第208回
駒込武先生に訊く 今知りたい「台湾有事」と「台湾」のはなし(前編)
2026.02.17更新
2月8日に投開票が行われた衆議院選挙は、高市早苗首相の率いる自民党が議席の3分の2以上を獲得する結果となりました。
この選挙で争点のひとつとなり、今後の政府にとって重要な課題になっているのが、高市首相の「台湾有事」についての発言が引き金となって起こった、日中関係の緊張です。
2025年11月7日の国会で、首相は、「中国が台湾に武力行使した場合、集団的自衛権を行使する『存立危機事態』になり得る」という趣旨の発言をしました。
中国の対日輸出規制や観光客の減少、中国外相による非難など、ニュースでは「日中関係」にばかり注目が集まっていますが、この発言は、台湾の人びとからはどのように見えているのでしょうか? そもそも、なぜ「台湾」をめぐって、日本と中国が対立を深める状況が生まれるのでしょうか?
台湾の歴史を知らないことで、この問題について大きく見落としているものがあるのではないか。
そんな思いをもって、台湾近現代史を研究する京都大学の駒込武先生にお話を伺いました。2日間にわたってお届けします。
(取材日:2026年1月14日 構成:角智春)
駒込先生が監修者・編著者を務めた本
合意のないところで戦争準備が進んでいる
高市首相は国会で、「もしも中国が台湾に侵攻し、米軍が攻撃されたときには、集団的自衛権の原理に基づいて自衛隊も参戦する可能性がある」という趣旨のことを述べました。
中国から台湾だけでなく米軍が攻撃されたときには自衛隊が参戦する可能性があることは、おそらくこれまでも日本政府が考えていたことだと思いますが、必ずしも明言されてはいませんでした。今回その部分を明言してしまったことが、結果として中国政府への挑発になりました。
日本社会に住む多くの人は、中国との戦争などできないし、もしやったとしても勝ち目はないし、戦争以前に、国交を閉ざしたら経済的に困るという感覚をもっていると思います。そもそも、中国との戦争に向けて準備すべきという合意形成は、決して図られていないわけですね。
今、軍事費が増額され、軍備増強が進んでいます。たとえば、京都にある陸上自衛隊
ただ、その上で、今回の台湾有事をめぐる首相の発言については、批判する側にも問題があると私は思っています。
たとえば、「台湾の帰属は中国の内政問題なのだから、日本は関わらないほうがいい。中国との友好が大切だ」といった批判があがっていますが、そこには台湾の歩んできた歴史についての重大な見落としがいくつもあるのです。今日はこの話をしていきたいと思います。
台湾海峡をめぐる現状を変更しようとしているのは誰か?
そもそも「台湾有事」という言葉は、台湾の側に何か問題があるかのような印象を与えかねないので、私は「台湾海峡有事」という言葉を使うほうがよいと思っています。「台湾有事」というと台湾政府が台湾の独立を志向しているから、中国政府は武力行使をちらつかせざるをえず、戦争の火種となっている、というようなイメージが湧いてこないでしょうか?

図1 台北・中正紀念堂における蔣介石の銅像。左側に中華民国の国旗(2019年筆者撮影)
1970年代まで、とくに蔣介石(1887~1975)が生きていた時代は、台湾の国民党政権は「大陸反攻」というスローガンを掲げていました。「もともと私たちは中国大陸に住んでいたのだから、いざとなったら軍隊を派遣して大陸を取り戻す」という方針です。秘密裏に小規模な作戦を実行しては失敗することをくりかえしていました。1950年代以降は、中国(中華人民共和国)を支配する中国共産党と、台湾を統治する中国国民党は事実上の停戦状態に至っていましたが、国民党はまだ大陸に攻め込もうとしていたわけです。ですから、たしかに台湾側の政府が「台湾有事」を引き起こす可能性もありました。
ところが、今は状況が違います。台湾から中国へではなく、中国から台湾への武力行使の動きが起こっているんです。
台湾政府は、近年とくに軍備増強しているとはいえ、基本的に防衛の姿勢です。一方で中国政府は、台湾総統府によく似た建築物を作って爆撃する映像をテレビで放送するなど、台湾への侵攻の可能性を公言しています。中国側が軍事侵攻用の空母や爆撃機、さらには核兵器を備えているのに対して、台湾側はこのどれも欠いており、ミサイル防衛システムの整備を中心としています。
つまり、まず、どちらがどちらに攻め込もうとしているのか。武力による現状変更はしないという原則を犯そうとしているのは、中国政府です。この点をまず認識しなくてはいけないと思います。
「内政問題」ならば武力で鎮圧していいのか
では、なぜ中国政府は台湾に侵攻しようとしているのか。
日本で一般的な説明としては、台湾の独立をめざす勢力が中国の主権を侵すので、中国は武力を使わざるをえない、というものがあります。
でも、台湾問題は本当に「中国の内政問題」なのでしょうか? 仮に内政問題とみなすとしても、分離独立運動を武力で鎮圧することは許されるのでしょうか?
沖縄の例を考えてみましょう。経済学者の松島泰勝さんらが中心となって率いる「琉球独立運動」というものがあります。琉球独立運動は必ずしも沖縄の人から広範な支持を得ているわけではないと思いますが、もし沖縄の帰属を住民投票で決めることになったとして、過半数が琉球独立に賛成したら、これを鎮圧するために日本本土から軍隊を出動させていいのでしょうか。
イギリスでは2014年にスコットランド独立の住民投票が行われて、ぎりぎり独立派が少ないという結果になりました。イギリス政府は独立運動をいろいろと妨害しながらも、当時住民投票を行うことを認めました。
ほとんど考えにくいことですが、もし日本政府が琉球独立を沖縄の県民投票に委ねて、過半数が独立を選ぶのであれば支持するという態度を示したならば、投票結果がどうなるかはわかりません。このように立場を置き換えてみると、「分離独立運動は武力で鎮圧してもいい」という意見には考えるべき問題があるとまず思います。
台湾問題は中国の「内政問題」なのか?
それでは、台湾問題は中国の「内政問題」なのか。
今の中国(中華人民共和国)は、明らかに台湾を実効支配していません。私たちは、北京に行くときと台北に行くときとでは、違う国に行って、違う入国管理を通って、違う通貨システムを使いますよね。正式な国交がないとはいえ、台湾を中国とは異なる、事実上の国家として民間レベルでの交流は認めているわけです。
中華人民共和国は、1949年の建国以来一度も台湾を支配したことがありません。それにもかかわらず「台湾は中国の一部だ」としているのですが、その根拠として、「歴史的に」台湾は中国の一部であり、それが国際的な共通認識であると主張しています。でも、あとからお話しするように、歴史的にそう言えるのかについても大きな疑問があります。
台湾の帰属を中国の内政問題だとみなす人は、「1972年の日中共同声明において、台湾は中国の内政問題であるので日本は干渉しないとした」と述べることがありますが、これにも疑問がある。「台湾は中国の一部だ」とする中国政府の主張を「十分理解し、尊重」するとした日中共同声明やそれに続く国会答弁には、さまざまな解釈の余地があります。外交文書というものは、白か黒かではなく玉虫色になっているもので、たとえば「十分理解し、尊重する」という表現は対立する立場がお互いに都合よく解釈できる余地を残したものなのですね。少なくとも、武力による台湾の強制的な統一は、日本政府としても認めていません。
現在のように武力による統一の可能性がある状況で、これを中国の「内政問題」としてしまうことには大きな問題があります。国際法上の制約が効かなくなってしまうからです。イスラエル支配下のガザでは、国連のような国際機関が民間人虐殺を非難してもイスラエルは「内政干渉」として相手にしていません。あるいは、日本の植民地時代の台湾でも先住民の霧社蜂起の鎮圧(1930年)などさまざまな虐殺事件が起きました。純然たる「自国民」でもなければ、国際法上「敵国民」でもない人びとへの軍事的暴力が酷いものとなることは、歴史が示しているとおりですよね。
現在では、国連安全保障理事会においてアメリカ、ロシア、中国のような常任理事国に拒否権を与えているために、国連が大国による侵略や虐殺にお墨付きを与えるようなことになってしまっています。なんとか常任理事国の権限を例外なく制限し、WHO(世界保健機関)のような国際組織に台湾がオブザーバーであっても参加できる道を切り拓いていくことが大切と考えています。
台湾の人びとがなぜ高市首相の発言を歓迎するのか?
ただ、高市発言問題のすごく難しいところは、台湾社会の中でこの発言を歓迎する声が出ているというところなんですね。この状況は、日本からは想像しにくいと思います。
たとえば、日本が、正式に国交のある国が10カ国程度しかなく、正式な軍事同盟を結んでいる国もまったくないとします。国際的にほとんど孤立無援の状態で、「かつて日本はわれわれの領土だった」と主張する国が、年に何回も軍艦と飛行機で海と空から日本を取り囲む。その恐怖心はどれほどのものでしょうか。これが、台湾が置かれている状況です。
2025年3月に私が台湾に行ったとき、中国人民解放軍が台湾全島を取り囲む軍事演習を行いました。まわりの台湾人たちは「またか」というような反応でしたが、私は正直怖かったです。
今のところは包囲は数日で解かれますが、もし一カ月続いたらどうなるのか。直接戦争を仕掛けなくても、国外から物資が入らなくなり、台湾社会が内乱状態になるかもしれない。中国政府に頭を下げるしかないという人と、それに反対する人の対立が深まるかもしれません。その対立の中で、思わず中国軍に発砲してしまう台湾の軍人が出てきたりするかもしれません。日中両軍が衝突した盧溝橋事件は、一発の銃弾が理由となってはじまりました。偶発的事態から戦争になってしまうことまでは否定できないのです。
台湾の人の思いは揺れていて、とにかく自分の国は自分で守るほかはないという人もいれば、藁にもすがる思いで日本や米国の軍事力を頼りたいという人もいます。
高市発言は徹底的に批判しなければなりません。ただ、その際は「日中友好」を考えるだけではなく、台湾の人びとの目線を知ることが大事です。藁にもすがる思いで首相の発言に飛びつきたくなってしまう台湾の人びとの思いを十分に理解し尊重しつつ、でも高市首相の勇ましい発言に期待をつなぐのは危ういのだということを伝えていかなければならないのです。
台湾における「中華民国」とは何か?
もうひとつ重要な点として、台湾と中華民国はイコールではない、ということをお話ししたいと思います。
10月10日が何の日かご存知でしょうか? 双十節といって、中華民国の建国記念日にあたります。1911年10月10日が辛亥革命の発端ですからこの日になりました。この日は台湾のあちらこちらで中華民国の国旗がひるがえります。この中華民国の国旗を見て、「今日は台湾の誕生日だよね」と言う人もいますが、それはちょっと違うのです。
中華民国ができたのは1912年ですが、その前の1895年から1945年まで、台湾は日本の植民地支配下に置かれていました。日本の支配が先にあり、戦後になって、蔣介石の率いる中華民国の一部とされたのです。この前後関係が重要です。
日本の植民地支配から解放された1945年の時点で、台湾の人びとの大多数は中国語を話せませんでした。「中国語」なるものは、中華民国の建国以降、北京の宮廷の言葉、つまり北京語を整理する形で作られました。一方で台湾では、中国南部の福建省に由来するホーロー語(福佬語。一般的に台湾語ともいわれる)や広東省にルーツのある
日本の植民地支配下の台湾人は、基本的にはホーロー語、客家語、先住民族(台湾での公式呼称は「原住民族」)の諸言語を第一次言語としていて、エリートはそれに加えて日本語を使っている状況でした。そこに戦後、中華民国の統治者が大陸から来るわけですね。でも、台湾出身の公務員の大半は中国語ができないわけです。当時を生きた方にインタビューした際には、中国語が使えないので、とりあえず日本語で書いて、ひらがなを取って、漢字だけの文章にして出したと言っていました。それしかやりようがなかったわけですね。逆に言うと、日本の植民地支配のためにホーロー語など在来の言葉を読み書きの言葉として発展させる余地を奪われてしまったわけです。
戦後に中華民国の支配がはじまり、国民党の一党独裁体制が成立します。台湾在来の住民からすれば、いきなり中国語の教育をされて、中華民国の国旗に敬礼し、「蔣介石主席万歳を唱えよ」などと言われても戸惑わざるをえない状況です。ここで、大陸から来た人と台湾に住んできた人の間に激しい対立が起きます。
大陸から来た人は日本軍との戦争で疲れ切っていて、家族を殺され、郷土を荒らされてボロボロになっていた人たちですが、台湾にいる人は日本語を喋るわけですよね。日本語を話して、日本人により支配されていた台湾人に、日本への憎しみのようなものが投影されたと考えられます。国民党政権は台湾人は「日本人により奴隷化されてしまった」という理由で参政権を制限し、もっぱら収奪の対象として食糧などを奪っていきました。かつて日本人がやったのと同じことです。
もともと台湾に住んでいた人からすると、植民地支配から解放された喜びはすごく大きかったのに、その後も同じように差別され、相変わらず「二等国民」としての扱いを受けた。支配者が日本人から大陸から来た人に入れ替わっただけではないかという幻滅が広がりました。しかも、略奪によって極度のインフレが進み、経済が崩壊しました。

図2 二二八国家紀念館における遺書コーナー(2018年筆者撮影)
二・二八事件の際に嘉義市参議員は市民を代表して国軍との和平交渉に赴いたが、そのまま拘束されて駅頭で銃殺された。写真下のボタンを押すと、それぞれの妻や子どもにあてた「遺書」を読むことができる。
こうした状況のなかで、1947年に台湾で全島的な反政府反乱が起きました。反乱者たちは国軍の武器を奪って一時的に台中や嘉義の市街を占拠しますが、蔣介石が南京から派遣した援軍により鎮圧されて、2万人近くの台湾人が処刑されます(二・二八事件)。台湾人を殺したのは中華民国の国軍です。台湾在来の住民には、中華民国は外来の国家で、私たちを殺す存在だという認識が植え付けられました。
行政の上層部は、40年以上にわたって、大陸から来た人で占められていました。台湾人として行政のトップに就いたのは、1988年に総統になった李登輝がはじめてです。44年の歳月をかけてようやく可能になったことなのですね。
李登輝が総統になり、1990年代には民主化が達成されます。この頃から、「中国全土を代表する政権」という中華民国の主張は実態と明らかに異なるということもはっきりと認められるようになりました。国民党の政治家ですら、「ここは中華民国ということになっているけれど、台湾である」と言うようになり、2000年代になると、選挙のときには台湾語(ホーロー語)で演説するようにもなりました。それまでは教師が台湾語を話した生徒を殴るような教育をしていましたから、大きな変化です。もともと台湾社会と中華民国は水と油でしたが、月日が流れるなかで融合が進んでいったわけです。
台湾独立運動とは何か?
こうした流れのなかで、台湾社会の中で「独立」をめぐって市民の意見が分かれるようになります。
*後編は、2026年2月18日正午に公開予定です。
編集部からのお知らせ
あわせてお読みいただきたい本

本記事とあわせて、ぜひミシマ社の書籍『中学生から知りたいウクライナのこと』『中学生から知りたいパレスチナのこと』をお手にとっていただけたら幸いです。
著者の小山哲先生、藤原辰史先生、岡真理先生(『パレスチナのこと』のみ)は、駒込武先生とともに「自由と平和のための京大有志の会」で活動し、戦争や植民地主義の暴力を非難し共に考える場をつくってこられました。ふたつの本では、ウクライナとパレスチナの状況に重ねて台湾のことが触れられています。




