おせっかい宣言おせっかい宣言

第59回

クローゼット

2019.06.06更新

 出張、旅行など、家の外で泊まることが少なくない方も、いまどき結構おいでになると思う。みなさま、ホテルに泊まるとき、荷物はどうなさるのでしょうか。たとえば一泊だけホテルに泊まり、明日の朝、出かける、というとき、どうせ明日の朝出かけるのだから荷物はスーツケースとかかばんにいれっぱなしにして、そこから、いるものをとって使い、次の朝しまって、出かける、という方も少なくないようだ、と最近思うので、ホテルにチェックインしてからの私のルーティン、とか、まったく、どうでもいいことのようだけど、ちょっと書いてみる。

 ホテルにチェックインして部屋に入ると、まず、スーツケースとか、ハンドバッグとか、持っている荷物の中身を全部あける。それらをぜんぶ、ホテルの部屋の引き出しとか、クローゼットとか、にしまっていく。ホテルの部屋の引き出しには、開けてみると色々なものが入っている。机の浅い引き出しには、ホテルの使用説明書とかLANケーブルとか宅急便申込書とか。あと、深い方の引き出しには、寝巻きとかクリーニング用のビニール袋とか。

 と書いてみて、日本のホテルとか旅館には、まだぜったいなんらかの「寝るときに着るもの」、が用意してあるな、と思う。海外には、まず、ない。こういうプライベートな身につけるものを海外のホテルは部屋に常備していない。いかにも日本の旅館から始まった習慣なのかな、と思う。この、ホテルに置いてある「寝るときに着るもの」は、以前は、って、要するに昭和くらいの時代には、これらはほとんどすべて、和風の「寝巻き」であった・・・。うーむ、令和になって、急に、「昭和の頃は」、「昭和の時代は」って言い始めたような気がする。これはほんとうによくないな。自分が昔の人ですって証言しているようなものである。しかし、令和元年をちょうど六十歳で迎えた私くらいの年齢には、自分が生まれてからの昭和と平成がものすごくわかりやすくて、だいたい30歳くらいで昭和が終わり、そのあとだいたい30年くらい経って平成が終わったので、今までの人生のちょうど半分のところが平成だったから、すごくすっきり説明できるのである。いや、そんなことはこれを読んでくださっている他の年代の方にはどうでも良いことだ。しかし、平成の時代がだいたい30年くらいで終わった、というのはだれにとってもなんとなく把握しやすい感じになっているのではないか、と想像する。

 ともかく、昭和の頃、あるいは平成のはじまるころ、日本のホテルにおいてあったのはほぼ全ていわゆる和式の「寝巻き」であった。ぱりっとのりがきいて、アイロンがかけてある寝巻きをまとうのはいかにも「よそで泊まっている」という感覚を体に覚え込ませるような感じがあったことを覚えている。寝巻きは、和服の延長だから、少々背が低かろうが高かろうが、太っていようが痩せていようがからだに適当にまきつけておけばさまになるので、誰が泊まってもこれでいいんだな、と思っていた。現在は、どこのホテルに泊まってもだいたい寝巻きではなくなり、ゆったりしたパジャマの長めの上着のようなものがおいてあるようになった。寝間着を着て寝ると思い切り前がはだけたりするので、こちらのほうが評判が良いのかな、と思う。生地も寝巻きのような、木綿にノリをつけてパリッとさせてアイロン、みたいなものではなく、化繊のなんとなく肌になじむてろんとしたものになっている。でもなんとなく、「だらしない」感じがするのはいなめないな、とおもう。別にホテルの部屋でだらしなくしていてもいいのであるが、時折ホテル側の禁を破って(だいたいどのホテルもこの部屋着でドアの外に出ることを禁じているので)、このパジャマ様のものをきてエレベーターに乗っているおじさんとかに出会うと、目の置き所がなくなる。「寝巻き」だとなんとなくスルーできたのだが。

 それはともかく。ホテルにチェックインしたら、ホテルの引き出しに入っている、すべての寝間着とクリーニングの袋を含む全てのものはとりだして、目立たないところに置く。ホテルに入ったら机の上に置いてある、ご挨拶の紙とか、おみやげの説明とか観光案内なども、全て目立たないところにおく。だいたいがテレビの裏とか、カーテンの陰とか、たくさん引き出しがあったら、一番下の引き出しにまとめるとか。私が使った後のお掃除の人がこれらホテルの備品を探し回って困ったりすることのないように、だいたい想定内のところにしまう。机の上や見えるところになにもなくなったら、おもむろに自分の荷物を、引き出しやらクローゼットやらにしまう。

 ハンドバッグの中身は、とにかく全部出して、机の浅い引き出しにしまう。はいりきらないものは、机の上に並べる。スーツケースの中身も全部出す。服はクローゼットにかけるか、引き出しに入れ、化粧品とかバス用品はバスルームに運び、スーツケースとハンドバッグは、からにして、おくべきところに置く。ホテルの部屋にはいってこれだけのことをするのに約5分くらいだろうか。これだけやると、ほっとして、ホテルの部屋が自分の部屋、という感覚になる。

 ホテルでも荷物を整理して、ワタシ、エライでしょう、みたいに気取っているふうにとられると、たいへんこまるのだが、わたしはこうしないと、落ち着いて眠れないのである。家の自分のベッドではないところに眠る時は、どうすれば自分の寝る空間を自分のものにできるか、ということがわたしにとっては大事で、こうやって、荷物を全部出して、しかるべきところにしまうと、なんとなく安心できるのだ。自分のものが部屋のあちこちに配置されると、部屋がなんとなく馴染んできて、部屋に対して、今夜は、よろしくね! という感じになるのである(おすすめします。)もちろん夜に着いて、次の朝にはすぐ出ていかねばならないこともあるけれど、そういうときでも、かならず荷物は全て一度出し、また、パッキングする。だいたい、パッキングは、一度出したものをまた詰め替える方が、あれとこれと出した後に、またそれらをしまう、みたいなやりかたよりも結局は手早くパッキングできたりするように思う。何か、いれ忘れてしまわないか、という危惧もあると思うが、だいたい、いれているところは引き出しかクローゼットかバスルームしかないので、別に忘れない。

 こうやって荷物を出してみると、いわゆる「上等」の宿には収納場所が実に豊富であったことにあらためて気づく。昨年息子たちが還暦祝いということで、憧れのアマン・リゾートに連れて行ってくれて、世界で最も幸せな母親にしてもらったのだが、ここの収納がすごかった。長期滞在の方が多いからだろうけれども、とにかく、服の片付けがやりやすい。オープン・クローゼットに山のようなハンガーが用意されている。いつもホテルのハンガーがちょっと足りないなあ、というあの感じ、それを全く感じさせない。お家じゃないから、「収納」でなくて、オープン・クローゼットに引き出し、は、実に使いやすい。スーツケースを置く場所も完璧で、まあ、こういうところ以外にもアマンの素晴らしいところは数えきれないのであるけれど、あのオープン・クローゼットを使いたいから、死ぬ前に、なんとかお金貯めてもう一度アマンに行きたいなあ、と思うようになってしまい、世に言うアマン・ジャンキーとなるのであろうか。

 まあ、こんなところに泊まれることは滅多にないわけで、普段は、普通のビジネスホテルやシティホテルに泊まっている。いわゆるビジネスホテルも最近色々な意味で居心地がよくなってきて、ベッドは大きくて眠りやすいし、仕事をするテーブルも十分広くなり、コインランドリーもコーヒーも完備されていて、クローゼットや服の置き場もそれなりにあるところが増えてきてうれしい。先日、もともとその街の伝統的なホテルであったが、某大手リゾートに買収されたホテルに泊まった。買収後、営業上の理由で大幅に部屋の模様替えがされていて、服の収納場所が皆無である。すべて、服は壁にかけるようになっていた。仕方ないのだと思うが、嵩高い洋服ダンスがどーんと部屋に置いてあった以前のホテルがひたすら懐かしかった。なんだか悲しいので、この街の常宿はかえようかな、と思っている。たかが、クローゼット、されどクローゼット、なのであった。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。1981年、京都薬科大学卒業。1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。著書に『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『少女のための性の話』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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