第47回
「のんびり」のチームづくり
2022.09.05更新
オンラインコミュニティ『Re:School(りスクール)』での、弱さの吐露からはじまるチームづくりについて書いた前回。でもそれはコミュニティ編集の世界だからこその話で、雑誌やWEBなどのテキストメディアのディレクションにおいてはまた別なのでは? と思われるかもしれない。けれどそんなことはない。例えば、僕が編集長を務めていた秋田県発行のフリーマガジン「のんびり」(2012~16)のチームディレクションも、決して最強布陣なチームづくりではなかった。「のんびり」のチームづくりの特徴は大きく二つある。
一つ目は、僕や写真家の浅田政志くんをはじめとした県外在住のクリエイターと、秋田県内のクリエイターが半々の割合で構成されていたこと。
二つ目は、県内クリエイターに声かけする際に、いわゆる雑誌編集経験者に声をかけなかったこと。
まず一つ目から説明する。仕事柄、日本中の地方をまわるなかで、東京をベースに活躍する著名なクリエイターやコンサル会社が、よそ者目線だけでプロジェクトを構築し、いっときの打ち上げ花火的なイベントを開催しては、結果その土地に何も残らなかったという事例をいくつも見てきた。またその逆もある。土地の人たちだけで頑張ろうとするあまり、地元のしがらみに巻き込まれ、コンセプトはとても良いのに、思いのほか小さく収まってしまっているイベントなどを多く見てもいた。ゆえに、地方における理想のチームは、よそ者と、そこに暮らす人の両方が存在するチームだと確信していた僕は、「のんびり」のチームづくりでもそこを意識した。
これはつまり、比較対象を持ちづらく、その地域のふつうが、域外においてはスペシャルであることを客観視することが出来ないという「暮らす人の弱み」を、そのような差異を見出しやすい「よそ者が補える」ということ。そして、実際にそこで取材を進めるにあたって、その土地の作法や風土に無知な「よそ者の弱み」を、地域で「暮らす人が補える」ということにほかならない。
まさに未来につないでいくべき「風土」とは「風」の人(よそ者)と「土」の人(土地の人)によって作られていく。フリーマガジン「のんびり」の制作を通して、それぞれの弱みを補い合うチカラをそのままエネルギーに変えて、秋田の風土を未来につないでいく。それが、僕の大きなミッションだった。
そして二つ目。その際に必要なチカラこそが「編集力」であるという強い思いがあったのだ。その編集力とは、単に雑誌やWEBメディアをつくるスキルのことではない。ここで、僕なりの編集力の定義を書いておく。
編集力とは、メディアを活用して状況を変化させるチカラ。
つまり、編集は理想のビジョンの実現のための重要な「手段」であるということを、秋田で頑張るクリエイターの友人たちに伝えたかった。
地方の情報誌などで雑誌編集をしている人たちはどうしても、編集を狭義に捉えすぎてしまっている場合が多い。その考えを一度全部捨ててもらわなきゃいけない分、余計に時間とエネルギーがかかってしまう。県の事業という限られた時間のなかで、広義な編集のチカラをしっかり伝えるためにも、僕にとっては未経験者の方が都合が良かったというのも正直な気持ちだった。
実際、「のんびり」の副編集長として活躍してくれた秋田在住の矢吹史子は、もともとデザイナーだった。秋田市にある、僕もお気に入りのカフェのロゴデザインをはじめ、彼女のデザインが秋田の街なかにはたくさん見受けられるのだけど、彼女と出会った2011年当時から、彼女は自分がデザイナーであることに迷いを持っていた。ゆえに、デザインを軸にしながらも、マルシェイベントを企画したり、商品を企画したりしていて、それはもはや僕にとって編集以外の何でもなかった。だけど彼女は、自分のやっていることと、デザイナーという肩書きとの間にある違和感にずっと悩んでいて、そこで僕は、彼女に「のんびり」の最前線に立ってもらうことで、彼女のなかの編集の概念を広げ、実際にさまざまな編集術を身につけてもらった。そうやって「のんびり」を4年間続けた後、彼女はさらに「なんも大学」というWEBマガジンの編集を5年も続けることで、足掛け10年近くテキストメディアの編集者として活躍してくれた。そして僕が何より嬉しいのは、彼女のいまの職業が実家のなりわいであるお豆腐屋だということ。デザイナーからスタートしてメディアの現場で編集を学び、その到達点が自身のルーツである家業の豆腐屋の編集だったなんて素敵すぎる。現代における豆腐のあたらしい在り方を、魅力的な商品をもって編集し続けているので、ぜひ気になる人は「豆腐百景」で検索してみてほしい。
ある意味、狭義なメディア編集を重ねてきたはずの彼女が、いつしか編集を広義に捉え、編集者としての矛先を家業にむけた。もちろんこれは矢吹に限った話ではなく、「のんびり」に関わってくれた他の秋田メンバー全員が、それぞれに広義な編集を身につけ、それぞれの場所で活躍してくれている。
話が少しズレてしまったかもしれないが、「のんびり」チームはある種の弱みを持った未経験者の集まりだったからこそ、自然と共助が生まれ、それがチームの結束力となって、結果、類を見ないほどに強いメディアづくりができたと自負している。
ちなみに「のんびり」の取材は、常に10人ものメンバーで一緒に動いていた。想像に難くないと思うけれど、これはふつうあり得ない大人数だ。タレントさんを擁したテレビ撮影じゃあるまいし、通常の雑誌取材ならライター1人、カメラマン1人、場合によってそこに編集者が1人の、せいぜい3人くらいで動くのがスタンダードななか、どうして、そんな大所帯で動いていたのか。それはデザイナーであろうと、カメラマンであろうと、とにかく全員に、僕が思う広義な編集を、現場で伝えたかったからだ。
狭い意味での編集術であれば、台割(と呼ばれる誌面構成の設計図)の作り方や、アポイントの取り方、校正指示の入れ方などを机上で教えればよいけれど、そもそも僕の本づくりは、まず台割を用意しない。事前に決めた設計図をもとに素材を集めていくような取材ではなく、いわば現場でライブ編集するようなスタイルなので、座学的に教えることが不可能だった。
例えば、とある道の駅を特集したときのこと。取材に訪れるなり道の駅スタッフのみなさんが歌ってくれた歓迎の歌に感動した我々は、さらにお話を伺うなかで、道の駅の駅長さんが脚本を書き、地元のボランティアのみなさんとともに毎年披露しているという手作りのお芝居の話を教えてもらう。取材中とてもよくしてくれた駅長に恩返しをしたいと考えた我々は、こっそり作戦を練り、急遽自分たちもお芝居を作って取材最終日に駅長の前で演じることを決めた。ということで、さらなる取材を進めながらも僕は脚本執筆。他のみんなもそれぞれに小道具を制作したり、演技を練習するなど、カメラマンだろうがデザイナーだろうが、とにかく取材チーム全員総出で、初経験ながらなんとか二日間でお芝居を作り上げ上演までこぎつけた。
取材最終日、お芝居の終盤にはサプライズで駅長の息子さんまで登場し、手紙を読んでもらうなどして、最後は舞台上も客席も、とにかくそこにいる全員が涙するほどに感動的なフィナーレを迎えることができた。
というようなことを丸三日間の取材のなかで、チーム全員で相談しながら実行していくのが「のんびり」だった。我ながら尋常じゃない現場。それもこれも、事前に台割が確定していたらやれないことばかり。編集長という立場で、舵きりをしていく僕ですら予測不可能な展開のなか、チーム全員が必死で頭を捻らせ、行動していくしかない状況だった。そこには妙なヒエラルキーなど一切なく、誰もが等しく知恵を絞り、最適解を考えたり、意見したりするからこそ「のんびり」は多くの反響を得た。
余談ながら「のんびり」はメールやSNS だけでなく、毎号ものすごい数の手紙やハガキが編集部に届いていた。それもこれも、どこか未完成な我々が必死になって取材を続ける姿に熱を感じてくれたからこそだろう。弱さの集合は、ときにとても大きな強さを生む証明だと、いまでもこれらの手紙を大切に保管している。