第93回
排除しない大きな器 、混沌のまち小倉。
2026.07.07更新
十数年ぶりに、北九州の小倉に行ってきた。博多で取材仕事があり、その前に小倉に住むイラストレーターの友人に会いに行こうと思っての行動だったが、昨今の、特に博多駅周辺のホテル代高騰に閉口していた僕としては、小倉に前乗りすることでかなり安く済ませられたのはラッキーだった。寝るためだけに高額な料金を払うくらいなら、街場の飲食店にお金を使いたいタイプの僕は、次回の博多入りも小倉泊しようと心に決める。
博多駅まで新幹線でたった15分。ターミナル駅としてもずいぶん立派な小倉だが、明らかに博多とは違う。どちらも賑やかなまちで、ある種の混沌を抱えているけれど、博多のそれはどこか区画整理された箱庭の内のカオス。一方、小倉は、紛うことなき混沌。はみだしや漏れといったコントロール不能なモノと人が幾層にもなってできる土壌は、豊かな土中環境をイメージさせるほど、多様な世界が広がっているように感じた。
新神戸駅から約2時間。小倉駅の改札口で待っていてくれた友人は、開口一番に僕のお腹の空き具合を確認してくれて、その足で「フジシマ」という天ぷら屋さんへ案内してくれた。駅前から続く銀天街のアーケードを数分歩いた先の、路面からは見えない地下にあり、小倉の人たちは、この店を店名ではなく「地下天(ちかてん)」と呼ぶそうだ。
目立つように掲げられた「天ぷら」の看板の下の、細い階段を降りきったところにある小さな間口。そこを入ってすぐに注文カウンターがあり、そこでメニューを決めて支払いを済ませると、卓上マイクで厨房に注文が伝えられる。突然の先払いシステムに少々慌てたけれど、友人に倣って無事注文を済ませた。
店内は決して広くはないが、入口から想像できないほどには大きいコの字型のカウンターが厨房を囲む。その内側で天ぷらを揚げたり、定食をセットしたりする仕事は見ていてずいぶん楽しかった。まだお昼の12時にもなっていないというのにほぼ満席で、ちょうど僕たちが座る分だけ席が空いていたのはとても幸運だった。というのも、食べ終わって店を出る頃には、狭い階段に沿って地上まで行列ができていたからだ。
1957年創業。もう70年も続くこの天ぷら屋を、小倉の人たちは愛してやまない。メインの天ぷらに、ごはんや漬物、麹の香りが際立つ甘い味噌汁がついた立派な定食がいまだに800円そこそこで食べられる。昼間からグラスビールを頼めるのも最高で、しかもグラスのサイズが絶妙な塩梅なのだ。中ジョッキだとでかいし、かといって瓶ビール用の小さなグラスだと物足りない。その程よいサイズ感が天ぷら定食の分量にぴったりで、この身の丈の保ち方が、この店に漂う独特の上品さの所以のような気がした。小倉に着くなりこんな店に案内してくれる友人の気遣いにあらためて乾杯したい気持ちになる。
ランチを終えたあと、有名な旦過市場に連れて行ってもらった。2024年の4月と8月、二度連続で大火に見舞われた旦過市場。全国ニュースで取り上げられたこともあり、僕の記憶にも強く残っていた。
市場の近くまで行くと、友人は一旦入り口を通り過ぎ、市場の隣に流れる川のほうへと僕を案内する。橋の上に立ち、振り返るように旦過市場を眺めると、そこには京都の鴨川の川床のように、川にせり出して立つ商店群の姿があった。もしまた火事にあうようなことがあれば、現在の建築法的に二度と同じものを建てることができない。そんな内容のことを説明してくれた。
実は、友人のパートナーは旦過市場の八百屋に勤めている。店舗は川側にあり火災を免れたが、対面の店はほぼ全て焼失してしまい、商店が向かい合う市場らしい姿を見ることは、もはやできなくなっていた。一部の店舗は青空市場的に営業を再開しているものの、奥の一帯は現在もなお再建の途中。再建自体はうれしいが、それでかつての風情が戻るわけではない。街は常に変化していくものだが、それを仕方がないと割り切ることがぼくにはまだできなかった。
友人が気を利かせて、八百屋にあったマンゴーを僕に持たせてくれた。すぐにでも食べたい気持ちだったけれど、まだ少し実が固く、食べごろは家に帰ってからだという。何事もタイミングが重要だ。そこにある一手間を想像することなく、食べごろを享受するばかりな世の中で、僕たちは、時機を待つということがずいぶん苦手になってしまった。だけどこのまちはどこか、待つことに長けているような気がした。それは、穏やかとかのんびりしているとか、そういった気質の話ではなく、もはや抵抗のしようがない、どうしようもなさと向き合い続けている「強さ」とでも言おうか。
待つことの強さを持つ土地は、よそ者にやさしい。待つとは信じて受け入れるということでもあるからだ。
昼から夜にかけて「武蔵」や「大太鼓」といった名店をはしごしたあと、ホテルに戻る前に最後にもう一軒だけと向かったのは、地元の人たちが「ペク」と呼ぶ、24時間営業のお店「白頭山」。終電を逃した飲兵衛たちの最後の砦になっている焼肉居酒屋だ。NHKのドキュメント72時間でも話題になった店だが、まさに小倉の包容力の象徴のような店だった。
いくつか店舗があるのだが、僕が連れて行かれた店のすぐ隣には、九州でただ一軒の現役ストリップ劇場があり、さらに反対隣には、小倉名画座という成人映画館も残っている。新幹線がとまる立派なターミナル駅のすぐ裏に、こういう猥雑な店が残るのは、いまやとても珍しい。
多くのまちは、駅の周りを綺麗に整理再開発して、都合の悪いものを見えないところへ追いやる。ところが小倉は、それをよそのまちほど感じない。小倉のまちの独特の心地よさの理由は、まさにそこにあると思った。ここには、排除されない安心感がある。
いまの社会は、ずいぶんと窮屈だ。生産性がどうの、自己責任がどうのと、たえず線が引かれ、その線の内と外で人が選り分けられていく。役に立つか、迷惑をかけないか。そうやって、なにかと人を排除し、排斥しようとする空気が濃くなっている。そんな時代に、小倉のまちは、どんな人のことも追い出さない大きな器に見えた。
小倉の隣の八幡というまちに、1901年、官営八幡製鐵所ができた。国の威信をかけた、日本の近代化の心臓のような場所だ。この製鉄所を中心に、北九州は「鉄の都」になっていく。とりわけ戦後の高度経済成長のころ、まちは全国から集まってきた労働者であふれた。つまりこの辺りはもともと、よそから来た人たちの集まりでできた、いわば移民のまちと言ってもいい。
よそ者の集まりだから、どこから来たかは、たいして問われない。問われるのは、いまこの瞬間、一緒に汗をかくか、仕事を終えて一緒に一杯やるか、そういった「いまここ」のことだ。出自や肩書きより、目の前の関わりを大切にする。もちろん、そこには戦時中に朝鮮半島から強制的に動員された人たちの過酷な歴史をはじめ、きれいごとだけでは語れないことがたくさんある。暴力や貧困など、それら光と影をぜんぶ含んで、このまちはできている。
この連載は「地域編集」がテーマだが、編集というと、どうしても「選ぶこと」「削ること」が重視されがちだ。たくさんの要素のなかから、価値のあるものを選び、いらないものを落とす。たしかにそれも編集の一面ではある。けれど、それだけだと、編集はどんどん「排除」に近づいてしまう。
小倉というまちが教えてくれたのは、その逆だった。編集のいちばん重要な仕事は、何を残して何を消すかの線引きではなく、雑多なものを雑多なまま抱きとめられる大きな器を設計することなんじゃないか。地下天も、大衆酒場も、火事を越えた市場も、ストリップ劇場も、そのすべてを淡々と受けとめられる器。地域編集とは、そういう器づくりのことなのだと気づく。
排除しないまちは、居心地がいい。その心地よさは、これからの地域編集の大事なヒントになる。小倉で僕はそんなことを考えた。





