おせっかい宣言おせっかい宣言

第91回

ダーチャ

2022.03.16更新

 琉球大学大学院に籍を置いていたことがあって、大学院生なのに、八重山芸能研究会、という学部生の部活動に1年だけ参加させてもらったことがある。1980年代、今となっては、大むかしのことだ。琉球大学八重山芸能研究会(八重芸、と略す)は1968年に結成され、50年続いた部活である。八重山出身の学生たちにより活動が始まり、のち、沖縄本島、宮古地方、また、沖縄県外の学生も活動に参加するようになる。八重山列島には、石垣、竹富、小浜、黒島、西表、鳩間、波照間、新城、与那国などの島があり、それぞれの島に豊かな芸能が息づいている。八重芸は毎年、どこかの島で取材をして、地元の人が教えてもいい、という芸能を直接彼らから習い、それを習得して舞台に上げる、という、大学生の部活動としてはたいへんハイブローな、民俗学的にも興味深い活動をしていた。
 時期によって、部員が極端に少なくなったりしていて、私が入れてもらった1986年ごろは、とにかく部員不足に悩んでいた時期なので、県外から来た大学院生でも、入れてもらえたのだ。現在、50年間続いた部活の克明な記録が記念誌として残っているのも、この活動に参加した卒業生たちがそれなりにつながっているのも、歴史研究者であり長く八重山芸能研究会の顧問であった山里純一元琉球大教授の力が大きい。歴史研究者であるからこそ、記録に残すことの重要性を誰より意識されていたのである。南西諸島で、女性性の本質に近づくべく、女性たちの聞き取りをしたり観察をさせてもらったりしているのだが、結果として山里先生や、八重芸の先輩たちにすっかりお世話になっているところだ。30年どころか40年越しのご縁である。
 竹富島で生まれ、公務員を退職まで勤め上げ、一貫して竹富島の芸能活動を支えてきた八重芸の先輩の一人と会った。石垣市内で働いていたのだが、退職後、ふるさとの竹富島が恋しくなり、石垣島と竹富島の半分半分の生活をするようになったという。今は、幼い頃から馴染んできた竹富島の海で、日々、投網をしながら魚を追う生活がとにかく楽しくて、心躍るそうだ。投網で得た魚は近所の人にわけ、野菜はご近所の人にもらったりしている。竹富の芸能、祭祀、島の活動を支え、竹富に住まう人も、島の外からくる人も、助けておられる。
 社会的にも、家庭的にも、築けるものは築き上げた後、ふるさとに戻る。こういう生活は、ある意味、全ての男の憧れではあるまいか。ふるさとを出て、外の世界で闘い、家族を築き、ふるさとに戻って、人助けをしながら、心躍らせて生きる。本当は皆、そのように暮らしたいのではあるまいか。何より、自らの食べるものを自らでしつらえる生活こそが、最も強い。竹富島で、老後というには、あまりにも、つややかで、豊かに生きておられる姿を見ながら、ダーチャのことを、思った。ロシアの、ダーチャ。

 ソ連崩壊後、ロシアの人たちが飢えることなく生活を建てていけたのは、ダーチャのおかげである、という話は、よく聞いていた。結構有名な話であるから、ご存知かと思う。ロシアでは多くの国民がダーチャと呼ばれる家庭菜園を持っているらしい。平日は都市の共同住宅に住んでいるが、週末には、住んでいるところからほど近いダーチャに向かい、じゃがいもや野菜を育てる。ダーチャで活動する人たちをダーチュニクと呼ぶ。一国の政治制度の完全な崩壊と再生、という、よその国で起こったら、多くの国民が食うに困るような状況の中、ダーチュニクたちは、ほぼ自給自足できたから、ソ連が崩壊した時も、食べることには困らなかった、というのである。
 つまりは、ソ連末期やロシア共和国の初期、給与の支払いもままならず、日々の金銭を使っての食料調達が難しくなった時も、自給自足、という手段で乗り越えた、ということらしい。同じようなことがアメリカ合衆国で起こったとしたら、どれほどの飢餓が発生したか、と言われている。
 考えればわかる。国の制度が崩壊するということは、再生されるまでは経済システムは以前と同じようには機能しないのである。グローバリゼーションの恩恵、ということで、自分で作るよりもよその国から買った方が安いから、と言ってなんでも買う、カロリーベースの食料自給率が30%代の国で暮らしていると、また、なんでも近所のコンビニで買えるから、と、安穏として暮らしていると、「何か」あって、物流が機能しなくなれば、飢えるのである。
 食料自給率とは、国内で供給された食料に対する国内生産の割合を示している。この国内生産に、例えば、ダーチャで作られたじゃがいもや野菜は、計上されまい。こういう家庭菜園での生産消費は、経済指標には、のらないのだ。そもそも現在のロシアは穀物、じゃがいもなどは95%以上の自給率が目標にされているようで、経済指標に計上されているだけでも十分な自給率がありそうだが、そういうことに関わりなく、皆さん、野菜やいもは、自分で作っているのだ。
 ピョートル一世の時代から、家臣向けのダーチャは存在していたようだが、現在のように、「普通の人でも持てるダーチャ」つまりは、大衆的ダーチャができたのは、1930年代のスターリンの時代であったらしい。よく知られているように、スターリンは農業を集団化する(ウクライナではこの農業集団化によって1932~3年にホロドモールという大変な大飢饉が起こっている。)のだが、そこで土地を強制的に奪われてしまった農民たちが、自分達の食糧だけは作ることができる土地を要求し、それを獲得したのが現在のダーチャの始まりであるという。ソ連時代には、工場労働者たちが、農民に倣って、「自分達の食糧だけは作る土地」を要求し、土地用益権が認められていき、ダーチャが広がる。
 結果として、現代も、多くのロシアの都市労働者たちは、週末にはダーチャに出かけていき、野菜やいもを作ることを楽しんでいるといい、コロナ禍でも、ダーチャに出かけることは「不要不急」ではない活動とみなされていたという。ソ連もロシアも行ったことがないが、こういうことが個人レベルでできている人たちは、本当の意味で、強かろう。どのような経済的変化、政治的変化があっても、少なくとも自分達の食べる分は、自分達でなんとか、できる。
 第二次世界大戦中や戦後、日本人も本当に食うに困っていた。その記憶がある人たちもそろそろ全て他界してしまいそうだ。彼らのうち、少なからぬ人数は、自分の食べるものくらい自分で作っておいた方が良いのだな、と思ったのではなかろうか。今度平和になったら、細々とでも、自分の食べるものくらい、自分で作っておこうと。しかし、戦後のめくるめくような経済発展の中、多くの人は都市に吸い寄せられてゆき、自分で食料を作ることは考えなくなった。それでも少し前まで、多くの日本人は「いなか」を持っていて、コメやら野菜やら「いなか」から送ってもらっていたと思うが、そういう時代も終わりつつある。
 この国では、経済指標として上がってくる食料自給率も低いが、個人のレベルでのダーチャのような活動も、ないことはないが、低調である。農地自体は、結構、余っている。それこそ「いなか」に行くと、土地自体はあるのが、わかる。世界が思いもかけぬ方向に急速に変わっていく今、細々とでも、自分の食べるものは、自分で、少しなりとも作る方向にシフトした方が良いのではないか、食べるものを自らの力でしつらえることを考えた方が良いのではないのか、と、竹富島の先輩に会って、あらためて考える。遅いよ、そんな、と言われそうであるが、そちらにシフトしておくことが、リスク対応、というものではないのだろうか。やっぱり。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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