第94回
旅の巨人に教わった、旅の編集
2026.08.07更新
スタートして丸6年になる地域編集スクール『Re:School』のメンバーに、瀬戸内海の周防大島で宿を営むNさんという女性がいる。島出身で、かつ、周防大島町の町議会議員として島のために奮闘されている姿が、全国にいるメンバーに大きな影響を与えてくれていた。なによりぼく自身、さまざまな気づきをもらっている。
Nさんに出会う前は、地方議会の様子をYouTubeで見る日が来るなんて、思いもしなかったけれど、最近は「町議会」というワードでYouTube内検索をして、知らない町の議会のやりとりを流し見るという、ずいぶん妙な趣味まで増えた。
ぼくはこれまでさまざまな自治体さんとの仕事をしてきたけれど、いわゆる議会対策といったことを、役所の担当職員さんに任せ切っていた。「餅は餅屋」というスタンスを変化させることはないが、それにしても、これまで地方議会に対する解像度が低すぎたように思う。見ようとすれば見られる事実すら知らなかった反省から、時間が溶けるだけのショート動画を見るなら議会を1.5倍速で流し見るという、実に説明しづらい行動をとっている。
知らない町の議会で、議員さんが一般質問をする姿を見ていると、モヤモヤを感じることも多い。リアルな生活の実感や地域に対する利他的な気持ちは理解しつつも、相対的な価値や俯瞰の視点を持ちあわせた議員さんはわずかで、どちらかというと、「○○の評判がわるいと聞いたが、どうなのか?」「○○は地域に協力的ではないらしいが、どうなっているのか?」という、まるでXやThreadsのポストに見られるような一方的な噂を、無意識に上から目線で放ち、自分のポジションを確保しようとする議員さんの存在が目立つ。これじゃあ役場の人たちも疲弊するだろうとつくづく思う。
そもそもぼくが、まるで生活の一部のように頻繁に旅をするのは、各地の現場のリアルを自分の実感として得たいからだ。噂も伝説も陰謀論も、正しさや真実がたった一つだと信じる人たちによる、一方向の物語にすぎない。そのことをSNS社会で日々学んでいるはずなのに、ぼくたちはすぐに正義という剣を、『キングダム』の信みたいに無邪気に振り翳そうとする。
しかし旅に出れば、正義というものが多様であることに気づく。日々の暮らしだけでは、到底考えが及ばない世界の存在を知るのが旅だ。自分のまわりの世界だけがすべてではないという当たり前のことを、情報ではなく、身をもって体感できることの価値はとても大きい。
そんな旅の実感を、言葉として綴り、本という形で届け、ぼくに教えてくれた偉人に、旅の巨人とも言われる宮本常一がいる。
宮本常一。この名前を初めて聞く人も、きっと少なくないと思う。でも、ぼくのように地方を旅しながら編集やライティングの仕事をしている人間にとっては、避けて通れない人物だ。日本中を自分の足で歩きに歩いて、名もなき人々の暮らしを記録し続けた民俗学者。ぼくは宮本常一におおいに影響を受けている。
ちなみに自分の人生において影響を受けた人物を3人上げるとしたらそれは、上岡龍太郎さんと、花森安治さん。そして、宮本常一さんだ。
ぼくがNさんと最初に出会ったのは、愛媛県で開催したトークイベントだったが、その際に「周防大島から来た」と聞いて、最初に思い浮かべたのは宮本常一さんの島ということだった。Nさんが島を離れ、東京の『地域活性化センター』という組織で働いていた頃も、周防大島出身だと自己紹介する度に、大学の地域づくり系の先生方から「おお!宮本常一先生の!」と前のめりで反応されたという。
周防大島には宮本常一記念館があり、生い立ちや数々の業績が常設で展示されている。ぼくはその記念館に行ってみたいと長年思い続けていた。それゆえ、周防大島出身のNさんがRe:Schoolの仲間になってくれたことで、島との距離がずいぶん近づいた気持ちになっていた。そしてついに、Nさんが主体となって企画する「みる・まなぶ・たべる〜島のコンテンツを巡る旅〜」という、周防大島ツアーの存在を知り、いよいよ島へ行くタイミングがやって来たぞとばかり、参加申し込みをした。
https://www.ymg-tunagaru.jp/archives/project/2026suo-oshima
そして先日、ついに人生初の周防大島に行ってきた。
周防大島は山口県の東南部、瀬戸内海に浮かぶ島だ。山口県のいちばん東の端、広島県や愛媛県に近い。正式な島の名前は屋代島という。しかし、古くから「周防大島」あるいは「大島」と呼ばれている。瀬戸内海に浮かぶ島としては、淡路島、小豆島に次いで3番目の面積を持つほど大きく、周防大島町は、この屋代島を主島として、周囲の5つの有人島と25の無人島から成り立っている。
今回のツアーの主目的は、そんな周防大島のイワシ網漁を見学させてもらうことだった。周防大島本島の屋代島から船に乗り、漁場をいくつか見たあと、約5キロ北にある浮島(うかしま)に移動し、島に5つもあるという煮干し工場の一つを見学させてもらう。さらには、捕れたばかりのイワシを使った昼食が食べられるという充実の企画だった。
実際にイワシ網漁を見せてもらって、まず驚いたのが、その漁が想像以上にチームプレイだったことだ。網を船員みんなで引き揚げるといったことはもちろんだが、ぼくが感動したのは、4隻が一つの船団となって漁が行われることだ。イワシの群れを探す船が一艘、網を仕掛ける船が2艘、そして捕れたイワシを運ぶ船が一艘。しかも網を仕掛ける船は2艘がピッタリと並走しながら網を曳く。これを2艘船曳網という。そして揚がったイワシを積んだ運搬船は、イワシを積み終えるや否や、まるでボートレースのごとし速さで一気に浮島へと船を走らせる。
イワシ(鰯)は「魚」へんに「弱(い)」と書くほど鮮度が落ちやすい魚。青魚で不飽和脂肪酸を多く含むので、時間が経つと酸化が進んで品質が下がる。おいしい煮干しをつくるには、一刻も早く茹でてしまうことが絶対条件なのだ。だからこそ運搬船はいち早く島へと向かう。群れを探し、網を引き、そして一気に島まで運搬するという船同士の連携プレーがあまりに見事で、ぼくはずいぶん興奮した。
追いかけるように浮島に上陸したぼくたちは、さっそく工場を見学させてもらった。煮干しとはまさに煮て干すからで、いまのような冷蔵技術のない時代にイワシを価値に変えるためには、フィジカルに運搬スピードを上げることしか方法がなかった。
自然まかせの天日干しで、速さとは無縁の、のんびりした空気をまとった加工品だと思っていた煮干しのイメージが、現場のリアルをもって完膚なきまでに打ち砕かれた。煮干しという加工文化そのものが、イワシの「弱さ」から生まれた知恵の結晶だと、身をもって感じられた。
そもそも瀬戸内海は波が穏やかで、プランクトンが豊富なカタクチイワシの好漁場だそうだ。浮島の周囲は、イワシやタチウオをはじめとする多くの魚が水揚げされる。波の穏やかな瀬戸内海で捕れるカタクチイワシのいりこは、柔らかくて苦味が少なく、そのまま食べるのにも向いている。こどもの頃、台所の戸棚にある煮干しを、よくつまみ食いしていたことを思い出す。それもこれも、瀬戸内の苦味が少ない「いりこ」だからこそだったのか。
いま何気に「いりこ」と書いたが、「煮干し」と「いりこ」は基本的に同じもので、主に西日本で「いりこ」、東日本で「煮干し」と呼ばれる傾向がある。ついでに、今回ぼくがあらためて認識したイワシの基礎知識をシェアすると、そもそも日本で「イワシ」と呼ばれる魚は、主に3種類。
1種類目が、マイワシ(真鰯)。体側に黒い点が並ぶ、いちばんイワシらしいイワシ。刺身や塩焼き、缶詰でおなじみの魚で、これを原料にした煮干しは、あっさりと淡白な味になるという。
2種類目が、ウルメイワシ(潤目鰯)。目が潤んだように見えることからこの名前がついたとされる。煮干しの生産量としては少なめで、脂肪が少なく甘みがあり、まろやかな出汁がとれるという。丸干しでも人気の魚だ。
そして3種類目が、カタクチイワシ(片口鰯)。まさに今回の主役。下顎が小さく、口が片方=上顎だけ目立つように見えることから「片口」と呼ばれる。体は小さいけれど、煮干しの原料として最も一般的に使われる魚で、魚の味や香りが濃く、力強い出汁がとれる。
こういった知識は旅の実感で得るのがもっとも身に入る。しかしそれでも記憶からこぼれ落ちていく実感を、文章としてしたためることで定着させる。そのことを教えてくれたのもまた、宮本常一だった。
人生初の周防大島で、ぼくはあらためて旅の編集について学び直したような気持ちになった。





