第65回
久留米市の地域マガジン『グッチョ』のこと
2024.03.07更新
福岡に住む知人に教えてもらった、『グッチョ』という福岡県久留米市の地域マガジンがある。A3サイズの紙2枚を両面印刷して、半分に折っただけの簡単な冊子ながら、その潔い編集が見事で、現在までに30号を発行している。
日常の一コマを切り取ったような、素朴な写真が表紙に大きく掲載され、中面の記事と連動したその写真がやさしく本文へと誘う。誌面に登場するのは、地域子育ての実現を目指そうと奮闘する団体や、カット代を農作物でもらって、惣菜の材料にして販売する美容室。毎日のお弁当の献立表に手紙を添え続ける配食サービス会社。さらには定時制高校や、ホームレス支援団体など。小さくも大切な声にしっかりと耳を傾け、損得やコスパなどでは語れない、市民の暮らしのリアルを、現実味と面白味に溢れた記事で展開している。
「うちのまちにはこんな名物があるよ」「これなら負けないよ」といった、自己主張の強い、PR先行の地域メディアが溢れるなか、こんなにも純粋に地域に必要な声を届けんとするメディアがあるのかと心底感動した。過去号もPDFで読めるのでぜひ、サイトを訪れてみて欲しい。
それらの記事のほとんどに、(担当・フトシ)と書かれており、つまりその人物、秋山太さん、45歳が、この『グッチョ』をつくっている張本人だ。そしてこの秋山さん、なんと、久留米市の地域福祉課の一職員さんだというから驚いた。
少子高齢化・人口減少が急速に進むなかで、どんどん希薄になっている人と人とのつながり。福祉の視点から街に目を向ければ、分野を超えた支援が肝となる「複合的な課題」を抱えた人や、従来の制度では解決しづらい「制度の狭間」にいる人が見えてくる。そこで久留米市は、令和2年3月に「くるめ支え合うプラン」を策定した。そのプランに基づいた地域共生社会の実現に向けた取り組みの一つとして、この『グッチョ』は位置付けられている。
計画の策定からその実施となると、通常は、何かあらたな仕組みや活動を考え進めていく流れになるが、以前市の広報課にいた秋山さんは、自身のつながりから、すでに久留米の街には地域共生の実例が多くあることを知っていた。だからそれらの試みを、可視化して、届けていくことが何よりの早道であり、かつ、もっとも重要な仕事だと考えたに違いない。僕のような余所者はもちろんのこと、久留米市民の人たちも、『グッチョ』を通して、知らなかったさまざまな試みや、人物を知ることができる。
実は、表紙はもちろん、記事中の写真もほぼ全て自ら撮影する秋山さん。そこに編集視点があるゆえに、写真と本文との整合性と、インパクトとのバランスがとても良くできている。それゆえ最近はカメラマンとしての依頼も多い。しかし、市の職員ゆえ、それらの多くをボランティアでお手伝いされていて、その行動がまた地域共生の一旦を担っていて、まさに『グッチョ』だなあと思う。
秋山さん目下の悩みは、あまりに属人的なこのメディアを、今後、どのように引き継いで行けるかとのことだが、僕はいまの『グッチョ』は秋山さんにしかつくれないものだと思うし、ある意味でマニュアル化できないことにこそ、大きな価値を感じる。行政組織のなかで、何かを始めたり、終えたりするということは、数値や成果のような客観性の裏付けを得ていかざるをえないけれど、『グッチョ』というメディアが、元を辿れば、久留米市、さらには国が目指している地域共生社会というのは、そういった属人的なアクションを認め合うこと、つまりは認めグッチョすることなのではないだろうか。
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