第86回
IPの育成と地域編集 〜前編〜
2025.12.09更新
IPという言葉をよく聞くようになった。IPと言われてもわからない人も多いと思うが、たまに目にするインターネットのデータ通信におけるIP=Internet Protocol(インターネットプロトコル)」ではなく、Intellectual Property=知的財産のほう。なかでも今回僕が言うところのIPは、いわゆるエンタメ業界におけるキャラクターや作品のことだ。
僕がこういう知的財産について調べ始めたのは、2012年頃のこと。2004年に82歳でお亡くなりになった、秋田県にかほ市出身の木版画家・池田修三の作品に出合ったことがきっかけだった。
その作品世界はもちろんのこと、生前お付き合いのあった人々から聞く、やさしさに満ちたお人柄に惚れ込んでしまった僕は、なんとかこの人の作品を未来につなぎたいと、雑誌の特集、展覧会の企画、作品集の出版と、できる限りのリソースを注ぎ込んで、池田修三作品の周知に奮闘した。
その一環として、ファンを増やし、またその心を掴んでいけるように、グッズの開発を進めていったのだが、そこで知的財産についての知識の乏しさに直面。ライセンスに関する勉強会に参加するなどして、著作権について学ぼうと努力した。
なにより修三さんはすでにお亡くなりになっていること。またご事情あって、ご家族に著作権の管理をお願いできない状況だったことから、当時はにかほ市にお住まいの、修三さんの甥にあたる方が、いったんその役割を担ってくださった。しかしその方はとても控えめな方で、著作権の重要性は理解していただけるものの、どうしても発生してしまうライセンスフィーに関しては、迷いなくすべて市に寄付をされていた。
自分の親ならまだしも、甥という立場であれこれ代弁したり、可否を判断したりすることへの抵抗感もあったに違いない。そう考えれば、よくぞ間に立っていろいろと判断してくださったものだと思う。おかげで、修三さんの人気は高まり、生前は叶うことがなかった美術館での大きな展覧会が実施され、ラッピング列車が走るなど、一時期は池田修三フィーバーと言ってよいほどの盛り上がりを見せていた。
しかし一方で「池田修三でお金儲けをしている」といった言葉も聞こえるようになり、甥にあたるその方も僕も、そのあたりから徐々に心に傷を受けはじめていた。
修三さんの動きが目立っていくほどに、さまざまなオファーが増える。となると、同時期に同業界から似たような制作物の依頼がある。そうした場合などに、依頼の交通整理をするマスターライセンシーという立場で、僕は問い合わせ窓口の役割を引き受けていた。
いま思えばあきらかにオーバーワークだったけれど、池田修三の認知をよくもわるくも広げてしまった責任として、その前線に立たなければと必死だった。しかしそういう態度がさらに前述のような心無い言葉を増やすことにつながっていく。
そもそもぼくはお金儲けをわるいことだと思わない。けれど、こと池田修三さんの動きにおいては、そこに起点があるわけではなかったし、ましてや、正当に受け取る権利があるのに著作権料のすべてを市に寄付してくださっていたような池田家のみなさんにまで、そんな言葉を放ってしまう人間が持ついやらしさのようなものが、僕はなんだかいやになってしまった。
池田修三さんの作品に惚れ込み、編集のチカラをもってそれを広く届けたいと願ったけれど、そんなピュアな思いだけで、事は進まなかった。雪だるま式に大きくなる面倒な事案に、本来の思いが押し込められていく。誰から予算をもらうわけでもなく、自ら作品を車に積み込み展示搬入して、トークして、作品集を売って、全国各地を周るなど、体力的にも精神的にも、なにより金銭的にもギリギリで突き進むところから始めた僕は、ある瞬間にプチっと糸が切れてしまった。
自分の心の弱さから、池田修三さんのあらゆることから身を引いてしまった僕は、すでにこの世にご本人がいない作家さんやその作品を守っていくこと、またその周知を広げていくことのバランスの難しさを思い知った。僕の力量では、とうてい背負い切れるものではなかったのだ。
そんな苦い経験を経てなお、僕はもう一度、IPの育成に挑戦することになる。同じく、秋田県にかほ市の特産品「いちじく」のキャラクター「いちじくいちを」だ。「北限のいちじくを軸に身の丈の豊かさを考える」というコンセプトのもと2016年から3年間開催した「いちじくいち」というマルシェイベント。そのイベントのPRを担ってくれるキャラクターだった。

いちじくいちを立ち上げる際に、いくつかのルールを定めたのだが、その一つが、有名人を呼ばないこと。
地方のイベントの多くは集客のためにすぐ有名人を呼ぼうとしてしまうけれど、そうすることで運営側の主旨とお客さんの来場動機がずれる。それを僕はよしとしたくなかった。「いちじくいち」のメインはあくまでも「いちじく」であり「いちじく生産者」だ。生産者や産品そのものをスターにしたいと企画したイベントなのに、外からスターを呼んで来たら元も子もない。ならば生み出せばいいと思った。
多くの人たちに愛されるような、いちじくのキャラクターを生み出し、それをイベントとともにこの町で育てたい。それは明らかに、池田修三さんのIPをうまく広げることができなかった僕の反省からきている。誰かの創作物ではなく、自分で0から作り育てることで、そういった知的財産の編集を学び直したいという考えもあった。
「いちじくいち」はおかげで大成功し、「いちじくいちを」の人気も高まり、グッズも飛ぶように売れた。しかし「いちじくいちを」は、あくまでも「いちじくいち」の広報であり、にかほ産いちじくの広報マンという使命をもったキャラクターだ。余所者の僕ではなく、地元、にかほ市の人たちに管理活用してもらうほうがいいのではという気持ちになった。



そもそも「いちじくいちを」を、良い意味で作家性の薄いもの、ある種の公共性をもった、ひらかれたキャラクターにしたいと思っていたのは、当然、池田修三さんの経験からきている。
亡き作家、ご本人の意思など、どうしたってわかりえないにもかかわらず、それをある種代弁する態度を取らなければ物事が進められないというジレンマに当時僕はずいぶん苦しんだ。
なんとかその意思を汲み取ろうと、生前に残された資料などにくまなく目を通させてもらい、必死で修三さんを憑依させようとした。
冷静に考えれば、そんなことは無理に決まっているけれど、あの頃の僕は「修三さんならこうするはず」「修三さんならこれを選ぶはず」と自分の胸の内の納得感を強めようと必死だったのだ。
「いちじくいちを」は、にかほ市で自身もいちじくを生産しながら、その周知に奮闘している友人の玲くんに管理をお任せすることにした。町のために使われていく分は、どんどん無償で使用してほしいと伝え、ほぼ手放しで任せている。とはいえ、余所者の僕だからこそ応援できることもあるだろうと、たとえば最近では、モスバーガーのご当地シェイクに、にかほ産のいちじくを使ってくれた際に、「いちじくいちを」をキャラクターとして起用してもらったりもした。もちろん無償で。
木版画家の尾崎和美さんのチカラを借りて生まれた「いちじくいちを」だけれど、ある意味、作者という立場から、その管理を地元の人に任せるという経験をしてみると、それはそれで、またあらたな課題にぶつかる。その課題の最たるものがいわゆるクオリティコントロールだ。あ〜、このデータ白地が抜けてしまって、背景が見えちゃってるよ。といった、クリエイターなら絶対に見落とさないようなことを、地元の方たちは平気でやってしまう。些細なことと言えばそれまでだけれど、それでも作り手としては気になってしまうもの。けれど、僕はそれを完全にNOと言うのは違う気がしている。
玲くんたちはいちじくそのものの生産や周知に対して一生懸命で、彼らは何より生産者としてのプロだ。しかし、クリエイティブ面での経験値がないのは当たり前のこと。にもかかわらず、キャラクターの使用に関して、僕がしっかり伴走することをせず、地元の人たちに任せる判断をしたのなら、それも受け入れてやっていくべきだし、それでよいというか、それがよいと思っている。
いちいち僕に細かいことを言われることもなく、その判断を仰がなきゃいけないこともなく、進められるほうがうまく広がることもきっとある。
僕はこの二つの経験をもって、IPの育成の難しさを学んできた。そんな経験を踏んできた僕は、いまあらたなIPの育成に挑もうとしている。それは次回。
編集部からのお知らせ
【12/21(日)ミシマ社も出店!】「BOOK TURN SENDAI」が開催!
ZINEブームとまで言われるいま、日本全国でたくさんの個性あふれる本が生まれています。
印刷部数の少なさから、Amazonや大型書店などではなかなか流通しない、それら小さな出版物は、だからといってクオリティが低いとか、内容が薄いとか、決してそんなことはありません。
テーマこそニッチかもしれませんが、小さな出版だからこそ、経済合理性をベースとした最大公約数的な編集ではない、流行りから距離を置いた内容や、属人的な偏愛が詰まった本になっていて、それこそが真に健全な出版の豊かさなのではないかと、長く編集の仕事を続けてきた僕は思っています。
その背景には、クリエイティブに関するテクノロジーの進化や、印刷技術の向上に伴う大衆化によって、個人による本づくりのハードルが下がったという状況がありますが、一方で本づくりというのは、編集・デザイン・印刷といった大掴みなカテゴリーでは語りきれない職人的技術の結晶でもあり、「BOOK TURN SENDAI」では、一般公募枠のほかに、そこにある技術の素晴らしさに気づいてもらえるようなプロフェッショナルな作り手にも参加いただいています。
そしてそれら新たな出版の動きが、これまでメディアの中心とされてきた東京ではなく、地方からこそ起こっていることを、このイベントで感じてもらえれば嬉しく思います。
わたしたちの声を、思いを、届ける表現としての、本のチカラが求められています。
さあ、本の出番だ!
BOOK TURN SENDAI プロデューサー
藤本智士(編集者/Re:S)
開催日時:2025/12/21(日)11:00〜16:00
会場:AER 5F (仙台市中小企業活性化センター 多目的ホール)
宮城県仙台市青葉区中央1丁目3−1 5F
入場チケット販売価格:500円 ※小学生以下は無料!
販売期間:2025年10月17日(金)〜12月20日(土)
※規定枚数に達し次第、販売終了となります。





