おせっかい宣言おせっかい宣言

第141回

すんぼしない

2026.05.18更新

 そんな言葉聞いたことないよ、と三十歳ちょいの次男に言われた。「すんぼしない」という言葉。昨年末、クリスマスにチキンの丸焼きを作っていたときのことだ。父親がブラジル人でブラジルに八歳、十歳まで住んでいた息子たちを、離婚して日本に連れて帰った。ブラジルではクリスマスは一年で最も賑やかで華やかで家族みんなが集まるイベントだった。カトリックの国だから当然である。ちょうど日本のお正月の様に、離れている家族もみんなで集まり、子どもたちにはたくさんのプレゼントを用意してクリスマスツリーの下に置き、ご馳走をたくさん作って、キリストの生誕を祝うのである。

 ブラジルで、肉、と言えば、まず、ビーフであり、日本でもよく知られるようになった「ショハスコ」あるいは「シュラスコ」、つまりはブラジル式バーベキューは、チキンのハツとかもあるけれど、とにかくメインは、牛肉のいろいろな部位である。シュラスコであってもなくても、豚肉はあまり好まれていない。しかし、クリスマスにはレイタンとよばれる子豚を使って丸焼きを作る。ターキーやチキンの丸焼きではなく、ようするに豚の丸焼きなのである。クリスマスはそれをいただくので楽しみね、と、亡くなった義理の姉は言っていた。初めてのブラジルのクリスマスはこの義姉のサンパウロ中心部にある大きなマンションにみんなで集まったが、冷蔵庫をあけてみると、どん、と、これから丸焼きにされる子豚がはいっていた。見たことのなかった私には、これは食材ではなく死骸にしかみえなかったが、そこが文化というものだ。テーブルの上に出てくる頃には、美味しい料理になっていた。

 で、子どもたちは毎年、賑やかで楽しいクリスマスを過ごしていたから、日本に来て、クリスマスがひっそりとしているのも寂しかろう、と、日本にやってきた2000年から20年以上、毎年、クリスマスにはローストビーフとローストポーク(子豚ではない)とターキーを焼いて、同じくらいの歳の子どものいる数家族で集まって、我が家でクリスマスパーティーを催していた。日本の家族がみんな集まりご馳走をつくって祝うイベントの代表はお正月なのであって、お正月にも盛大におせち料理を作って三日間いただくので、クリスマスパーティーとお正月と両方やるのはなかなかたいへんといえばたいへんなのだが、それらはたいへんなことではなく、わたしの年末の楽しみだった。どんなに忙しくても12月24日以降は絶対働かないようにして、せっせと料理を作り、人をもてなし、子どもたちに喜んでもらおう、と思っていたのだが、一番喜んでいたのは、やっている本人だった。子どもたちも成長し、新型コロナパンデミックもあり、2024年からは私自身が一人暮らしをはじめて、盛大なクリスマスもやらなくなった。もう、思い出になりつつある。

 クリスマスはやっぱりターキーだろうと思い、長年ターキーを買っていた。東京ではちょっと高級めのスーパーなどに行くとアメリカ製の大きなターキーの冷凍を買うことができて、クリスマス前になると買いに行っていたのだが、これも新型コロナパンデミックと前後して、アメリカで鳥インフルエンザでターキーが激減した、とかの話で、入ってこなくなった。仕方がないので、大きめのチキンで丸焼きにしてみたら、家族やお客様にはこちらのほうがあっさりしっとりしていておいしい、と言われたこともあり、ターキーは二度と手に入らなくなったのもあり、それからずっとチキンである。昨年末は次男とふたりだけのクリスマスなので小ぶりのチキンを買った。我が家ではターキーとかチキンとか鶏の丸焼きをクリスマスに作る時は、お腹に詰め物をしている。餅米と赤米を適当に混ぜる。玉ねぎをいためてレーズンも入れて炒めて、米を入れてコンソメを入れてピラフみたいなのをつくっておいて、それをチキンに詰めていた。ローズマリーとか香草を使う人もいると思う。で、お腹に詰め物をしていると、チキンは丸焼きにしても、ふっくらとできあがるのだが、お腹に詰め物をしないと、丸焼きにするとぺちゃんと萎んでしまって、クリスマスのご馳走としては、見栄えがイマイチ、それは「すんぼしない」。

 チキンの丸焼きってお腹に何も詰めないと、「すんぼしなく」なるんだよね、と私が言ったので、次男がそんな言葉聞いたことないよ、と言ったのである。今どきたいていの方言はネット上に上がっていて検索可能だが、そんな言葉はでていない、という。わたしは幼い頃に母や祖母から聞いていた気がしたので、山口方言だろうと勝手に理解していた。なんだか貧相だ、とか、たよりない、とか見栄えがしない、とか、しょぼくれている感じのことである。

 九十になった母は心身ともに健在なので電話してみた。「すんぼしない?そんな言葉は知らない、使ったことない」と言われた。うーむ。こまった。わたしの幼い頃のオーセンティック言語は山口方言なのである。三歳で父の生地、兵庫県西宮に来て、関西人として暮らすのだがそれまでは山口方言で育ってきた。母が山口の人だから、マザータングは山口の言葉なのである。

 3歳までとは言え、山口で生まれ、母の言葉をずっと聞いて育ち、夏休みには毎年長く滞在していたので、山口方言はしみついていて、いまでも山口の親戚や姉のように付き合っている従姉と話す時には、山口方言丸出しになってしまう。あ〜、ひさしぶりじゃね、どうしちょったかね、病院いっちょった? そりゃあ、いけんいね、からだがえらいかね、せんないことじゃね、そうじゃろそうじゃろ、家を留守にしちょったら、家は、わやいね〜。お嫁さんが来てちゃんと掃除してくれちゃったかね? そりゃあ、あんた幸せちょるね・・・そんな感じである。実は母や母の姉などは、関西に嫁に行ってから関西暮らしが長くなったので、関西弁もまじっているし、ふたりとも若干、すました人たちであ(ろうとしてい)るので、あまり方言は話さないが、ずっと山口県防府に住み、いまは下関在住の母の妹や、上記の仲の良い光市に住んでいる従姉などと話すときは、ほんと、そんなかんじになってしまう。

 わたしは、方言は、すぐ、うつる。普通に日本語を話していても、相手が方言まじりだと口調がすぐうつってしまう。これに気がついたのは大学に行って金沢出身の人と親しくなった時である。それまで私は兵庫県西宮市で育ち、すっかり関西弁の中にうもれて、ひたすら関西弁だけ話していた。父が兵庫県西宮の人で祖父母と同居していた。祖父も父も私も同じ小学校に行っている。祖母は大阪は船場から嫁に来た人だった。東京言葉が日本の標準語になった後、方言の使い手は急速に減少し、あるいはそのように強制的に教育されたりしてきた。昭和30年代生まれの私と同じ世代の沖縄の友人は、学校の教室で方言をつかうと「方言札」を下げさせられた記憶のある世代である。それでも、沖縄本島、宮古地方はその強制世代を経て、使い手も増え、現在七十代の男性くらいは島口が話せる。八重山地方は、もう少し状況が異なり、台湾経由の東京化、とでもいおうか戦前戦中に台湾に渡って働いていた人が多かったためか、数世代前から家庭での言葉が標準語化していたところがあるようで、八重山方言は沖縄方言、宮古方言より存続の危機にある言葉になってしまっている。

 方言がうつってしまいやすい話をしていたのだ。高校を卒業するまで地元の人しかおらず、関西弁を話す人としかほぼ会ったこともなかったのだが、大学に行くと別の地方の人がいるのであった。京都で学んだので、金沢や富山など北陸地方の方とたくさん会うことになった。とても親しくなった友人の一人が金沢の人だったので、あの北陸特有の、それでぇ、してないからぁ、という感じの、語尾に可愛らしく(と私には聞こえた)抑揚をつける話し方にすっかりハマってしまって、母に、あんた、話し方おかしいよ、とかいわれるようになったりしていた。しかしほどなく、世の中にはたくさんの方言を話す人がいて、方言といわぬまでもイントネーションが違う人たちがいて、それを使うのはその人たちの間だけだから、そこを離れたら使わないほうがいい、ということも覚えた。そしてもうちょっとしてから、わたしは、方言というか言葉のイントネーションがうつりやすい、というか、すぐ覚えてしまうのだ、ということも理解した。これは音楽が得意とか絵が上手とかいうのと同じような、その人の特性の一つで、わたしはどうやら言語に関して、コピーが早い。

 これはとりもなおさず、多言語環境にも適応しやすいということで、語学の習得に関しては、方言以上に努力がいるものだから、わたしはそんなにたくさんの言葉を話せるわけではないが、住んだことのある土地で話されていた英語やポルトガル語に関しては、母語と同じくらい微妙な表現ができて感情を伝えることもできるようになって、私の人生を本当に豊かにしてくれた。言語ができる、ということは、その言語を話しているところを訪ねて、あるいは住んで、そこにいる人たちと心を通わせやすい、楽しい時間を持ちやすい、ということだから、人生の幅が大きく広がる。とはいえわたしは、ポルトガルにもUnited States of Americaのメインランドにも行ったことがない。せっかく話せるのだから行けば楽しいのだろうと思うが、人生で可能性のある楽しいことを全て経験できるわけでもないし、する必要があるわけでもない。英語やポルトガル語の本を読み、新聞記事を読み、映像を楽しんで、私の人生は十二分に豊かになっている。

 で、「すんぼしない」。母は知らない、と言ったものの、気にしてくれていたのだろう。姉にきいてくれたらしい。90の母だから、姉は92くらいになるのだが、まだ息子娘の食事も用意し、はつらつと句会にもでかけていく、私に文学の世界をみせてくれた、たいへん闊達な方だ。母にしてもその叔母にしても、電話で話しても頭のブレは一切なく、大変元気である。その叔母は「すんぼしない」を知っていて、しょぼくれているとか貧相、という意味でしょう。よく知っていたわね、と連絡してくれた。これで一件落着、なのだが、ほかの山口の方に聞いてみても実は知らない方の方が多く、ひょっとしたら方言ではなく「家族内のことば」であった可能性もあるな、と思っているところである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載を元に、『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『心の鎧の下ろし方』(ミシマ社)が発売されている。

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