第145回
普遍的な家族の物語
2026.09.14更新
2026年9月、水俣病70年展に向けて水俣フォーラム公式チャンネルで「この人と話す」という15分程度の短い対談が次々にアップされている。光栄みほ子さんという、水俣病患者家族で、水俣フォーラムに勤める方と対談した。
https://www.youtube.com/watch?v=kgELurPcRL8
光栄さんの父は水俣出身で水俣病だったのだが、彼女は父親が80代で亡くなってから7年経つまで、つまりは彼女自身が50歳を前にするまで、父が水俣病であることを知らなかったのだという。水俣と遠く離れた関東で生まれ育ち、父が体調を崩して仕事をしなくなり、家族が貧困に陥り、酒とたばこに耽溺し母親に怒号を浴びせ、家族関係はどんどん厳しいものになっていく中で育ち、看護師になる。検診で水俣を訪れたことをきっかけに父親の水俣病を知る。もう、父を憎まなくていいと思った、という、彼女のほぼ半世紀語ることがなかった家族の話は過酷であり、とてもとても特別な話だ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/507582
とてもとても特別な話であると同時に、でも、それは、普遍的な家族の物語、父と家族の物語でもある。2026年、50歳になるくらいの人の父親は戦中世代ではない。第二次世界大戦は、現在、社会の中枢を50代、60代として生きる人たちの親の世代の物語ではない。祖父母の世代の物語である。祖父母の世代が、戦争に行き、戦争で亡くなり、戦争から帰還し、戦後を支えた。私たち5、60代の父母は、戦争当時、子どもであったり、10代であったりして、戦争をまともな大人の年齢として対峙した人たちではなかった。戦争を子どもとして経験し、戦前の古い日本のエトスの中で生きている親や家族を目撃し、敗戦後の、社会の変化と大人たちの口にすることの変化と、家族と社会の変容を経験した人たちである。戦後復興と高度経済成長の押し寄せるような波の中、自然の交わりの中で過酷でありながらもまどろむように生きてきた地域社会は崩壊し、人々は都会に追いやられ、工場に追いやられ、誰とでも取り替えのきく一介の労働者として、人間的に生きることを疎外されていく・・・マルクスが書いた通りのことを経験した人たちである。
この、5、60代の父母たちはまた、家父長制の瓦解と女性解放の流れの中を生きた人でもあった。母たちは厳しい家事から解放され、自らを生きることを鼓舞され、実際に、自らを生きる娘たちを自分の夢の実現として育てたが、困惑したのはおそらく母より父であったにちがいない。父たちは、戦前の、父の父、すなわちわれわれの祖父の時代のことをよく覚えていた。どのような家であっても、家長としての地位を与えられ、かしずかれ、だからこそ、責任も、家族を食わせる仕事も担っていた。そしてそのような父親が戦争に行き、亡くなり、亡くならないまでも深い傷を負って帰還したことを、ひたと、みていた。そして戦後となって、戦争に加担したことを社会全体が反省し、責める中、祖父たちは、口をつぐんだ。祖父たちが、息子たち、すなわち我々の父たちに教えるべき規範はすでに機能しない。家父長制は打倒の対象となり、息子たちは皆、家族を離れ、都会の勤め人として、会社に取り込まれていき、「新しい家族」を生きることが求められた。
規範のないところで生きることは、「自由」かもしれないが、むきだしの個人が社会と対峙するということでもある。地域社会や大家族のつながりは、もはや自分を守ってくれず、家父長制の崩壊の中、家族の中で「お父さん」はお父さんであるだけで尊敬はされなくなった。娘や息子が学校で学びを深めるたびに、自分の親を批判したくなるのは、自分も戦中世代の父に対して感じたことだっただろうが、さらに深まっているだけで、自分もそれを甘んじて受けるしかない。ある意味、二世代かけて、わたしたちは、「父」という存在を葬り去り続け、その状況の中で、多くの父は、酒やタバコやギャンブル(それはパチンコだったり競輪だったり競馬だったり妙な株式投資だったりした)に救いを求め、家族からさらに軽蔑の眼差しをむけられるようになる。
長々と書いてきたが、これが、いまの5、60代の人たちの父親の、普遍的なストーリーである。もちろん、いや、うちの親は違います、という人もいるはずだが、思い当たる人もまた、少なくないことは、自分が自分の家族と近所と同世代の友人たちと話してきたことで、よくわかっている。冒頭に書いた光栄みほ子さんの記事を読んだときに感じたことは、この、「父の崩れていく」普遍的なものがたりだったのだ。
確かに時代は変わった。家族の絆が弱くなったとか、女たちが子どもを産まなくなったとか、生涯結婚しないでいいと思う人が増えたとか、社会を担う次世代がいなくなる、という意味で、少子化社会は憂えられているが、それは前の世代の夢の実現である。家族というくびきから自由になりたい、崩れていく父親をみたくない、その父親を陰で批判しながら、わがままになっていく母親をみたくない、そんな父母の間で、生きることって、いったいなんなのか、家族っていったいなんなのか、考えながら、自分の稼ぐ道を探して、やっと一人暮らししてみたら、なんともいえず、楽だった、という、わたしたちの世代の娘や息子たちが、いま、三世代ほどを経て、「一人で生きていて誰も文句を言わない」世間を手にしたことは、実は、わたしやわたしの父母やわたしの祖父母が、一度は夢見たことであったに違いない。
いわれのない差別はなくなってはいない。なくなるどころか、SNSの時代にあってさらに陰惨になっていると言えなくもないが、それでもしかし。女であるだけで差別をしていいとか、皮膚の色だけで差別をしていい、とか、出自だけで差別をしていい、とか、そんなことがまかりとおる世の中ではなくなった。声をあげて、自分の苦しみを共に語って良い時代になったことはわたしたちが数世代をかけて、なんとか手に入れようとしてきたものだ。女性が自分の人生を生きられるようになったことは、何にも増して素晴らしい。それに伴って、男性もまた、「家族を支える」だけの父の役割から自由になったことも、どれほど多くの男性を救ったことか。時代が少しずつ変わっていって、半世紀かけて、冒頭の光栄さんは、父を理解し、父のかかっていた水俣病を理解したい、と、一歩を踏み出した。再度書くけれどそれはとてもとても特別な物語だが、だが、それは、普遍的な半世紀であり、誰もが、思い当たる、父と娘の物語でもある。
私たちは、時間軸と空間軸の交わる、この現在にあって、もがきながら生きている。でもその時間軸には父や母や祖父や祖母や・・・私たちに連なる多くの人の苦しみがつながっている。私たちの住む日本の、この街は、ここを起点として世界と繋がっている。その交わるところに私たちが今いる、ということは、私たちは、この世界の時間軸の広がりと空間軸の広がりについて、若干でも知ることで、私たちの現在のつらさを少し理解することができる、ということでもある。家族の歴史を知る、自らの育った街や育った地方や育った国のたどった歴史が、家族一人ひとりにどのように影響を与えたかを知る。そしてそれは、他の地域や他の国や、地球全体に広がっていることと無縁ではないことも知る。その自分の一点を確かめるために、「学ぶ」意味がある。水俣病70年展もまた、その学びの端緒となるために提示されている。いかなる意味でも、日本近代の産んだ壮絶なストーリーは、わたしたちと無縁なところに存在してはいないのだ。




