第9回
編集発行→編集発酵へ。
2019.08.17更新
前回につづき編集発酵家のことについて、もう少し書きたい。編集とは字のごとく素材を集め編むことだけれど、それが本であれ、イベントであれ、なんであれ、いち早く世間にお届けすることが重要だと思われがちだ。しかしここに「発行」ではなく、「発酵」の考え方を取り入れてみると、原稿や企画を寝かせてみることの価値に気づく。
熟成肉じゃないけれど、いまや「新鮮な魚ほど美味いわけじゃない」ことは、ちょっと高級なお寿司屋さんに行けばすぐわかる。シャリに馴染む食感になるまで寝かせる技術は職人さんたちにとっては常識だ。一方、編集者における情報の扱いは、同じ生モノと言えど、いまだにスピード重視一辺倒。時機を逃せばその価値はみるみるうちに減ってしまうと、先手を打つことばかり気にしている。しかし、文章も企画も商品も、早く出せば良いってものでもない。そこの見極めにこそ、プロフェッショナルが宿る。
雑誌やWEBメディアなどの狭義な編集者は、世の中に新しい何かを提案したいタイプの人間が多い。それだけに、早くアウトプットしなければ、他の誰かにやられてしまうという焦りを持ちがちだ。もちろん、新鮮さが命なモノがあることも、またそうやって勢いと瞬発力で動くことの尊さも、知らないわけではないが、今の時代は、あまりにも「待つことの価値」が軽んじられすぎている。
だからいま編集者は、率先して「待つこと」の価値を伝えるべきだと思う。
先日、神戸で「微生物からみる商売のはなし」という変わったタイトルのイベントを開催した。鳥取県智頭町にある天然酵母のパン屋『タルマーリー』店主で『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者でもある渡邉格さんと、兵庫県西宮市の天然酵母パン『ameen's oven』店主のミシマショウジさんを迎え、発酵と経済について語ろうという、かなりアクロバティックなイベント。
そもそも、タイトルがぶっ飛び過ぎているし(自分でつけたけど)、これはきっと集客に苦戦するぞと思っていたら、当初予定していた定員60名が即満席。ギリギリまで増席して、結果、160名もの方が参加してくださった。タレントさんのイベントじゃあるまいし、ここまで人が来るというのは(しかも神戸で)、いかに「発酵」という言葉に世間の注目が集まっているかの証拠だ。
イベント当日、お二人が語ってくれた天然酵母によるパンづくりの話は、安全安心や美味い不味いといった次元の話ではなく、イーストを使った効率重視なパンづくり、言わば大量生産大量消費社会へのカウンターの話だった。言い換えるなら「待つこと」の大切さの話。
何度も言うが、待つことは=腐らせてしまうことだけではなく=発酵させることでもある。それをわかって動く、醸造家のような編集者がもっともっと必要だ。じゃあ、そんな編集者になりたければどうすればよいか? それは簡単だ。都会のプロジェクトではなく、地方の実践で編集を学べばいい。
少子高齢人口減少がさらに進む地方で、都会のようなスピード感を求めるのは不毛。順調に見えたのに、突然腐敗に向かったり、かと思えば、急に発酵に転んだり。地方で何かを企てようとしても、なかなか思うようにいかないどころか、そもそもコントロールしようとしたことのエゴに気づく。
そんなとき、編集者がやれることは、まずはその土地で暮らすさまざまな人たちを菌と捉え、その多様な菌のなかで、有用な菌を見極めること。また、それら有効に働いてくれる菌が活発に動ける環境をつくること。それだけだ。しかし、それを出来るのがいま求められる編集発酵家なのだと思う。
速さ重視の価値観で物事を進めることに慣れてしまった人が、地方のプロジェクトに取り組むと、まだ発酵しかけているものまで腐敗させてしまいかねない。つまりは、待ったり、引いたり、忘れたりするチカラがないのだ。逆に地方のプロジェクトに慣れると、都会のプロジェクトに対しても胆力がついて良い。
我々は「速さ」に対して多くの対価を払うほどに盲目だ。「遅いことなら誰でもできる」そんな言葉とともに、まるで、遅いものには価値がないと、そう心に植えつけられてきたからかもしれない。しかしそれを「発酵」は覆してくれる。遅くて、ゆっくりで、のんびりでいいじゃないか。
そもそも、人間が速さに魅力を感じるのは、人生に限りがあるからだ。しかしその限られた人生も年々長くなっている。超高齢化社会の到来。ならばいよいよ発酵チャンス。編集発行から編集発酵の時代へ。一緒に。
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