第135回
藤原辰史さんより 『小さき者たちの』を読んで(前編)
2023.03.16更新
『小さき者たちの』の刊行を記念して、1月末に、著者の松村圭一郎さんと歴史学者の藤原辰史さんによる対談が行われました。
テーマは、「私たちとは誰か? 〜人と植物の小さき声を聴く〜」。
松村さんと藤原さんはこれまでも、新著をミシマ社から上梓されるたび、対話を重ねてきました。
イベント開始早々、「話したいことがたくさんあるので、話していいですか?」と切り出した藤原さん。『小さき者たちの』から感じたこと、考えたことを、一気に語っていただきました。
本日のミシマガでは、その内容を余すところなくお届けします。
(構成:角智春)
松村さんの存在が小さい
左:藤原辰史さん、右:松村圭一郎さん
藤原 『小さき者たちの』は、『うしろめたさの人類学』や『くらしのアナキズム』といった松村さんのこれまでの著書とは、かなり違うという印象がありました。
松村さんの存在がとっても小さい、と感じたんです。
これまでの本では「松村さんの語り口」というものがあって、私にはそれが心地よいものなのですが、今回はそれが弱いというか、意識的に隠されている。そして、「おわりに」には、「私は日本のことを、自分たちのことを何も知らなかった」(『小さき者たちの』201頁)と書かれています。
つまり本書は、自分は無知であった、自分につながる問題、今日の問題を本当に知ろうとはしてこなかった、という懺悔の気持ちで書かれたような本なんですね。
たくさんの読者に恵まれてきた書き手が、ここまで懺悔するというのは珍しいことだと思います。本書は、本当に自分はなんてことをしてしまったんだ、という気持ちがひしひしと伝わってくる、誠実な本だと思いました。
『小さき者たちの』目次の一部
どうして松村さんがこれだけ残念がっているかというと、熊本で生まれ育ちながら、水俣の問題や須恵村のような地域の人びとの暮らしを、ほんの最近のことなのに、ほとんど知ることがなかったから。
知ることがなかったというより、むしろ、耳では何度も聞くことがあったし、テストで問われれば「水俣」と書けるけれど、本当の意味ではなにも分かってこなかった、ということを正直に述べています。
そして、この著者の立場は、ブーメランとしてこの本を読んでいる者にも返ってくるように思います。私自身も本書を読みながら、やっぱり自分の無知と向き合うことになりました。その意味で、今までの本とはちょっと違った読みの覚悟が必要になってくると感じました。
「そげな生活がわかるか、お前たちにゃ」
そのなかでも、強烈な言葉、とりわけ松村さんのように、人類学者として生活文化を書く仕事をされている方にとって強烈な問いが投げかけられるところがあります。
それは、川本輝夫さんがかつてチッソの社長に向けた、「そげな生活がわかるか、お前たちにゃ」という言葉です。(『小さき者たちの』127頁。川本輝夫著、久保田好生ほか編『水俣病誌』世織書房、10頁より引用)
おそらく松村さんも私も、水俣病の問題には「二重の距離感」をもって向き合わざるをえません。
距離感のひとつは、ここで引用されている人たちとの年齢差です。この本で引用されている人たちの生没年を調べてきました。
『苦海浄土』を書いた石牟礼道子さんは、1927年生まれ、2018年没です。
『からゆきさん』を書いた森崎和江さんは、1927年生まれ、2022年没。石牟礼さんと同い年です。
映画『水俣 患者さんとその世界』を撮った土本典昭さんは、もう一歳年下の1928年生まれ、2008年没。
これらの世代は、私や松村さんのおじいちゃん、おばあちゃんのちょっと年下ぐらいです。ですから、われわれは彼らと同じ時代を生きてこれたわけですが、その方たちとの距離がまずものすごくある。
それから、医者の原田正純さんは1934年生まれ、2012年没。原田さんは石牟礼さんたちより7歳年下、つまり小学校ひとつぶん年下なのですが、水俣の運動のなかでは、お二人はすごく近いところにいました。
そして一番年下は、『チッソは私であった』の緒方正人さん。1953年生まれです。緒方さんだけ1900年代の後半生まれなので、そこでもすこし世代の断絶がありますよね。
現場で運動し、本当に患者と共に生きることを選んで、そこで何かを表現しようとされた方たちと、私たちのように、その時代からずれて生まれ育ち、水俣には関心があるけれども、その場で共に生きていくというよりは本や映画を通じて学ぼうとしている者との距離は大きい。
ひたすら写経するように
つまり、水俣病や日本の暗部をのぞいて、そこからヒタヒタと内面に迫ってくるような本を書いてきた彼女ら/彼ら自身は、炭鉱労働者や「からゆきさん」や水俣病の患者に到達できないという思いを抱えながら、それでも一緒に暮らし、必死になって言葉を紡いでいた。それを私たちが読むというのはどういう行為なのか。松村さんのこの本を読んで、何度も考えてしまいました。
松村さんは誠実に、書き手と距離があることを意識して、彼らの言葉をひたすら写経するかのように引用し、しかも余分な解釈をせずに、感じるがままに学んでいるという感じがしました。松村さんの書いたものの本来的な魅力は、いろいろな理論を縦横無尽に展開しながら私たちにアフリカや日本の具体的な現状について問いかけてくれるところだと思うのですが、今回はあの「理論派・松村さん」は一切消されていた。
「そげな生活がわかるか、お前たちにゃ」という問いのなかで、やっぱり松村さんも私も迷っている。それが表れた本だと思います。
(後編につづく)
編集部からのお知らせ
松村さんと藤原さんの対談を動画でご覧いただけます
本対談の動画を、全編ご覧いただけます。
記事でご紹介した藤原さんからの問いかけに、松村さんが応答し、「小さき者とは誰か?」をめぐって対話が深まりました。
ぜひ、下記のアーカイブ販売ページをご確認くださいませ。