第86回
タルマーリー×三砂ちづる×竹内正人 『菌の声を聴け』発刊記念トークイベント~発酵、身体、生き方~(後編)
2021.11.05更新
10月7日、鳥取県智頭町のタルマーリーにて、『菌の声を聴け』(ミシマ社)の発刊を記念したイベントが開催されました。ゲストは、ミシマ社から『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』等の著書を発刊されている三砂ちづる先生と、智頭町にある助産院「いのちね」に携わる産婦人科医として、たびたび智頭を訪れている竹内正人先生。
新型コロナから、生殖医療、そして私たちの身体性まで、話題は多岐にわたりました。科学というのは本来何で、私たちが大切にすべきは何なのか。異なる道を歩んでこられた4人の、一歩踏み込んだ議論が、とても刺激的な2時間でした。
ミシマガジンでは、このイベントの内容の一部を2日間にわたってお送りします。
(構成:星野友里)
出産育児で取り戻せた身体性
麻里子 今、若い人たちに楽しく生きてほしいなと、自分で自分に大丈夫と言えるようになってほしいなと思うんです。若い頃は自分も不安だった私が、最近大丈夫になってきていて、そうなってきた過程について、少しお話をさせていただけたらと思います。
子どもが二人いまして、上の娘を出産するときは、自然分娩がしたかったのですが、先ほど竹内先生も仰っていたように、大きい病院のほうが安心、何かあったら不安ということで、日赤広尾病院で出産しました。でも診察のたびに先生も助産師さんも違うし、お風呂に入って陣痛を待っていたら、思っていたよりも早く出てきそうになってしまって、すごく痛いのにそれでも歩いて分娩室にいかねばならず、分娩室に着いたら「赤ちゃんの心音が下がってきています」と言われて、そうなるともう「お医者さん助けてください、なんでもいいから無事にお願いします」ということで、吸引分娩になったんです。
生まれたあとも、「私の身体能力がいたらないせいで、こういうお産になってしまった」という思いが残ってしまって、娘にも「ごめんねごめんね」と言っていたのですが、助産師さんには「みんなそんなものだから」と言われて。「そんなものなのかな」と自分を納得させていました。でもしばらくして助産師志望の友人と話していたら、「それは自然に産めたはずだよ」と言われて、それから自分でも本を読んだりして、これは医療介入が可能な環境を選んだ自分が悪かったんだということを知ったんですね。
それで下の息子のときは、自宅出産をすることにしました。そのときは千葉に住んでいたのですが、すごくラッキーなことに、自宅で診てくれる産婦人科医さんと助産師さんがいらした。自分の大好きな家で、家族がいて、いつも過ごしているお部屋で、そのときは四つん這いで産んだのですが、本当に豊かなお産ができました。でも昔の人はこれが普通だったんだよねと思うと、私たちは「何かあったら危険」ということにとらわれずきて、大切な経験を失っているのではないかなと思って。
その後、布おむつ育児にも取り組んだのですが、下の子がアトピー体質でかつ下痢症だったので、1日に何回もちょびちょびしたり漏れたり、どうしてこんなに大変なんだと悩んでいたんです。そんなときに『赤ちゃんにおむつはいらない』という三砂先生が書かれた本に出会いました。うんちやおしっこをしたい雰囲気を感じると、庭やおまるに連れて行くということをしだしたら、それがすごく楽しくて、息子も1日に何回もすることもなくなって、一気にすべてがよくなったんです。
そんなこんなで、私は出産育児というところから、昔の人がもっていた身体性というのを少し取り戻せて、自分で自分を大丈夫と思えるようになってきました。
三砂 読んで、そして実践してくださってありがとうございます。赤ちゃんは小さいから何もわかっていないというわけではないんだと、私は思うんです。言葉に出さないだけで。おむつに便がついていることの不快感、股に何かがペタッとくっついているところに出さないといけないことへの抵抗感。おむつなし育児をしているお母さんたちに聞くと、月齢が低い赤ちゃんでも、朝起きてすぐにおまるに連れて行くと、たくさんおしっこやうんちをして、とても嬉しそうな満足そうな顔をすると言うんですね。
それに基本的には、下ネタって、すごく楽しくて盛り上がりますよね。私のやっていたおむつなし育児研究班では、女性は昔は立ち小便をしていたらしい、やってみようとか、おむつでしてみたらどうだろうとか、そういうことで異常に盛り上がったりしていました。男性たちも、おむつなし育児を実践して排泄物と向き合っていると、小さい男の子たちが下ネタで盛り上がっているような感じがよみがえるというか、子育てを楽しむスイッチが入るというか、おまるにしたうんちを毎朝写メして送りたくなったりね。
そういう気持ちで子どもを育てていると、自分の排泄にも意識的になるし、その感覚は介護にも持ち越されると思うんです。誰かの排泄のお世話をしなければいけなくなったときに、大変ではあるけれど、いい形でかかわれるようになるのではないか。生まれるところと死ぬところ、子どもを育てることと介護というのは直結しているところがあって、そういう経験をしているから、人生の次の段階に行けるのではないかと思うんです。
生殖医療が発達する今、必要な神話
竹内 麻里子さんが仰っていた一人目のお産、日赤病院なんかでは一日に何人も生まれるから、基本的にはやっぱり、分娩台をどう回すかなどに始まる調整作業になってしまうんですよね。ぼくも最初の10年は、とにかく吸引分娩だろうが、赤ちゃんが元気に出てきてほしいというのでそういうふうにやっていたのですが、「これでいいのかな」と思うようになっていきました。こんなに医療が進んできたのに、医療がないと出産できないと思わされている社会ってどうなんだろうと。
産む側にしても、授かるというより作るという感覚になってきていて、テクノロジーが進んで、若いうちに受精卵を凍結しておけば、いつ解凍してもいいんだということになるし、いずれは子宮に返すのか、人工子宮の機械に返すのかということにもなってくるかもしれない。
格 長女が生まれたときに医療介入があったことが、少なからず、その後の親子関係にも影響してきたと感じるのですが、今仰っていたみたいに、受精卵凍結などの技術が進んでいったときに、親子の関係というのはうまくいくものなのでしょうか?
竹内 選択ができてしまうことの難しさはありますよね。多数の受精卵を凍結して、そのひとつを解凍して体外受精で子ともを作った場合、将来子どものことで悩んだり、親子の確執が生まれてきた時に、ほかの受精卵を選んでいたらどうだったんだろうと現実を受容する覚悟ができなくなるしんどさ。顕微授精も、当初は神の領域に抵触しているのではないかという議論もありましたが、今は抵抗がなくなってきている。自分の都合のよいときに産めるという便利さはあるけれど、選べてしまうことの大変さはある気がします。
三砂 生殖技術というのも、先ほどの話と同じように、長い期間での検証がされてきたわけではなくて、今、顕微授精で生まれた子どもたちがちょうど生殖年齢に達して追跡調査がなされている。そんな状況で、技術としてはいろんなことが可能になっていっています。
ただ、それによって生まれてくる子どもは一人の人間で、その子には、自分はなぜ、どんなふうに生まれてきたのかという、科学ではない、その子にとっての神話が必要なんです。私たちは、一生懸命科学を勉強するけれど、子どもに神話を提供することについては、何も習っていない。技術が発達したことで一線を踏み越えてしまったから、上の世代は使っていなかったような神話を自分たちで作っていかないといけない。カズオ・イシグロなどの作家がフィクションの世界では試みているけれど、そんなことが一人の母親にできるのか。子どもがほしいと思ってつくるのはいいけれど、その子どもにどういう説明をするのかというのを、母親一人だけに負わせるわけにはいかない。
そこに、妊娠やお産のあいだずっとコミュニケーションを取って寄り添う助産師さんのような人がいれば、その子どもになんらかの物語を提供できるかもしれない。妊娠出産というのは、そういう人の力も借りて、母親が母親として育つプロセスでもあるのだから、生殖技術が発達している今だからこそ、助産師さんのような存在は大切だと思います。
『菌の声を聴け』は科学の本
麻里子 自分たちのような戦後世代は、本来は祖父母や両親から聴いていたであろうお産の話などが受け継がれなくなっていて、お医者さんに聞くしかないという状況になってしまっていますよね。そういう受け継ぎを親子間でできないのであれば、語れる人が語るしかないんだよなということを、今回のイベントをきっかけにあらためて思っています。
格 先ほどのお話、パン作りも同じだなと思いました。科学技術というのは必ずしも否定すべきものではないと思ってはいるのですが、子どもとの関係性、神話を紡いでいくことが大事なのと同じように、パン作りでも、菌との関係性のなかで一緒に発酵していくストーリーが大事なのに、イーストを使うとなんでも発酵するから、その部分がなくなってしまうんですよね。
三砂 妊娠出産に関しては、どんなに生殖技術が発達しようが、基本は一つで、大切なのは継続ケアなんです。それには科学的エビデンスもあります。女性にとって、「私にはこの人がいる」という関係をつくることの大切さ。安全というのは人からもらうものではなくて、安心させてくれる人がいるから、自分で安全な環境をつくれるんです。竹内先生が話されていたように「大丈夫」と言ってくれる人をもつということ。私はそれは、親ではないと思っているんです。親はもちろんいたほうがいいけど、親じゃないからこその第三者との継続的な関係は、その人に非常に自信を与えるんです。日本の助産師というのは、そういう存在をシステムとして作れている、稀有な存在だと思っています。極端にいえば近所のおばさんでもいい。グループではなくて、「私にとってこの人」という一人の人が大切なんですよね。
竹内 最後にあらためて『菌の声を聴け』の話をしましょう。これを読んで、パンやビールの世界でも、菌が画一化されているということを知ってとても驚きました。医療でもどんどん菌を殺してしまう。僕らの体の中にある菌は、「悪玉菌」とか「病原菌」とかネーミングが悪いものが多いのですが、悪玉菌も含めたバランスが重要なんだということがやっと最近わかってきているんですよね。いい菌を揃えたらそれでいいというわけでもなくて、菌というのは基本的な身体活動や精神活動を、そのバランスで支えてくれているんだということ、効率とか排除とかそういうことの偏重の問題を、本当に考えさせてくれる一冊でした。
三砂 科学の基本は観察ですよね。目の前に起きていることを観察する。いくら理論があろうが、理論をもって現実を見るのではなくて、現実を見ることから何らかの直感を得て、理論をつくっていくという形で科学は発展してきた。この本はそういう意味で科学の本です。今のアカデミズムでは、エスタブリッシュされた学問の中で、なかなかその枠組みから出られない。でもタルマーリーは、本当に目の前で起こっていることを一生懸命観察して、試行錯誤して失敗して、「こうじゃない」とか言われて、やっていった果てに何かを作り上げた。そういう意味で最初の話に戻りますが、格さんは南方熊楠の継承者の一人だと思います。
麻里子 今日は感激でいっぱいです。麴に関する文献は残っていなかったという話を冒頭でしましたが、私には三砂先生の本がありました。昔の人はどうだったのだろうということを真摯に研究して本に残してくださって、それによって、自分の人生も子どもたちの人生も変わったと思いますし、その存在は私たちにとって宝だなぁと思います。
竹内先生も、医療の世界は封建的なシステムで、そのなかで型破りなことをしていくのは大変なんだというお話をしてくださったこともありましたが、そんな中で、お産の後もケアをしていくという視点をもって、「いのちね」などにも関わってくださっているというのは、希望だなと思います。
そんな先輩方を身近に感じることができて、私たちも少しずつでも、そういう存在になっていけたらなぁと思いました。今日は本当にありがとうございました。
編集部からのお知らせ
『菌の声を聴け』3刷が決まりました!
渡邉格さん、麻里子さんが過去8年間のタルマーリーの経験を綴った『菌の声を聴け――タルマーリーのクレイジーで豊かな実践と提案』が、この度3刷となりました! コロナ禍で「新しい生活様式」が謳われるようになるずっと前から、千葉、岡山、そして鳥取・智頭町へと移転しながら、新しい生き方を実践してきたタルマーリー。パンとビールの源泉をとことん探って見えたものとは?
斎藤幸平さん×タルマーリーさん対談を開催します!
タルマーリーさんが、斎藤幸平さんと対談されます。
斎藤さんは『人新世の資本論』で、資本主義を抜け出して本当の豊かさを取り戻すカギはコモンの再建にあり、それは各自の現場で実現できるものだと記されました。そして、経済的成功よりも行動が価値となる時代には、グローバルサウスが重要になるとも説かれました。日本のグローバルサウスとも言える鳥取県智頭町で、人間よりも菌たちの声に徹底的に耳を傾け、パンとビールづくりを実践してきたタルマーリーは、まさにコモン再生のために行動するトップランナーと言えます。
今後の日本を辺境から占う、小さくて大きな対話がここに!
タルマーリーさん×中島岳志さん対談のアーカイブ動画を販売中です!
タルマーリーさんと『思いがけず利他』の著者である中島岳志さんがご対談されました。その名も、「思いがけず発酵」。タルマーリーさんが日々実践する「菌との対話」と、政治学者が解く「利他」の問題は、深いところでつながっていました。全編のアーカイブを配信しておりますので、ぜひご覧いただけますとうれしいです。
【主なトピック】
・利他を道徳から解放したい
・『思いがけず利他』と『菌の声を聴け』が共有する世界観
・発酵と窯変・・・偶然はただ偶然に起きるのではない
・投票率と政治
・「リベラル保守」とはなにか?