おせっかい宣言おせっかい宣言

第73回

知らなかった力

2020.09.21更新

 参加型授業、という時に、思い出す話がある。教育学者の故 林竹二さんが、演出家であった竹内敏晴さんを相手に話をされていたのだったと思う[1]。林さんはある時、教員研修の一環として小学校で模擬授業をする。その時も、できるだけ生徒が参加するような「参加型授業」を、という教員研修だったらしいが、林さんはずっと小学生相手に話し続けた。別に生徒に議論をさせたわけでも、小グループに分けて話をさせたわけでもない。ただ、林さんが一方的に生徒に話していた(ように見えた)らしく、その授業が終わった後、他の教員から、一体。今のどこが参加型授業であったのか、という質問があったらしい。
 その質問に林さんが答えておられた内容を忘れることができない。彼は、この国では、小学生といえど、ここまで生きてくる中で"鎧"を身につけている。"鎧"をつけないと、生きていくことが難しいのだ。生きていく上で、何らかの自分を守るための"鎧"を身につけている。その"鎧"をつけたままでお互いに議論をさせても、その人の言葉は出てくることがない。"鎧"に妨げられているからである。だから、自分は、子どもたちが"鎧"をおろすようなきっかけになる話をしたいと思った・・・。そんなふうに語っておられたのだ。
 大学でも、参加型授業、ということがよく言われるのだけれど、ただ、学生に議論させたり、テーマを与えて、話し合いさせたりするだけで参加型授業と言えるのだろうか。林さんは"鎧"という言い方をしているけれど、なんというか、心が耕されていない状態、というか、ここで何を言ってもいい、という雰囲気がないと、また、ここでは何を言っても安全だ、という思いがないと、その人の本当の言葉は出てこないものだ。そして日本で生きていると簡単に心を閉ざしたり"鎧"をつけてしまったりしがちで、そのままで話し合いをしたとしても、というか、要するに参加型授業をしたりしても、文字通り、形だけのものになってしまって、自らの言葉、どうしても語りたい言葉同士の行き交う、豊かな学びの時間にはならないのではないだろうか。
 「被抑圧者の教育学」[2]という、開発教育や、参加型教育のバイブルとも言えるような本を書いたブラジルの教育学者のパウロ・フレイレは、ブラジル北東部の出身である。彼の出身地にほど近いブラジル北東部に約10年住んで、フレイレという人はブラジル北東部の人々のお互いの関わり方やコミュニケーションの取り方をこそ、言葉にしたのだ、と思うことがよくあった。ブラジルの人たちは、ワークショップなどの場で、本当に率直で、すぐに"鎧"を下ろして、自らの言葉で話すことができるのだった。私は産科病院の出産ケアの改善に関わる日本の国際協力プロジェクトで働いていて、勤務先の病院で様々な職員が参加するワークショップを企画することもあった。そういったワークショップの冒頭で、アイスブレーキングを兼ねた自己紹介をしてもらうと、例えば、派遣されている側の日本人専門家は「私は日本から来ました、私は看護婦です、私はここから30分くらいのところに住んでいます」など、日本人なら誰でも自己紹介で言いそうなことを言うのだが、ブラジルの人たちはそうではない。単なる自己紹介でも、すっと"鎧"を下ろせるのだった。門番をしている病院職員の中年男性は自己紹介として自分の年齢を言った後、「私は恋をしています」と話し始めるのだ。自らの内面を語ることがこんなに気負わずにできるからこそ、参加型ワークショップが成り立ち、みのりある議論ができるのだ、と私はしみじみと思った。フレイレは、そのようなあり方をこそ、参加型教育、と呼んだのに違いない。
 ブラジルでそういった"鎧"をおろした人たちのダイナミクスを見てきたから、日本に帰って大学で教えるようになっても、本来の参加型教育、と言うものは、その場にいる人たちが自分の"鎧"を下ろすことができる場でこそ行うことができるもの、と意識してきた。ある程度少人数の、例えばゼミナールのような場では、そう言う雰囲気を作ることができる。ここは"鎧"を下ろして、自らの言葉で語って良い場所である、と言うことがわかれば、本来の意味での活発な議論もできるし、学びを深めていくこともできる。
 しかし、日本における、いわゆる"講義"では、具体的に言うと数十人以上が参加している授業では、そう簡単に参加型手法は使えないのではないか、と思っていたところに、冒頭の林竹二さんの言葉にふれたのだ。大学の講義では、私は、ほぼ一方的に私が話をする。しかし、それは学生たちの参加を拒んでいるのではなく、学生たちにまず"鎧"を下ろしてもらいたいから、そのきっかけになるような話をしたい、と努める。彼女たち(私が教えているのは女子大だから)がそれまでの人生で身につけてきた"鎧"は、先入観という形で張り付いているかもしれず、また、固定観念、といったふうに彼女たちを縛っているかもしれない。そういうものは、下ろしても良いのだ、下ろすことによってこそ、自らの心が耕され、生き生きとした学びに向かうことができる、と、私の話を聞いて、感じて欲しい。そういうきっかけになるような授業をしたい、と願っているのである。学生の参加は歓迎する、といってある。質問があればいつでもして欲しいし、私の話を止めてもいい、といっている。ほぼ、講義時間中は、私が話し続けている。林竹二さんの言葉を胸に。
 そうやって、毎回、学生たちの"鎧"を下ろすきっかけになる授業をしたい、と思いながら講義を続けてきた。学生たちは、私の目の前にいたから、彼女たちが私の話を聞いていささかでも"鎧"を下ろせたかどうか、ほんの少しでも彼女たちの心を耕せたかどうか、それは、それこそ、彼女たちの表情と醸し出す空気で感じることができた。お互いに議論しなくても、そこには確実なインタラクションがあり、反応があり、共有する場があり、ありていに言えば、手応えがあったのである。
 大学の講義をオンラインに移行して、当初はその手応えを感じることが難しかった。当たり前であろう。学生が見えていないのだから。パソコンの前で、パワーポイントの資料を画面共有しながら話しているので、学生たちの姿は見えないのである。学生たちと私は、場と同じ空気を共有できていない。物理的な距離が離れているのだから。新型コロナ・パンデミックで、場を共有して大人数の講義をすることはできなくなったのだから。
 しかし、人間というのは不思議なものだ。何ヶ月かの講義をやった後では、私は、画面の向こうの学生たちの雰囲気が、なんとなく感じられるようになってきた。対面で見えていないが、自分の話が彼女たちの心に届いたかどうか、はなんとなくわかるようになってきた。学生のコメントシートを読むと、自分が感じていることが私だけの思い込みでないこともわかってうれしい。場は共有できなくても、同じ時間を共有していると、このようなインタラクションが出来上がっていくのだな、と、不思議だけれど、思うのだ。そんないい加減なことを言うな、と言われそうではあるが、何かが制限されたら、別の能力が開発されるのは、人間が今まで生き延びるためにずっとやってきたことであろう。いつまで続くのかわからないけれど、オンライン授業のクオリティーを上げていくこともできるのだ、と言う実感が伴い始めたことに密かな喜びも感じ始めている。


[1] 林竹二、竹内敏晴 「からだ=魂のドラマ―「生きる力」がめざめるために」藤原書店、2003年。
[2] パウロ・フレイレ著 三砂ちづる 訳「被抑圧者の教育学 50周年記念版」亜紀書房、2018年。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

この記事のバックナンバー

02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ