第55回
産廃と編集の相似性
2023.05.08更新
最近僕は、とある産業廃棄物処理業者さんのお仕事を進めている。ひとまず僕が引き受けたのは会社のパーパスづくりのお手伝いなのだけれど、そのためには会社のことを僕自身も深く知らねばと、社内の若手チームのみなさんと一緒に、現時点でも15名以上の方のインタビューをしている。会社案内や概要や業績を見るよりも、よっぽど深く、且つ、多面的に会社や業界のことを知ることができて、とても面白い。
そもそも僕は、編集者としてこれからチカラを入れるべきは、間違いなく「ごみ」の世界だと確信していて、それは編集という仕事そのものが、一見価値のなさそうなモノに価値を見いだしていく仕事だからだ。極端に言えば同業者だとすら思っている。最近、僕自身、編集を手がけた新刊書籍が立て続けに出ていることもあって、編集者の仕事とはつまり、何か新しいモノを生み出す仕事だと思われるかもしれないけれど、僕は決してそんなふうには思っていない。
一見不要なものも、見方を変化させたり、少し手を加えたりすることで、それがとても価値あるものに変わる。つまり新しいモノを創造するのではなく、既にあるモノに対する視点を、寄ったり引いたり、斜めから見たりすることで浮き彫りにされてくる価値をわかりやすく可視化して届けるのが、僕たちのようなタイプの編集者の仕事だ。それゆえ僕は常々、輝かしい新刊本も、いずれ捨てられていくのだという運命を見通しながら仕事をしている。それもこれも、僕の編集者としてのはじまりが、個人的に作り始めたフリーペーパーだったからだ。
まだ20代の頃、会社員をしながら、平日の夕方以降と土日に必死になって編集とデザインと広告営業をして、1万2000部のフリーパーペーを印刷発行。大阪2日間、神戸1日、京都1日の合計4日間で、それらを友人たちと自力配布していた。
1号目を出した90年代の終わり頃、フリーペーパーはとても自由で、昨今のzineブームやクラフトプレスと呼ばれる半手工業的出版のように実に多様な盛り上がりがあった。それが2000年代に入って、某無料クーポン誌の登場とともに変化する。著名人の表紙とおまけのような特集記事を冒頭に、その他ほぼすべてが期限付きのクーポン、もしくは広告というフリーペーパーが幅を利かせるようになり、僕はそういうフリーペーパーと自分の作るフリーペーパーが同じように語られるのが嫌で嫌で仕方がなかった。それもこれも、フリーペーパーというものが限りなくごみに近い雑誌だと自覚していたからだ。百均で買ったものを大事に扱わないように、無料でもらったものを人はあまり大事にしてくれない。資本主義社会において、無料とは=貨幣価値がないと言っているようなものだから、いくら頑張っても、それを大切にしようと思う人はわずか。だからこそ僕は、自分の編集人生の最初の最初から「捨てられないものを作る」というのが何よりの目標だった。それは今も変わらない。
実際、僕は刹那な情報、ましてやクーポン的なものを掲載することにずっと抵抗し続けた。それは初めて編集した有料の雑誌『Re:S(りす)』でもそうだった。いまや大人気のジャパンメイドなスニーカーブランド『スピングルムーブ』。広島県福山市にある工場に行き、一番最初にメディアとしてそのものづくりを大きく取り上げたのは僕たちだった。実際その反響はとても大きく、スピングルムーブのその後の躍進はめざましいものだったけれど、その際に僕は、50ページにわたる大特集を組みながらも、ホームページも電話番号も一切載せなかった。なかには「ふつう載せるだろ!」と怒りのメールを送ってこられるかたもいたけれど、僕はそのメールの10倍くらいの文字量で、なぜ情報を載せないかについての理由を滔々と述べて返信した。当時はそれくらい刹那に消費されてしまう情報にセンシティブだった。
しかし、それは作り手の当たり前の責任だと僕は思う。いまでこそ、サーキュラーエコノミー視点から、そもそもごみにしない循環型の生産設計について考えるメーカーさんもちらほらと出てきたけれど、それは真に当然だと僕は思っている。逆に言えば、これまでいかに、作って、売って、はい終わり、なものづくりが横行し続けてきたか。いや、いまもなおだ。
そのことが、産廃業者さんのお仕事をしているととてもよく見えてくる。資源の乏しい日本でレアメタルと言われるような、製品内に組み込まれた希少金属を取り出し、再利用する動きや、ペットボトルを再びペットボトルとして活用する動きなど、ごみとものづくりをめぐるさまざまなニュースを目にするようになってきたと思うけれど、その裏側で飲み残しのペットボトルの中身を洗う人たちがいること。分解しづらい機械を小さな工具で一つ一つ分解している人がいること。そんな非効率で大変な作業を強いているのは、消費者とメーカーなのだということを伝える編集者が必要だと思っている。
僕は、すべてのクリエイター、ものづくりの現場の人が、産廃業者に足を運ぶことを勧めたい。実際、いまお仕事をしている業者さんに、僕もお付き合いのある、ものづくり企業のかたが偶然やってきたそうだ。自分たちのつくる製品がどのように分解されているのか見てみたい。そう言ってやってきた彼らは、現実を見せられて衝撃を受ける。「これが御社の製品です」と目の前に出されたのは、ただ小さくスクラップされた元製品の塊だった。
「御社の製品はまったく分解できるような構造になっていないので、こうやってスクラップして燃やすしかないです」
我々の生活は多くのものづくりに支えられている。日々便利に進化していくことはおおいに良いことだと思うし、僕自身もその恩恵を受けながら生きているけれど、僕はいよいよそのものづくりが大きく変化しなければと思う。そのために産廃業者さんから知れることはとても多い。新しいものを作るということは、極論、あたらしいごみを作ることだ。その意識が当たり前だと僕は思って編集者を続けてきたけれど、それが当たり前じゃない世の中で、僕は編集者として次のあたらしいスタンダートを作りたいと思う。