おせっかい宣言おせっかい宣言

第89回

寒い冬、寒い日本

2022.01.06更新

 日本の冬は寒い。暖房設備が貧弱だからだ。この国の暖房は火鉢とコタツの延長線上にある「パーシャルヒーティング」である。寒いから、自分のいる場所の周囲を暖かくしよう、としているだけである。火鉢とコタツは、石油ストーブやガスストーブに進化し、そののち、冷暖房のエアコンにうつり、いまはオイルヒーターなどを使う人も少なくないと思うけれど、すべて、その部屋およびその場所周辺を暖かくしているだけで、発想としては火鉢とコタツの延長のようなものだ。だから、その部屋しか暖かくない。その部屋を一歩出れば、寒い。廊下は寒いし、トイレは寒いし、風呂場は寒い。高齢者が、居室と、トイレや風呂場との急激な温度差、つまりは、ヒートショックにより亡くなった、という話も珍しくないのだ。寝室だって寒い。寝るとき暖房をつけっぱなしにすると、ストーブなら、危ないし、エアコンなら空気が乾きすぎるから、大体、暖房を切って、寝ている。冷たい布団にもぐりこみ、足が冷たいからと湯たんぽ入れたり、電気毛布使ったりして、ぶあつい掛け布団をかけて自分の体温で温まってきて、眠れるのである。朝起きたら、寒いからあわてて暖房をつけたり、あるいはタイマーをつけてせめて起きるとき暖かいようにしている、とか、そういう日々ではあるまいか。
 でも、別に不満は聞かれない。だって、暖かいことは、暖かいからである。家の中で寒さに震えているわけじゃない。多くの人は家になんらかの暖房器具があって、家で暖かく暮らしている、と思っているし、実際、寒さに震えては、いないのだ。寒さに震えるとは、災害に襲われて家がなくなったり、貧しさにあえいで暖房もない、ということだ、と思っているから、家の中で暖かければ、十分だ、と思っているのであり、実際、それで不満もないのだ。出発点を、災害と極貧レベルで考えてしまうのは、この国ではそういう記憶がいつも真新しいからで、いたしかたないのかもしれない。家は、暖かくていいな、と思ってはいても、だいたい、家の中でも冬服を着ていると思う。つまり暖かいセーターとかフリースとか、ヒートテックとか、分厚い靴下とか、履いていると思う。だって、冬だから、寒いし。家の中でも冬服着ているのって、あたりまえでしょ、冬なんだから、と思っている。
 世界で先進国、と呼ばれている国の多くは、冬の寒い時期がある国が多いのだが、そういう国では、だいたい、暖房にセントラルヒーティングを使っている。というか、セントラルヒーティングくらい、完備しているのが先進国というものだ、というほうが本当はふさわしい。セントラルヒーティングときいても日本では北海道の人以外はピンとこないかもしれないくらい、全く普及していない。逆に言えば、北海道でよく使われているから、セントラルヒーティングとは極寒の地で使うものだと思われているかもしれない。でも日本の冬は北海道だけじゃなくて、北陸でも東北でも甲信越でもものすごく雪が積もる地域も少なくなくて、そこは、北海道に負けないくらい寒いし、その他の地方でも結構冬は寒いのだが、別にセントラルヒーティングは普及していない。
 セントラルヒーティングとは、文字通り建物のどこかに熱源をもって、その熱を建物中に送り出して、家全体を暖めるような仕組みである。多くの場合、温水のセントラルヒーティングである。家のどこかにおおきな温水のタンクがあって、各部屋やあちらこちらにパネルヒーターを設置して、そこに温水が流れてきてあたたかくなる。わたし自身は、留学して、しばらく仕事をしていたロンドンで初めて経験し、ヨーロッパではどこでも使われていることを知った。暖かいし、快適この上ない。
 温水自体は年中タンクに作られていて、お風呂とかシャワーとか台所とかで、お湯を使う。冬以外には各部屋のパネルヒーターの栓をまわして閉めておくので、パネルヒーターにはお湯が回らないから、暖房は機能しない。冬になると、その栓をひねってあけておくと、パネルに温水がまわり、家中、暖かくなる。おだやかでほんのりとした暖かさで、気持ちがよい。風呂場にも廊下にもパネルがあるから、家中同じ温度になる。ヒートショックなどない。家中ほどよく暖かいから、セーターとか、防寒具は家の中で着る必要はなく、セントラルヒーティングの家では冬でもTシャツ一枚で暮らせたりする。寝室だって、いつもほどよく暖かいから、別にものすごく着込んで寝る必要もないし、湯たんぽも電気毛布もいらない。
 もともと作っているお湯を冬になると家中に回すような仕組みで、留守にする間も、つけっぱなしである。だから、寒い時期に外から家に帰ってくると、玄関を開けると、暖かい、わあ、おうちに帰ってきてよかったな、という感じで家に迎えられる。だいたい、家で体があたたまっていると、外に出るときに感じる寒さも体が冷えている時とは全く違うと思う。ほんとうに、快適である。
 快適なだけではなく、だいたい、火を使っていないから安全である。パネルヒーターは火傷するほど熱くならないから子どもやペットのいる家でも心配がない。冬場は洗濯物が乾かないが、パネルヒーターのそばに置いておくと、ほどよく乾く(だいたい、欧米では洗濯物は干す習慣はあまりなくて乾燥機で乾かしているようだが)。火の気が無いから、老人でも不安がない。石油なんて買いに行かなくていい。こんなことは欧米先進国では前世紀から当たり前のことであり、戦前に旧満州のロシア人の作った街に暮らしておられた方々は、寒い満州でも家は暖かかったことを記憶しておられる。要するに中国の北の方は、戦前から、セントラルヒーティング完備、ということである。
 21世紀が始まって20年も経つけれど、結構寒い国である日本に、セントラルヒーティングは北海道以外では、とうとう普及しなかった。日本人は海外の人から、結構金持ちの国だから国民も豊かに暮らしているだろう、と思われていたが、実際は、いじらしいくらい貧弱な暮らしをしてきたことに、ずっと日本にいると、気づかない。だって親の世代より豊かになったもん。買いたいものも、買えるし、美味しいものも食べられるし、行きたいところにいけるし(いまはパンデミックで行けない)、お姫様みたいな結婚式だってできるし、お金貯めたらブランド物も買えるし、一流ホテルでアフタヌーンティーできるし、先進国だし、お金持ちじゃん? わたしたち。セントラルヒーティングもないのに、そう思っているのである。はい、貧しい記憶がつい、一世代前のことだったから、日本は豊かになったな、とそれぞれ思っているのである。セントラルヒーティングもないのに。
 ほんと、お寒い。私たち。あたたかで快適な冬すら手に入れられず、このまま盛りをすぎて行く日本。盛りだった頃に、生活を快適にし、文化を豊かなものにし、おだやかで奥行きの深い暮らし方をつくりあげて、そのあとの下降期をゆっくりくらす、というヨーロッパ的あり方をもっと学びたかったが、学べなかった。日本人は、世界の人が思うほど、本来の意味での豊かな暮らしは得ることができないまま、ひっそりと、また、貧しくなるのであろうか。暖かいセントラルヒーティングの家くらい、欲しかったな、と思うが、それすら贅沢に思えるほどほどの貧弱な豊かさに、適当に飼いならされていたわけである。残念なことだ。ああ、日本の家は、寒い。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある

    斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある"声"のはなし」前編

    ミシマガ編集部

    ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞により、ますます世界的注目を集める韓国文学。その味わい方について、第一線の翻訳者である斎藤真理子さんに教えていただくインタビューをお届けします! キーワードは「声=ソリ」。韓国語と声のおもしろいつながりとは? 私たちが誰かの声を「聞こえない」「うるさい」と思うとき何が起きている? 韓国文学をこれから読みはじめる方も、愛読している方も、ぜひどうぞ。

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    筒井大介・ミシマガ編集部

    2024年11月18日、イラストレーターの三好愛さんによる初の絵本『ゆめがきました』をミシマ社より刊行しました。編集は、筒井大介さん、装丁は大島依提亜さんに担当いただきました。恒例となりつつある、絵本編集者の筒井さんによる、「本気レビュー」をお届けいたします。

  • 36年の会社員経験から、今、思うこと

    36年の会社員経験から、今、思うこと

    川島蓉子

    本日より、川島蓉子さんによる新連載がスタートします。大きな会社に、会社員として、36年勤めた川島さん。軽やかに面白い仕事を続けて来られたように見えますが、人間関係、女性であること、ノルマ、家庭との両立、などなど、私たちの多くがぶつかる「会社の壁」を、たくさんくぐり抜けて来られたのでした。少しおっちょこちょいな川島先輩から、悩める会社員のみなさんへ、ヒントを綴っていただきます。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

この記事のバックナンバー

11月21日
第123回 グローバルとインターナショナル 三砂 ちづる
10月28日
第122回 再 ロングショットの喜劇  三砂 ちづる
09月26日
第121回 その国の雰囲気 三砂 ちづる
08月26日
第120回 よく眠れる 三砂 ちづる
07月29日
第119回 縁起が悪い 三砂 ちづる
06月25日
第118回 学び続ける姿勢 三砂 ちづる
05月27日
第117回 タレフェイラ 三砂 ちづる
04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ