第28回
鎌田東二先生にきく! 宇宙の遊び方(2)
2019.10.15更新
2009年10月に 発刊した『超訳 古事記』。生老、病死、愛憎、諍い、霊など、全ての物語の要素が詰まった、日本最古の神話である『古事記』に、宗教学者であり、フリーランス神主、神道ソングライターでもある鎌田東二先生が、いまの言葉で息を吹き込んだ一冊です。発刊から10年経ったいま、鎌田先生はどのようなことに関心を持たれて、研究されているのだろう。気になったタブチが、鎌田先生へインタビューを敢行しました。宇宙との交信の仕方や神話のこと、そして気になるバク転の話など、盛りだくさんでお届けします!(第1回分はこちら)
(聞き手、構成:田渕洋二郎)
熊野詣をする理由
ーー 先生が京都にこられたときの印象はいかがでしたか?
鎌田 初めて京都に来たときは「窮屈だなあ」と感じて、あまり好きになれたかったのです。孫悟空が頭に「緊箍児(きんこじ)」という輪っかをしてるみたいな感じで。なので、初めのほうは埼玉に住んでいながら京都まで通っていました。でもあるとき、大学の講義の合間に3時間くらい空白の時間ができたとに、ふと裏に曼殊院山、瓜生山、比叡山があったので、登ってみようと思ったんですね。山のほうから校舎に入れるなと思った。そうして少し山に入ってみると、そこは深海のようでした。山の中に宇宙を発見したんですね。小さいときに感じた、夜の海や山の感覚といったような自分の中の縄文ソフトが起動してきたんです。こんな太平洋のような山並みがあるんだったら生きていける、と思ってそこから一気に京都が好きになって住み始めました。今は寝室に祭壇を設けて、毎朝石笛、横笛、篠笛とか楽器を30種類くらい比叡山にむかって演奏していますし、祝詞や般若心経や真言も唱えているんです。
ーー 埼玉はいかがでしたか?
鎌田 埼玉は南のほうは基本的には平野ですから、へそを丸出しにして寝ているみたいなイメージだったんですね。陰影がなくて、巨大なだだっぴろいなかでぽつんとしているような。蛍光灯に全部がてらされている感じで、くつろげる場所がなかったんです。平坦なところで心の宇宙の探索するよりかは、京都みたいな起伏があるところがいいと思うようになってきました。
逆に言うと、白河上皇の院政期からなぜ熊野詣でが流行ったかというと、京都のような暗い、深いところにいると、明るい場所に憧れるんですね。ドイツ人のゲーテなどがイタリア、地中海に憧れるように。田辺や那智や新宮はほとんど海ですからその煌々としたイメージが熊野ですよね。黒潮がカーンと開けている感じ。昔の人たちもその明るさに衝撃を受けたと思うんですよ。そうして命の洗濯をして、蘇ってまた京都に戻ってくる。まさに宇宙発見ですね。
火の楽器、水の楽器、土の楽器
ーー 先ほど30種類の楽器と仰いましたが、いつごろからやられていますか?
鎌田 もともと私は20歳のころからずっと龍笛をやっていたんですよ。雅楽の笛です。「日本雅楽界」にも所属して、国立劇場の小ホールで演奏もしたことがあるんです。でもやっているうちに、だんだんと創造性を感じられなくなってきてしまった。決まったメロディーを再現するのではなく、音楽のもっと根源にあるものを知りたくなった。つまり自然のままの音ですね。それで調べていくと、平田篤胤も石笛(石に穴が空いているだけの素朴な楽器)を吹いていたと知って。そこから 10数年探し求めて、30代の終わりに石笛にであえました。それ以来、人間がいろいろ手を加えた楽器よりも、自然にあるそのままのかたちの楽器のほうが、ダイレクトに身体にはいってくると思うようになりました。
ーー 演奏する楽器によって自分も変わっていったりしますか。
鎌田 毎朝比叡山へ向かって奉納演奏をするのですが、それぞれの楽器によって、奏でている自分が変容してきます。私は楽器には、火の楽器、水の楽器、土の楽器があると思っていて、それぞれの代表が石笛、横笛、法螺貝なんですよ。わが三種の神器と呼んでいます。
ーー と申しますと...?
鎌田 まず、石笛にはピーッという耳をつんざくような鋭い高い音が出るんですね。尾てい骨から体のなかを突き抜けて、天へ向かって音が出るイメージ。だから、これは火の楽器。それを感じた瞬間に、龍笛は流れる川のようだ、と思った。風のイメージにも近いですが、とにかく石笛が垂直だとしたら、横笛は横に流れるイメージです。でもこのままいくと宇宙の果てまで行ってしまいそうで少し不安になって、バランスをとるために法螺貝があることに気づきます。法螺貝は大地というか、たばねる、抱きとめ包み込むイメージなんですね。
こうやって垂直にぶった切って行く音の世界、そしてやわらげに水平に流れる音の世界と、それを両方を包み込む法螺貝でわが三種の神器が完成します。この三点セットで一つのコスモスになっています。
北枕とバク転の話
鎌田 そういえばあなたはどちらの方角を向いて寝ますか?
ーー ぼくは東ですね。
鎌田 わたしは北向きでないと眠れないんですよ。若い頃から、寝ていると寝相が悪いのかぐるぐると回って、起きると北を向いていることが多かったんですよね。これはもう、自分の体に磁石があって、北を向くんじゃないかと思うくらい。それだったら最初から北の方を向いて寝るのが安定するなと思ったんです。
ーー 北枕は縁起が悪いというイメージですが...。
鎌田 世間には、北枕は死がイメージされるのでよくないみたいな民間信仰ありますよね。でもそれはよく考えると、寝るというのは、一種仮死状態になるわけです。だから落ち着くんでしょうね。そしてまた再生する。そういうことを感じながら、20歳からいま、68歳までずっと北枕で寝ています。とくに、家の北東の方角に比叡山があるので、意識できるようになるんですね。比叡山と通信するということがわたしの1日のはじまりであり、夜も通信しながら眠るのが生活軸になっています。
ライフワークでしている「バク転」も、あるとき比叡山にも登って平らな箇所があることに気づいたときに、「ここでできる!」と思って始めました。山頂の付近でバク転をするのは気持ちいいんですよ。わたしは「天と地」の間に生きているんだという感覚がとてもリアルにわかります。
ーーちなみに初めてバク転をしたのはいつでしたか?
鎌田 小学校5年生の時ですね。田舎の学校だったので、先生もできないから教えてくれないし、コーチがいるわけでもありませんでした。だからある友達と学校の砂場やマットで深夜まで残って練習をしていたんです。そうしたらある時突然できるようになりました。できるようになったら嬉しくなって、体操の市の大会にも出たんですよ。見事優勝できました。それで、喜び勇んで県大会にでたら、みんなくるくるまわって次元が違って。 私たちはバク転するだけで精一杯。そこで上には上があることを知ったんですね。きわまりがない感覚というか、いま思えばそこで、宇宙にきわまりがないという感覚を味わっていたのかもしれません。
ーーすごいエピソードです。
鎌田 いまでもバク転はしていますが、いつもバク転をしている最中に羽が生えてきて、空も飛べるようになるんじゃないかって夢想しているんです。私は先祖が恐竜だと思っているんです。恐竜もあるとき始祖鳥になるでしょ。その痕跡が自分の身体のなかにあるはずなので、飛べる瞬間をいまかいまかと待ちわびながら、日々バク転しています。(終)
鎌田東二(かまた・とうじ)
1951年、徳島県生れ。國學院大學大学院文学研究科博士課程神道学専攻単位取得満期退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科博士課程社会環境生命科学専攻単位取得退学。現在、上智大学グリーフケア研究所特任教授。京都大学名誉教授。博士(文学・筑波大学)。宗教哲学・民俗学・日本思想史専攻。著書『人体科学事始め』(読売新聞社)『身体の宇宙』(講談社学術文庫)『世阿弥』『言霊の思想』(青土社)『常世の時軸』(詩集、思潮社)他。