おせっかい宣言おせっかい宣言

第103回

手仕事と伝統工芸

2023.03.29更新

 きものをほぼ毎日、少なくとも「仕事」の時はずっと着るようになってから2023年の今年で、20年が経つ。着るようになって、といっても、ただ着ているだけであり、祖母の代がごく日常的におこなっていたきものの手入れである「洗い張り」とか、母の時代は誰でもできた浴衣をはじめとする簡単な和裁、とか、そういうことはやっていないままに、うかうかと60代を迎えてしまった。迎えてしまったものは仕方がない。着ることと着た後のその日の手入れくらいしかできません、といっても、いまや、私の世代では、きものを着ることも、手入れも、たたむこともやったことがありません、という方が多いのは、団塊の世代以降、きものがあまりにも日常生活とは関係のないものになってきてしまったからである。

 日常生活とは関係がないとはいえ、でも、「きもの」に関わること、手作りのこと、手作業のあれこれ、について憧れを持っている人は少なくないことはいつも感じている。きものを着て出かけるのは私の日常であるが、若い人にも、同世代にも、私より上の世代にも、きものを着ているとかならず、「いいですね、私も着たいです」と言われる。みんな、ほんとうは着たいのである。勤め先の女子大の元ゼミ生で、草木染めと織りを学び、腕のよい織り手となって作家になった方がおられるのだが、彼女が染め織りを仕事にしている、というと少なからぬ数の同級生や友人たち、あるいはわたしたちのように上の世代も、「いいですね、機織り、わたしもやりたいです」と言われるようだ。みんなほんとうは、着たいし、織りたいし、作りたい。でも実際には着ないし、織れないし、作れない。

 そう思っている人は少なくないのに、実際には着る人は少ないから、きものに関わる伝統工芸、伝統技能に従事している方は、どんどん少なくなる。需要がないのだから、作る人が減っていくのは当然なのであろう。20年前にきものを着始めてからだけでも、大切に思っているお店がどんどんなくなっていった。草履は、銀座や赤坂に店があった「小松屋」さんのものしか履いていなかった。草履もぜいたくをしようと思えばきりがないのだが、皇室御用達で、京都の芸妓さんたちも愛用しておられるという小松屋の草履は2万円台で買うことができ(2万円台は安くはないが、上等なパンプスなどを買うことを思えば許容範囲と思われた)本当に歩きやすくてファンだったのだが、何年か前に突然閉店し、きものファンに衝撃が走った。腰紐や小物も、銀座の、「くのや」さんのものが本当に使いやすかったのだが、こちらも閉店した。まだ、以前買っていたものを使っているものの、今後、どこで腰紐買えば良いのだろう。独特の使いやすいものであったのに。そんなこんなで、どんどん店はなくなるし、店がなくなるということは、卸す人も作る人もさらに減っていくのであろうと思われる。

 でも再度書くけれど、潜在的にきものを着たい人は多い。染めたり、織ったり、手仕事したい、という人たちも潜在的に多い。この「潜在的に多い」をなんとかして生かせないものだろうか。いまもパッチワークとか、編み物とか、手芸とか、好きな人は好きでせっせとやっておられるのだが、「必要なこと」としての手仕事は、底を払ってしまった。ユニクロと共に生きている現代の私共には想像もできなくなってしまったが、現在60代である私の母の世代、つまりは80代半ばの年齢の方々の世代まで、手作りしなければ衣服は確保できなかった。子どもの洋服は、母親がミシンを使って縫い、冬のセーターもまた母親が編んでいた。大量消費時代の前に生きていた方々にとって、「既製服」とか、「誰かに作ってもらった服」というのはたいそうなぜいたく品であったのだ。どの家にも電動ではない足踏み式のミシンがあり、多くの家に「編み機」もあった。戦後の女性たちのこの熱心な洋裁作業は、必要に迫られてもいたし、また、その前の世代が和裁世代であったため、針を持って縫ったり、家族の衣服を作ったり整えたりすることを、当然のこととしてみていたため、和装が洋装に変わっていった時点で、作るものがきものから洋服に変わっていったにすぎないのだ。つまりは糸を績んだり、その糸を機にかけて織ったり、そうして出来上がった反物をきものにしたり、縫い直したり・・・というもう一つ先の世代の手作業の精神を少なくとも私の母の世代までは洋裁という形で引き継いでいた。

 先の世代の女性たちは自由がなくて、抑圧されていて、好きなようには生きられなくて・・・それとくらべて、今はずいぶん良い時代になった、とおおよその人が思っていると思う。確かにその通りであって家の仕事も多く、家庭内の関係性もいまよりずっと厳しいものであった先の世代の女性たちは、黙々と手仕事を重ねることで、それらのつらさを紛らわせていた、という話を聞くことは少なくなかった。いや、その手仕事自体が、重労働であった、ともいえるのだが、黙々と手仕事をしてなにかをつくりあげる、という単調かつ創造的で集中した作業自体の裏には、なんともいえない心の平安があることを、手仕事をする女たちはみんな知っていた。編み物でも縫い物でもなんでもいいから手仕事をやってみると、その意味は、すぐ、わかる。

 おそらく、「私も機織りがしたいです」と多くの女性たちがいうとき、おそらく、その単調で創造的な手仕事の裏にはりついている心の平安と、達成感と、その時の集中の心地よさが、世代を越えた記憶として残っているからにちがいない。そうであれば、死ぬまでには、一度は、やったらいいのではないだろうか。きものに関わる(きものでなくてもよいのだが)伝統工芸は、きものを着る人がいないから、どんどんなくなっていくし、廃れていく。需要がないのだから、若い人が伝統工芸に従事しようとしても、それで食べていくのは限りなく難しい。先述の、草木染め織りの作家になった若い友人もそれだけで食べていくのは難しく、給与の保証された定職についている夫の存在がとてもありがたいのだという。糸績みとか、染色とか、機織りとか・・・そういう伝統工芸を若い人に継承しようとするのは限りなく難しい・・のであれば、それでは、伝統工芸継承は、60代をすぎて、給与仕事を定年退職して年金生活になってから、やる、ということを考えてはどうだろうか。

 伝統工芸の担い手の皆様は、目も悪くなってくる60代以降に教えるのは、教え甲斐がないと思われるかもしれないが、いまどきの60代がまことに元気で活力もあり、やる気もあるのは、みんなよくわかってきている。昔の60代とは違うし、教育レベルも高いし、十分に働ける。社会的にも家庭的にも余裕ができて、年金プラスアルファくらいのお金で、やりがいのあることをやりたい、好きなことをいまこそやりたい、と思っている定年後の方々に伝統工芸の継承をやってもらったらどうか。もちろんこういうことは一朝一夕にはできません、というのはよくわかっている。この道、数十年、という技能継承も多いとも思うが、数年集中してやれば、なんとかなるようなことも、少なくない。人間国宝を目指すのではなければ、そこそこのレベルで仕事ができるものもあると思う。60代で始めてもらっても、元気なら20年はその技能を追ってもらえる。そしてまた、つぎの60代に継承したら良いのではないか。定年退職後、年金をもらいながら、生活を質素にし、月にあと数万稼ぎたい、というような世代が、伝統工芸継承に踏み出す道をさがせないだろうか、と、きものを着ながら、つらつらと考えていたりするのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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