第63回
五分-GOBU-を訪ねて、五戸へGO
2024.01.18更新
「坂が多いね」
「坂のまちって言われてるんです」
「あ、そういえば聞いたことあるかも。坂で足腰鍛えられてるから、ここの高校生は陸上とか強いんだっけ?」
「僕がスポーツに疎いのでよくわからないんですけど、確かサッカーとかも」
車窓のむこう、何かしらの競技場と、屋内型のスポーツ施設だろうか立派なドームが見えた。陸上であれサッカーであれ、本当に強いとしたらそれは坂というよりも、そういった施設の充実こそが関係しているのかもしれない。でも、「令和ロマン」のM-1ネタじゃないけれど、それだと面白くないから、坂のおかげだっていう方がいいなと思う。実際、子供時代からこの町を駆け回って遊んでいたら関係ないこともないはずだ。
僕の友人に、ゴンゴンという、めちゃくちゃ身体能力の高い絵描きがいて、中卒の彼は、学校と縁遠かったゆえ、その能力がスポーツ競技に昇華されなかったけれど、僕の乗っていた軽自動車を跳び箱のように飛びこえたり、運動能力の無駄遣いばかりしていて、マジでオリンピック目指せば、どんな競技でもすごい選手になりそうだなと思っていた。そんな彼は子供の頃自転車を買ってもらえなかったことから、自転車でさまざまな場所へ遊びに行く友人たちに、仕方なく自らの脚力でついてまわっていたそうだ。
ゴンゴンの身体能力は自転車を買ってもらえなかったことの産物。
五戸のスポーツの強さは坂の産物。その方が面白い。
青森県南部に位置する五戸町。ここにやってきたのは、岩井巽くんという友人に会うためだった。彼がまだ学生時代の頃からだから、気づけば10年近くのお付き合いになるだろうか。五戸町が故郷の巽くんは、仙台・東京・八戸をへて、現在は実家のある五戸町にUターンし、国産の馬革を使ったプロダクトブランドを立ち上げた。
大蒜や長芋、そしてりんご、なかでも紅玉が有名な五戸町。実は彼のご実家もりんご農家なのだが、農園を継ぐのではなく、なぜ馬革のブランドを始めたのか。そこに、東北芸術工科大学→MUJI→東北スタンダードといった、デザインとビジネスとクラフトのバランスよい経歴が関係しているのは当然のことながら、なによりここ五戸町が馬で有名な町だということが大きな理由だった。
彼がつくる馬革ブランドの名前は『五分 GOBU』。馬と人が「五分五分」の関係で歩んできたという歴史と、五戸町の「五」をブランド名に込めている。
冬の寒さからか、残念ながら放牧された馬たちの姿を見ることは叶わなかったけれど、小さなスキー場と化した真っ白な牧場が町のなかに点在しており、レストランも併設された有名な精肉店では、伴って発展した馬肉食文化を味わうことも出来た。
彼曰く、日本に馬が渡ってきたのは、300年代〜700年代と推定されるそうで、中国の「驥北(きほく)」という北方地方から渡ってきており、日本では、気候が近かった東北地方で驥北馬が育てられた。その後、915年に十和田火山が噴火。その灰の影響で農業に不向きな土壌となったことから馬産が注目され、青森〜岩手に牧場が増えていったと考えられるとのこと。
ちなみに青森県南部〜岩手県盛岡まで、いわゆる南部藩下で馬産が推奨され、八戸や二戸など「のへ」がつく南部の特徴的な地名は牧場区分の名残だという説もあるそうだ。かつては騎馬を主としていた馬文化が、現在は馬に乗る人が減り、「馬の町」と呼ばれてきた五戸町でさえ、そのイメージは馬肉で、実際それが馬に関わる主な産業となっている。
そもそも野生の馬はすでに絶滅していて、常に誰かが飼育しないと次の世代に残らないのだと、馬肉店も営む、この町のとある牧場主は「種を残すために食べて繋ぐしかない」となるべく多くの馬種を育てているという。そのほかにも、巽くんは五戸と馬の関係についてさまざまに教えてくれた。
先述の経歴から、これまで様々なプロダクト生産や販売の現場に関わってきた彼は、あるとき、馬肉の皮はどうしているんだろう? 革製品になっているんだろうかと疑問を抱く。そこで知ったのは、馬に限らず、国内の食肉の皮のほとんどが廃棄されている事実だった。
実は日本の革のほとんどは、日本よりノウハウが蓄積され、原皮の品質管理が安定しているヨーロッパ・アメリカ・中国から輸入している。ゆえに彼はつまり、革製品を編集・デザインしようとしているのではなく、その「構造」や「仕組み」を編集しようとしている。実際に彼は、屠畜現場はもちろんのこと、革をなめす職人さんの現場にも足を運び、そこで得た多くの学びからプロダクトを試作していた。ひとつの疑問が、その奥にある構造に対する大きな疑問へと変化し、彼はそのための仕組みを日々この町で思考している。僕はそのことにとても感動した。
福岡県の八女で、『うなぎの寝床』というブランドをつくり、伝統的なものづくりを現代にフィットする商品に仕立てて、その技術を未来につなぐ仕事をしている白水くんという友人がいる。彼が数年前に「商品は伝えようとしすぎているのではないか」といった問いを投げかけているのを何かのインタビューで読んで、とても共感した。最早、モノの背景や周辺情報を伝えることが前提な世の中で、いよいよモノそのものの力が問われている、と。僕は、モノが内包するべき重要なものの正体こそが、構造や仕組みなのではないかと考える。
白水くんの言葉も、巽くんのブランドも、そのことが源泉にあるように思えてならなかった。そしてそこに「編集」という行為の大事な視点があると感じている。巽くんが立ち上げた『五分』のPhilosophyに、こんな言葉がある。
「人にわたって十分になる」
十全の残りを補う五分とはつまり、僕たちの日々の生活様式や消費構造にあるのではないか。