おせっかい宣言おせっかい宣言

第107回

自分の機嫌は・・・

2023.07.28更新


 ふと気づくと、"シングルマザー"はたくさんいるのに、"お妾さん"、は、いなくなった。シングルマザーとお妾さんは、もちろんちがう。シングルマザーは、結婚していたけど離婚したり、あるいは、結婚することなく、一人で子どもを育てている母親のことである。シングルマザーは、子どもの父親たる人から財政的にまとまった支援は受けていないことが多い。離婚したりした場合で、子どもが母親と一緒にいる場合の多くでは父親が養育費を払うことになっているケースも少なくないものの、払っている父親もいるが、払ってない父親もいる。払っていても大した額を払っていない(払えない)人も多いようだ。そのあたり、周囲の話を聞いているだけでも結構いろいろある。海外では、養育費を払わない父親は実刑、という国も少なくないが、払っていない人もいる、というのは、日本はそれほど厳しくない、というあらわれでもあろうか。

 男女共同参画社会を目指している今、決して、シングルマザーのイメージは悪いものではない。シングルマザーの多くは、男に頼らないで母が一人でがんばって子どもを育てているわけである。"女性の経済的自立"を示してもいるわけだから、結婚する前から「私はシングルマザーで子どもを産んで育てます」とおっしゃる方もあるくらいで、つまりは、そのように、未来の展望として語って特に問題がないほどなのである。現実には、まだ元気でいる実家の両親に助けてもらいながら子どもを育てるシングルマザーも多くて、以前この連載でも取り上げたことであるが、とりわけ地方では、そういうケース(つまりは、老親に離婚した娘、その子ども、という組み合わせ)が多くなっていてこれは新しい母系性社会ではないか、とか、書いたこともある。いまやシングルマザーであることは、経済的にはきびしいだろうけれども、社会的な体裁はそうは悪くなくなってきていて、よくある話、になっているのだ。もちろんそれは悪いことではない。いわゆる社会的支援もおのずと増えていくであろう、というか、そうなってもらいたいものだ。一人でやっていくことは、財政的には本当に大変なことなのだから。

 お妾さんはシングルマザーともちろん異なり、21世紀が始まって20年以上過ぎた今は使われることのない、ほとんど死語、である。シングルマザーは一人でがんばる、という、女性の自立が前提だが、お妾さんは、男性に「囲われる」のであるから、誰かを頼みに生きていくのが前提であり、そこですでに、現在の男女共同参画社会のありように適合していない。一夫一婦制のエトスは、ここにきて、いや増強しており、婚外恋愛への眼差しは厳しく、不倫、という名の元に、社会的認知は、もちろん、されない。明治の一時期、法的にも妾、が家族の一員として認められていたころがあった。表札に妾の名前まであるうちがあった、とは伝え聞くところである。甲斐性のある男はそのころ、何人かの女性の面倒を見ていたわけだ。法的に認められなくなっても、しばらくは妾という存在は社会的には認知されていたから、近所でもあの人はお妾さんね、と言われながらも、普通にお付き合いは行われていたし、堂々と子どもを産んでもいた。

 2023年現在60代の私には、タバコ屋をやっていたお妾さんの記憶もあるし、お妾さんの息子、という親しい同級生の存在もよく覚えている。禁煙運動華やかなる現在、さらに、コンビニの津々浦々に普及した現在、タバコはタバコ屋ではなくコンビニで買うようになっているが、少し前までどの街角にもタバコ屋というものがあり、タバコはタバコ屋で買うものであり、子どものおつかいの代表格は「お父さんにタバコを買う」ことであり、お妾さんでタバコ屋をやっている人が少なからずいた。旦那様(こちらも死語、あるいはポリティカリーに正しくない言い方)に財政的支援をもらってはいても、自分でそれなりの収入もある方が良いわけだし、なにより、毎日何かやることがある、というのはよいことだから、妾にタバコ屋をもたせた旦那、は少なからずいたのだ。

 坂口安吾が1947年に発表した「青鬼の褌を洗う女」という短編小説があって、こちら、金持ちの妾になるようにそだてられた妾の娘、が主人公である。娘はりっぱな「オメカケ性の女」に育ち、妻とか女房とか、気持ち悪い、なんでひとのためにご飯作ったり、洗濯したりするのか、ご飯はレストランに行けばいいし、洗濯はクリーニング屋にいけばいいし、文化や文明ってそのためのものだ、って、坂口安吾は書くのである。今もオメカケ性の女はいくらでもいると思うのだが、一夫一婦制が浸透し男女共同参画社会で女性の経済的自立が何より推奨される時代、ご飯はレストラン、洗濯はクリーニング屋、ひたすら旦那様の女で色っぽくあり続けようとするオメカケ性の女の居場所など、どこにあるのだろうか。

 お妾さんが普通に存在していた時代、彼女たちの、いつも旦那様を待つ苦労、というのも、想像にあまりあることでは、ある。妾になる、ということは、自分が、一番親密な関係を持つ男の、最も優先事項の高い女ではない、ということを常にわきまえることである。妻、というのはステイタスであって、その男の家族と親戚とつきあい先祖やら子孫やら、家という名前で存在していたものを守っていく役割のある人であり、どう考えても、旦那様のファースト・レディなのである。妾は、このセックスレスの現代、考えにくいかもしれないが、要するに、旦那様にとってずっと「性愛の対象」であり続けること(だけ)が期待されている存在で、ふだんは妻の元にいる旦那様が自分のところに気を向けてくれるのを待つ存在でもある。そういう状況にハラを据えて身を置くのもなかなか大変なことであったにちがいない。

 2023年現在NHKの朝ドラは、実在の植物学者、牧野富太郎をモデルにしたものだが、主人公の妻となる寿恵子の母は武士の妾である、という設定だ。人気芸者だったが、武士の「旦那様」の妾になったのである。「旦那様に尽くしきって、後悔はない」と達観して幸せそうな母親は、娘の寿恵子にも幸せになってもらいたい、と思っている。主人公、万太郎が訪ねてこなくなって待ち疲れたり、政府の要人に妾として求められたりして、心が揺れて、いわば、"落ち込んでいる"寿恵子に、妾だった母は、「奥の手を教えてあげる」といって、「自分の機嫌は自分で取ること」、を伝えるのだ。男の人のためにあんたがいるんじゃない、あんたはあんた自身のためにここにいるんだから、自分の機嫌は自分で取りなさい、というのである。そして、「幸せの数だけ数えてのんきに暮らす」、そうしないと自分がみじめになるから、とも言っていた。まことに自らが自らのパートナーたる人にとって、「優先される人」ではないことをいさぎよく受け入れた上での、人生訓なのであった。

 一夫一婦制がどれほど強固なものになろうとも、その制度から外れる男と女の関係は常にあるのであり、それがシングルマザーだったりお妾さんだったり、時代と共に変わっていくだけだ。性の多様性が叫ばれる今日でも、それは少しも変わるまい。一対一の対幻想を、自らのうちでまっとうするために、自分の機嫌は自分で取る、という妾を生き抜いた人の言葉に励まされていく人は、実は永遠に存在するにちがいない。はい、きょうも、自分の機嫌は自分で取り、ほがらかに過ごしていきたいものだ。パートナーがいてもいなくても。一人でいても、家族でいても。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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