おせっかい宣言おせっかい宣言

第140回

うすうす

2026.04.16更新

 うすうす、気づいては、いた。まあ、一言で言えば、あまりセックスしないのかもしれない、ということ。二十年間女子大の教員をして、しかも「ヒューマン・セクソロジー」という性と生殖をコアにした通年講義を担当していたから、その手の話題が多かったのである。公衆衛生、母子保健を専門とする研究者だったから、そういう講義ももっていたのだ。卒業式をやるような大きな階段教室がほぼいっぱいになるくらい・・・具体的には多い時には400人くらいの学生が受講していたこともある。私が人気講義を担当していました、といいたいわけではない。前任者の時から、これくらいの受講生がいたこともあるし、退職後引き継いでくれた方もまた、受講生の多さに喜びつつも、びっくりされている。

 これは基本的に「性と生殖」について、多くの若い人が潜在的に興味があって、まともな形で「学んでみたい」と思っているから、受講生が多い、ということだろう。自分が具体的な性的衝動を感じていてもいなくても世の中には性と生殖に関わる情報があふれているわけだから、そしてそれは、人生にとってどうやら重要なことらしいから、学んでみよう、ということなのだ。私もいつも講義の冒頭で、いままで、なんとなく避けられていたようなことをここではまともにとりあって、学んでみよう。こういう場で性と生殖を語り、考える機会なのだから、ぜひこの学びを楽しんでほしい、といっていた。毎回違うテーマを語り、現在の性と生殖に関わる課題を選んできた。自分でもかなり力を入れて準備していた。

 授業の終わりに15分くらいコメントシートを書いて提出する時間を設けていた。各自、授業の感想を書いてもらって、それを全員、私のところまでもってきてもらう。何百人いても、やっていたが、だいたい15分くらい時間を取れば、なんとかなっていた。授業をしていた階段教室には大きな舞台があってそこからわたしは講義をして、学生たちをみているので、それぞれの学生を間近にみてから、講義を終えたかった。そうやって私の近くにコメントシートを出しにきてくれるので、ときおり、個人的な質問を受ける。先生、ちょっといいですか・・・みたいな感じで。質問は、できれば、みんなの前でしてくださいね、そのほうがみんなと情報を共有できるから、と講義の冒頭でいっていたが、そうはいっても、こういうトピックなので、どうしても個人的に話したいことが出てくるのもわかる。 

 HIV/AIDSの講義も2回くらいに分けてやっていた。新型コロナ禍もあり、エイズのことは以前ほど話題にされなくなってきた。このHIV/AIDSの課題は、文化的な影響も大きかったと思う。そもそも人類は戦後、梅毒、淋病を代表とする性感染症、つまりはセックスを介して感染する病気をほとんど化学療法で解決できるようになっていた。当時は、鼻がとれるとか、廃人になるとか、まことしやかに言われて恐れられていた梅毒が、サルバルサンの登場で、治る病気になった。その後ペニシリン系の抗生物質に取って代わられ、治療はさらに、進む。1960年代から70年代にかけてのオールタナティブ・カルチャーの時代は、性感染症を恐れずに人類がセックスできたからこそ広がった文化の時代であった。ロックやフォークやヒッピーカルチャー、ジーンズとTシャツと学生運動の時代、これらはいわゆる性の自由、婚前交渉、フリーセックスに担保されていたようなものである。性感染症がこわくないから、なんでもできたのだ。

 1980年代初頭にみつかったHIVウィルスは、その文化を根本的に変えていった。当初は同性愛男性間の病気だと言われていたこともあるがほどなく、ホモセクシュアルとヘテロセクシュアルの間に感染の差はないことがわかる。要するに、セックスを介して感染するのである。世界中で、バリアーメソッド、すなわち、精液、膣粘膜液、血液の濃厚接触で感染するから、性液と膣粘膜液が接触しないように、バリアを作るコンドームの使用が世界中で奨励されるようになった。今聞いたら、冗談みたいに聞こえるけれど、1990年代から2000年代にかけてペニスのモデルにコンドームをかぶせるみたいな実習が、まことしやかに中等教育の現場でおなわれたりしたものである(今もやっているところがあるかもしれない)。エイズ予防にはABC、Abstinence (性交渉を控える)、Be faithful(結婚相手に誠実に向き合い他の人と性交渉しない)、Condom use(それでもどうしても他の人と性交渉しなければならないような時はコンドームを使う)という、今聞いたら、ちょっと笑ってしまいそうなことが、真面目に医学学術誌で議論されたりしていたのである。それがエイズの時代だった。

 1996年、隔年で行われていた世界エイズ会議がカナダのバンクーバーで開催されていた。そこで発表された「カクテル療法」とよばれる数種類の抗ウィルス剤を併用するやり方でHIVウィルス感染からAIDS発症を抑えられることが発表される。それは画期的な発表で、そこから、エイズが死に至る病、という認識ではなくなっていき、現在に至る。それまでにジョルジュ・ドン、フレディ・マーキュリー、キース・ヘリング、アイザック・アシモフなど数多の文化人がエイズによる死を公表した。こういう人たちは、あと、数年生きていてくれたら、このカクテル療法が間に合ったことを思うと、悔しい。私も友人を亡くしている。悔しい。

 「ヒューマン・セクソロジー」の講義でHIV/AIDSの話を2回くらい続けてやった時、授業の後に学生がそばにきて、言う。「先生、それでは、体外受精したらいいですよね」。最初は言っていることがよくわからなかった。その日は、女性がHIVプラスでも医療機関にかかり、胎児への感染対策を行いながら出産することは可能である、という話をしていたのだ。学生は、HIVプラスの女性は、子どもがほしいなら、直接の精液と膣粘膜液のコンタクトを避けられる体外受精で子どもを作ったらいいじゃないか、と言ったわけである。ううむ、そうか。たしかに理論的には彼女の言うことは正しい。体外受精、という、不妊治療があることもまた、話していたから、そういうことがピンときたわけだと思うが、講義しているわたしは、そのことに気づいていないと言うか、HIVプラス女性が子どもをもつためにそうしたらいい、というふうには考えることができなかった。

 それはもちろん、そうだ。だって性行動一般は、子作りをするためにしているわけではない。性行動というのは、相手が愛おしくて、求め合うから、するのである。この人のことが大変気になり、この人と一緒になりたい、という衝動があり、体もそのように機能して、つながりあうことがうれしいし、楽しいし、満たされるし・・・。若いうちに結婚するとか夫婦になる、といかいうのは、何よりも安定した性行動のパートナー探しなのである、と思ってきた。人類は長い歴史の中で、人間の大きなエネルギーである性衝動、性行動への欲求というものが、安定的な対の関係でこそ、穏やかで安定した人間の暮らしの基本となりうることを学んでいたからである。子どもができる、というのは、その結果に過ぎない。人間だけではない。他の動物だってそうだと思う。子どもつくりたいから交尾するのではない。ある時期になれば、オスにもメスにも交尾に向かうような体の準備と衝動が生まれてきて、だから相手を探して、しかるべきタイミングに交尾する。動物には、発情期、などと言われることもあるが、そこにはまず、発情、ということがあり、そして、結果として次世代が生まれる、ということになるのであって、そこには頭で考えて、子どもつくりましょう、だから交尾しましょう、ではないのだ。そして、それはほぼ「当たり前」のことだと感じていたのだ。人間にとっても。

 だからHIVウィルスプラスであっても、この「一緒になりたい」ことこそが一番大切で、そのためにはコンドームをすることが、ウィルス感染を予防するためには、一番大切で、でもお互い知らないままで、バリアメソッド使わないで、妊娠することもある。夫婦の場合なら、感染危険があるとしてもバリアメソッドを使わないこともあるかもしれないし、だから妊娠するのだし、あるいは、HIVプラスであることがわかっていても子どもを作りたいから、バリアメソッドをつかわずにセックスすることもある・・・ううむ。そう考えていると、HIVウィルスプラスの夫婦が子どもを授かりたいと考えたなら、体外受精、というのもありなのか・・・と、質問した学生と同じ結論に至るではないか。しかし、その質問を受けた時の私は、そういうあれこれをその場で考えることはできず、そうねえ、そういうことも可能かもしれないけれど、性行動を考える時は、まずそこからは考えないよね・・・みたいな曖昧な返事をしてしまったように思う。しかし思えば学生の頭にその時あったのは「子どもがほしいだけなら、体外受精の方が、リスクが少ない」という理解だったのだ。

 その質問からほどなく、「先生、結婚して何回くらいセックスしたら子どもができますか?」と言う質問も、受けた。あのね、何というか、仲の良い男と女が一緒に住み始めるとね、顔をみるとセックスしたいな、みたいな感じになるから、そんなふうにして、いつもセックスしていると一年以内にほとんどの夫婦には子どもができる、ということになるのよ、だから、何回したら、子どもができる、とかいう感じじゃないんだよねえ・・・と言ったらなんだか片付かない顔をしていた。書きながら気づいていくのだが、この双方の質問は、性行動、つまりはセックスというものが、対の求め合いの果てに、お互いのつながりを確認する愛情の行為である、というものであるよりも、「子どもを作るメソッド」として若い女性たちにはとらえられていた、ということなのである。「ヒューマン・セクソロジー」の講義で、さすがに、性行動とは、セックスとはそのような衝動と欲望とつながりたいという思いの果てに男女(多くの場合)が行う嬉しい行為・・・という基本的な"情報"を伝えきれていなかった、ということであることに今更にして気づくのだ。妊娠とか出産とかのことを伝え続けていた(つもりだった)けれど、理解はそうなっているのだった。

 これを、うかつだった、というべきか、先入観にとらわれまいとしていたのに、わたしのほうもとらわれていた、というか・・・。21世紀になって急速に拡大してきた人工授精の波がヒタヒタと押し寄せていて、ふと気づくと、2023年にはすでに日本の出産の11〜12%が人工授精によるものなのだという。授業でも不妊についてとりあげてはいたが、あくまでもなんらかの機能的問題があって、不妊である人が対象だと思って(信じて)いた。それがだんだんふえてきて、いまやお金のかかる不妊治療は公的助成の対象であったりとか、若いカップルの権利だ、という形で議論されるようになってきている。

 もと日本産婦人科医会長であった権威ある産科医が、長いインタビューで、不妊治療にあたっていて、受診してきたあるカップルが、そもそもあまりセックスしていないらしいことがわかって愕然とした、というようなことを語っておられた。もっと性交渉しなさいよ、とか、もっと仲良くしないと子どもできないよ、とかいうのは、医者の役割ではない。医者はどこか悪いところがあるから、治療するのが仕事である。「妊娠しません」という「問題」をかかえてやってくるカップルは当然妊娠するための性行動、というものをやっていることが前提だったが、そんなこと、実証できるわけでも検査で調べることもできないから、自己申告である。不妊治療を担当する医者としては、当然、かなりセックスしたけど、子どもができないから、ここにきているのだろうと、当然思う。そして、治療にあたる。

 上記の講義での二つの質問をしてきたような学生の発想でそのまま類推すると、そしてこの学生たちが特に燃え上がるような求め合うような恋をするわけではなくて、それなりのご縁が生起して結婚にいたるとしたら、ひょっとしたら性行動を「子どもを作る方法」としてだけ認識するかもしれない。排卵日と思しき日になんどか性行動をやってみて、やっぱり妊娠しないわね、といって不妊外来に行くのかもしれない。不妊外来の方では、「治療はなるべく早い方がいい、二十代からのほうがいい」みたいなことをおっしゃるようだから、結婚して排卵日ごとにセックスしてみて子どもができなければ不妊外来・・・という発想になるであろうことは想像に難くない。

 繰り返していうが、不妊、とはそういうことを想定していなかったのではないのか。好ましく思い合っている男と女が、顔を見たら一緒になりたい、と思って実際にそのような行動に出て日々を楽しく過ごしていたら一年以内にはだいたい妊娠するから、そうでない人を不妊と呼んで「治療」に入っていったはずなのである。しかし、子どもを作る若い人たちは、「子どもを作る」こと自体を、受験とか就活などと同じように方法がある、ということで理解して、その方法としてセックスを捉えていたとしたら、不妊外来に「あまりセックスしない」カップルが来訪するのに、不思議はない。上記の権威ある産科医の先生は、こうなると、少子化対策などは打つ手がない、と述べておられた。保育所を増やそうが、補助金を増やそうが、生殖年齢にある人たちが性行動に向かわなくなる、そしてそれはとてもプライベートなことだから公的な政策が踏み込めるところではないから、打つ手がない、と言っておられたのだ。まさに、不妊外来自体、そのカップルがどのくらい性行動に向かっているかは自己申告を受け入れるだけであって、あんたたち、セックスしていないでしょ?とかいうような場ではないから、そこではそういうことは問われない。

 そしてとうとう、セックスしない夫婦が出産、という話が、現実にごく近くから聞こえてきた。何十年も親しくしている助産師さんが、きいてくださいよ、と、お話しくださった。とうとう、「わたしたちは、そういうことしないので」という仲の良さそうなご夫婦が赤ちゃん連れで産後ケアにおいでになったのだという。わたしたち、そういうことはしないんです、しない夫婦なんです、といわれて、友人は、言葉がなかった、という。これも性の多様性のグラデーションの一部で、アセクシュアル、という方もあるのだから・・・ということであろうか。確かに、そういう方たちが不妊外来にいって「治療」をすれば子どもを持つことができる。選択肢は増えたのだ。

 古来の鬼婆譚を引用して、「女性の生殖に向かうエネルギーは大変大きなもので、それが適切に使われないと、"オニババ"になりうる」とかいう本を書いて物議をかもしたこともあったのだが、二十年経って性行動自体がおとぎ話になろうとしているのかもしれず。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載を元に、『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『心の鎧の下ろし方』(ミシマ社)が発売されている。

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