おせっかい宣言おせっかい宣言

第136回

士族没落

2025.12.16更新

 2025年下半期のNHKの朝ドラはラフカディオ・ハーンとその妻を題材にした松江の物語である。NHKの朝ドラ。この連載で、この話題で文章を書くことが多いが、私はよっぽどNHK朝ドラが好きなのか。というか、みているドラマが朝ドラだけ、という状態なのである。東京で働いている頃から、あまりテレビを見る習慣はなく、朝、NHKを時計がわりにつけていて6時台からのニュース、7時台からのニュース、それに続けての朝ドラを自然に見ているのである。おもしろくないものもあったが、けっこうおもしろいものも続き、それなりの時代考証の中に、歴史を見る目や女性を見る目などを感じられてなかなか興味深い。

 このドラマではラフカディオ・ハーンは、レフカダ・ヘブン、妻は、とき、という名前になっている。ときは松江の没落士族の娘である。その産みの母タエは、ドラマ上で松江の名家、岩清水家の女性で、明治維新後、絵に描いたような没落士族の女として、物乞いをするようになるのである。

 明治政府樹立後、新政府側に協力する藩と、そうでない藩で、もちろん命運は別れた。松江は途中からは新政府側に恭順の意思を示したようだが、徳川の親藩とみなされていたため、負けた側、ととらえられ、新政府での登用はあまり期待できなかった。タエのように物乞いまでしなければならなかった士族は全く珍しくなかったようである。時代が変わる、ということの過酷さを考える。明治維新は革命ではない、と言われる向きもあるものの、実際に存在していた階級がなくなり、新しい秩序のものと、すべてが作り替えられていった、という意味で、これはとんでもない社会変革である。

 現在の私たちを考えてみると良い。働かざる者食うべからず。これはもう、徹底しているのではないか。食べようと思えば、生活しようとすれば、働かなければならない。労働こそが尊い。働かないなんてとんでもない。社会に役に立たない人でなし。どうしようもない・・・と言われる。言われるだけでなく、本人たちも何とかして働きたい、生きていくことは働くことであり、労働こそが社会参加の道である、と信じて疑わない。

 しかしほんの少し前(人類の歴史から見れば100年なんて一瞬である)、働かないことを誇りにした階級が存在していて、その階級が一番偉かった、なんて、信じられるだろうか。実際に士族というのはそういうもので、礼節と武芸をひたすらたしなみ、人を使い、働くことをしなかった。冒頭のタエさんも、もちろん働く術を知らない、ということもあるのだが、そもそも働くことがはしたない、家の名を汚す、と信じているので、働くくらいなら物乞いになる、と物乞いになった・・・というそのエトス自体が信じられない。

 近代がもたらしたものはたくさんあるわけだが、この「働かざる者食うべからず」のエトスは、人間はすべて平等である、の裏返しとして、100年経ってみたら、勤勉な日本人の基礎的な行動倫理となった。武士階級、という、普段は何もやっておらず、人間の衣食住に関わる生活の根本に関わるような生産活動には従事せず、いざ、というときには、命を差し出して闘うことを求められた階級が存在したことが、信じがたいではないか。そんな人間たちが威厳を持って存在し、周囲から敬意を持って扱われるためには、長い歴史の積み重ねと、生産に関わる階級の生活の安定があったはずである。生産に関わる人たちが安定していたからこそ、この生産に関わらない階級がこんなにも長く敬意を持って表され、存在することができたはずだ。この階級は世界で「軍人」とその家族として形をかえていくが、現在の軍人(日本国憲法の元では自衛隊員)とその家族は武士階級ほどには敬意を表されては存在してはいない。

「ばけばけ」では武士のエトスを捨てきれなくて、しかもそのことを敬意を持ち続ける(あんた働いてきなさいよ、みたいには言われない)武士一家の「おじいさん」が出てきて、この人は明治の世が進んでも、丁髷を落とさず、刀を手元に置き(のち孫娘のために売るが)、袴をはいて、子どもたちに武道を教えたり、一緒に遊んだりしていて、働いていない。家族に「いつまでも武士やっててもいいけど、人の迷惑になるような武士では、いないでよ」みたいに言われながら。

 こういう武士階級の家に属する女性もまた、美しく着飾り、茶華道を嗜み、立ち居振る舞いを美しくして、人にかしづかれて暮らした。飯の炊き方はおろか、障子やふすまを自分で開けることすら、なかったと言われる。簡単にいうと「働くことを恥と思う」人たちが一定数存在したのだ。

 人間、なにかしていかないと居心地が悪いものである。今の日本では、さらに、まことに、居心地が悪い。引きこもり、ニート、未就労者は、いろいろな言い方で言われるのだが、とにかく、「働かない人」、これだけ人手不足なのに「働く気がない人」ということで、世間の目は厳しい。しかし日本全国で引きこもり状態にある人が150万近くいると言われる現在、この人たちに働け、ということもまた、大変難しい。

 この人たちは働いていないわけだが、どうやって暮らしているのかというと、家族がなんとかして支えていて、働かないで家にいたり、ゲームをしたり、外に出なくても困らないように、まわりがその状況を作っているのである。この人たちを引きこもり状態から引っ張り出すべく、家族のそういう支援をやめてしまえばいい、という話も、いつもあるが、この人たちは家族の支援がなくなったからといって、働くために外に出て行ったりはしない人である(する人もいるかもしれない)。支えてくれる人がいなければ、この人たちは、おそらく、行くところまで行って、死んでしまうのではないのか。

 これは近代社会が一回りして、また、生産に関わらない一つの階級が出来上がった、と見る方が良いのではないか、と書きながら考える。武士階級は働かない階級だったし、そういう働かない階級は、世界のどこにでも存在した。だいたいが宗教職とか貴族とか人の上に立つ階層は、他のことをして働かなかった。その人たちは人からの敬意を集めるような権威というものを身につけることをその仕事とし、そのように振る舞っていた。

 近代社会のもたらした衣食住の豊かさと、どんな人でもどんな贅沢をしてもいい、つまりは「身の程知らず」という言葉はなくなり、お金さえ出せば、だれでも一流ホテルに泊まって贅沢できる、という世の中にあって、「働きもせず、権威ももたず、敬意も表されない」階層をいよいよ人類は生み出すことができた、とも言えるのかもしれない。

 働く人は、もちろん働くのが嫌で無理やり働かされている人もいるとは思うが、働かないと、やることがない人も多い。そのような人が増えたことについてはまた別途の考察が必要だと思うが、現代のエトスの一つに仕事を通じた自己実現、というのがあって、なんらかの仕事をすることで社会に関わり、自己充足感を得る、というパターンが愛でられているので、人は、働くことに生きがいを見出し、また働かなくなると自分の価値がないように感じたりしてしまう。そういう人たちが最も多いのだから、そういう人たちに働いてもらえばいいのではないか。そういう人たちは、働きたいから働いて、働くことで人より多くのお金をもらえて人より良い生活ができる。それでよろしい。

 一方、働きたくなくて、自分の世界にこもりたい人はそうすればいい。働く人たちが結果としてこういう人たちを支える。そしてこういう人たちは、いつか、なにかとんでもない発想を得て人類を救ってくれるかもしれぬ。あるいは、何にも、しないかもしれぬ。でもそれでもいいではないか。それが人類の発展、と思いたくなってきた。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載を元に、『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『心の鎧の下ろし方』(ミシマ社)が発売されている。

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