、しんどいけどお金がもらえるのが嬉しいアルバイト、飲み会、デート、イベント、ライブ・・・。それらすべてを諦めざるを得ないから、勉強するしかなかったんだろう、おそらく。その結果としての、出来の良いレポートを前に、胸が痛む夏、なのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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