第141回
『ピッツァ職人』、明日書店先行発売です!
2023.05.11更新
明日5月12日は、井川直子さんの『ピッツァ職人』の書店先行発売日です。
ミシマ社から発刊の井川さんの本は3冊目となります。
1冊目の『シェフを「つづける」ということ』では、イタリアで修業した15人のシェフたちを10年追い、2冊目の『昭和の店に惹かれる理由』では、普段、表に出ることのない10軒の名店を取材した井川さん。
今回テーマに選ばれたのは、ナポリピッツァ。多くの職人の方が登場されますが、主人公である中村拓巳さんを中心に綴られています。ある意味、これまでの2冊に比べると、テーマがグッと絞られている、新しい領域に踏み入られている。初めて原稿を拝読したときに、そう思いました。
本当にたくさんの飲食店を取材し、文章を綴ってこられた井川さんが、本として書かずにいられなかったのが、なぜピッツァ職人で、なぜナポリで、なぜ中村さんだったのか。
「まえがき」を読んでいただくことが、何より伝わると思い、下記に転載いたします。
まえがき
思えば、全部この言葉から始まったのだ。
「僕、高校に行ってないんですよ。十六の時にナポリピッツァを食べて感動して、十七から東京のピッツェリアで働いて、十八でナポリへ行ったので」
なぜかショックを受けている自分がいた。反面、急に風の吹く場所に出たような清々しさも感じている。なんだろう? この感覚は。
学校へ行かない道。そっちを選んでも、よかったのか・・・。
わずか十六歳で、「ピッツァで生きていく」人生を決めたってこと?
いきなりナポリって!
頭のなかをぐしゃぐしゃにかき回した発言の主は、吉祥寺の「ピッツェリアGG」で働くピッツァ職人、中村拓巳である。
初めて彼のピッツァを食べたのは、二〇一一年の夏。マリナーラだった。
チーズものっていない、トマトソースにオレガノとにんにくだけを散らした最少構成のピッツァは、私のなかでは、その店の味と職人の腕前を曇りなく味わえることにおいてこの上なくピュアなピッツァ。プライベートでも取材でも、多くのピッツェリアで必ずと言っていいほど頼んできたメニューである。
だがこの夜のマリナーラは、これまでのどれとも似ていない雰囲気を持っていた。
なんというか、〝勢い〟があるのだ。
薪火の熱を一気に吸い込んで立ち上がったコルニチョーネ(縁ふち)、その自由な焼き色。こんがり焼けているのにやわらかで、ときどきカリッと、フェイントをかけてくる食感。香ばしい生地も、滴るようなトマトソースも、なりたいようになっている。それでいて、どこか品がいい。
おそらくすべてが、職人の狙った一点に着地しているのだろう。そんな憎たらしいピッツァは、「狙うべき一点」がわかっていなければ不可能だ。
この職人は、上手に作ろうとしていない気がした。たとえるなら日本人が正確に話そうとするイタリア語ではなく、感情や思考から自在に引き出すネイティヴなイタリア語、という感じのピッツァ。
もしかしてイタリア人が焼いている?
窯の前を見てみたら、白いTシャツのなかで体が泳ぐほどひょろっと痩せた黒髪の男の子がパーラ(ピッツァ生地をのせる長柄のへら)を操っていて、それが中村だった。
後日、雑誌の取材をすることになって、「男の子」と思ってしまったくらい少年っぽさの残る中村は二十五歳だとわかった。若いのに、ピッツァ職人歴は八年になるというので指折り遡ると、スタートは十七歳、まだ高校二年生の年になる。計算違いかな、と再び指を折り始めた取材者を察するように、中村がさらりと放ったのが冒頭の発言だ。
私自身の十六歳を振り返ると、学校とは、行かせてもらえる環境ならば〝毎日行くもの〟であった。たとえ行きたくない日があっても、「行かない」を行動に移すにはよほどの理由が、少なくとも私には必要だった。
しかし彼に高校へ行かなかった理由を訊ねても、「わからない」と言う。親は進学を望み、本人は重篤な病気を抱えていたわけでもなく、いじめの加害者でも被害者でもない。たわいなく遊ぶ友だちがいて、教師や学校への反抗心もとくになし。
じゃあどうしたら、本人いわく「いたって普通の学生」が、日本の高校進学率九七パーセント以上という大きな集団から離れ、たった一人でイタリアまで飛んでいくことになるのだろう?
十六歳の「ピッツァを食べた感動」一つで、みんなとは違う道、あまりにも長いその先の一生を決めることなんてできるのだろうか。あるいは雑誌の短い取材時間では語られることのない「よほどの理由」があったのか。
ともかく彼は学校へ「行かない」を選択し、そして「行った」のは〝あの〟ナポリだ。
私は二〇〇二年にイタリアで修業中の日本人コックたちを取材しているが、当時、現地で聞くナポリの話は強盗だらけだった。
「道を訊かれ、教えてあげた隙に財布を盗られた」くらいじゃ平和なほうで、「街を歩いていて、いきなり首絞め強盗に遭った」「バイク強盗にバッグを摑まれた友人が引きずられた」「タクシーに乗ったら危険なエリアで降ろされ、囲まれた(タクシーもグルだった)」「盗られても命があっただけマシ」など、身震いするような噂が飛び交っていたのだ。
イタリアのなかでも、ナポリだけは別。イタリア人自身までもがそう語り、ティレニア海に沈む美しい夕陽や海岸線、紀元前に創建された都市国家としての歴史を持つこの地は、母国からも孤立しているように思えた。
ナポリへ、「安全安心があたりまえな日本人は生きていけない」と多くが断言するあの街へ、十八歳のアジア系男子が一人で渡り、延べ三年あまりも暮らしたというのである。
「・・・大丈夫でしたか?」
言葉を選べないまま質問すると、中村はやはり的確に意図を汲み「危険な目に遭ったかってことなら、全然ですよ」と笑った。
「それよりもナポリには、教わったことのほうがたくさんあります」
取材の帰り道、吉祥寺駅へと向かいながら、学校へ行かずにナポリへ行ったピッツァ職人の言葉と、あの勢いを放つピッツァが頭から離れなかった。
すると、隣を歩く編集者が弾むような声で言ったのだ。
「中村さんにとっては、ナポリが学校だったんですね」
一瞬、すうっと腑に落ちた。
ああ、彼は自分の学校を自分で見つけたのか。学びたいことを学べる、がんばりたいものにがんばれる場所で、生きる力を育んだ。それが教室ではなくナポリだった、ということか。
そして大人になった彼は今、ピッツァ職人として食べ手を喜ばせながら生きている。
でも、だったら、と新たな謎が湧いてきた。
「教わったことのほうがたくさん」ってどんなことだろう。
ナポリという〝学校〟には、日本にはない何かがあったのだろうか。
ナポリピッツァとは、ピッツァ職人になるとはどういうこと?
あんなピッツァを焼く職人に、訊きたいことが溢れ出て止まらなくなってしまった。
続きが読みたくて仕方がなくなったみなさま、ぜひ書店へ、足をお運びください!!
編集部からのお知らせ
5/24(水)井川直子×中村拓巳×河野智之 「ピッツァ職人という生き方」~『ピッツァ職人』刊行記念~
~~『ピッツァ職人』刊行記念~~ 井川直子×中村拓巳×河野智之 「ピッツァ職人という生き方」 をオンライン配信いたします。
<出演> 井川直子(『ピッツァ職人』著者・文筆業) 中村拓巳(ピッツァ職人・〈ピッツェリアGG〉) 河野智之(ピッツァ職人・〈ピッツェリアGG〉オーナー)
<開催日時> 5月24日(水)19時~